ショコラボンボンの甘い罠
本日の業務も終了し、最愛の妻、アンナが待つ屋敷に戻ろうとセドリックが帰り支度をしていると、目の前に箱が差し出された。
派手な装飾が施された細長い箱だった。
「受け取れ、持っていくといい」
「...なんですか、これは」
主君であるリチャードから突然差し出された箱にセドリックは疑いの目を向ける。
「リキュール入りのチョコレートだ。隣国からの献上品として貰ったのはいいが、甘いものは好かん。フレデリカも未成年なので酒入りの菓子を与えるわけにはいかないのでな」
「...わたしも、口にしませんが」
要らないものを押し付けられても困るセドリックは眉間にシワを寄せる。
中々箱を受け取らないセドリックに痺れを切らしたリチャードは無理やりそれを手渡す。
「貴様にではない。アンナ嬢にだ。彼女なら食べるのではないか」
「はぁ...」
確かにアンナは甘いものを好んで食べているので、持って帰ったら笑顔で喜んでくれるだろう。
それを想像するだけで頬が緩みそうになるも、まだ公務中のうえ、リチャードが目の前にいるためセドリックは平然を装う。
「有り難く、頂戴いたします」
「うむ。隣国も甘味を献上するよりも、俺の美貌を褒め称えればいいものを...まったく気が利かん」
相変わらず理解不能な事をぼやいているリチャードを無視し、セドリックは書類鞄に受け取った箱を入れようとした。
その時、執務室の扉がノックもなしに無遠慮に開かれる。
「アンナの話をしている気がする!!」
聞き覚えのある声に、セドリックは思わず眉間を押さえる。
普段はいくら探しても姿を現さないくせに、アンナの話題が出た途端、どこからともなく現れるアンドリューの不気味さは計り知れない。
「ふむ、セドリックにアンナ嬢への甘味の手土産を持たせたところだったが...アンドリューも必要だったか?」
どこからともなくアンドリューが現れることに慣れているリチャードは特に気にする様子もなく話を続ける。
「やだなー、リチャード。僕が甘いもの得意じゃないって知ってるだろ?今までは、アンナが好きだったから、付き合って一緒に食べてただけだよ。というか、手土産っていったい何だい?」
ここから確実にアンナの話を喋り倒すアンドリューの姿が目に見えて明らかだったため、セドリックは手にしていた箱を素早く書類鞄へとしまう。
このままアンドリューの長話に付き合わされる前に、執務室を出ようと扉へ向かった。
「チョコレートだ。隣国で評判の店の物らしい」
しかし、空気を読まないリチャードによってアンドリューに余計な情報が渡ってしまう。
「チョコレート!?チョコレートかい!?アンナは生クリームがふんだんに使われている生菓子が一番好きだけど、チョコレートも大好きなんだよ」
案の定、アンドリューは瞳を輝かせながらアンナの話を始めてしまった。
非常に気に食わないがアンナの話になると、気になって仕方がないので、セドリックは足を止め、アンドリューの話に耳を傾ける。
「王都から領地に帰る時、お土産にチョコレートを持っていったことがあるんだけどね、その時のアンナの喜び様は本当に凄かったんだよ。今にも宙に浮きそうにぴょこぴょこ跳ねて、まるでウサギみたいだったなー。あまりにも可愛かったから僕手ずから食べさせてあげることにしたんだ。そしたら今度は鳥の雛みたいに口を開けて、チョコレートが入ってくるのを待っていたんだ。チョコレートを食べさせてあげると、口の中でコロコロ転がして食べる様はまるでリスみたいだったよ!!」
息継ぎもせずに一気に話す様は何度聞いても感心する。よくもここまで息継ぎもせずに話せるものだ。
内容もいつもアンドリューが話す思い出話の範疇を超えなかった。
すると、アンドリューは笑顔でセドリックに振り返る。
「だから、セドリックもアンナに食べさせてあげなよ。きっと可愛い反応が見られるよ」
本人はわざと言っているのかわからないが、セドリックは内心穏やかではなかった。
まるでアンナの全てを把握しているのは兄である自分と煽っているようにも聞こえてくる。
それは事実なのだが、腹立たしいのに変わりはない。
少し面白くないセドリックは返事をせず、アンドリューから視線を逸らす。
「だから、寄宿学校にいた時に偶然木の上でお腹を空かせながら母鳥の帰りを待つ雛鳥を見つけた時はその時のアンナのことを思い出して、放っておけなくてね...。いやー、あの時は本当に参ったよ」
懐かしむように目を細めるアンドリューだが、セドリックもその時のことを思い出し、眉間のシワがますます深くなる。
雛鳥を保護して、部屋に持ち帰ったアンドリューはその日から雛鳥に付きっきりになり授業に出てこなくなった。
困り果てた教師陣が説得を試みるも、聞く耳を持たないアンドリューの首根っこを掴み、セドリックが無理やり教室まで連れ出したのを覚えている。
さらに酷いのは、教室まで連れ出したのはいいが、雛鳥を抱えて、片時も離さなかったため、雛鳥を盗まれて大激怒した親鳥が突っ込んできて、大惨事に見舞われた。
親鳥に連れられていく雛鳥に向かって、「アンナーー、アンナを連れて行かないでおくれ」と騒ぎ立てるアンドリューを見て、本気で窓から放り投げてしまおうかと憤っていたが、当時のセドリックはまだ遠慮があり、それが出来なかった。
もし今また同じことが目の前で起きたら、セドリックは何の躊躇いもなくアンドリューを窓から放り投げるだろう。
少なくとも、雛鳥よりは丈夫なのだから問題ない。
アンドリューのせいで思い出さなくてもいい出来事を思い出してしまい、セドリックは頭が痛くなってきた。
「ふむ...。いつも不思議に思うのだが、アンドリュー、貴様の目には全てのものが妹に見えるのだな。数年前の花の日に妹から贈られた食虫植物もアンナと名付けて愛でていたな」
そのこともよく覚えている。
アンドリューがハエトリソウという食虫植物をアンナに花の日に贈ったので、そのお返しにウツボカズラという食虫植物が贈られたことを終始自慢していた。
そして、例のごとくそのウツボカズラをアンナと名付け、四六時中抱え続けた結果、一ヶ月で枯らしていた。
枯れたことが相当ショックだったのか、アンドリューは枯れた植物を校舎の隅に埋め、アンナの墓として埋葬していた。
すでにアンドリューの不可解さに慣れきっていたはずのセドリック達でさえ、常軌を逸したその行動に誰も声を上げることができず、静かに引いていた。
当時は食虫植物を贈り合う変わり者の兄妹だなと思っていたが、実際のアンナを知った今なら得体の知れない植物を贈ってきた兄に対してのささやかな反抗だということがよくわかる。
「当たり前だよ、僕はアンナを通して世界を見ているんだから。アンナに見える全てのものが僕にとってはとても愛おしいのさ」
「そういうものなのか...」
理解しているかはわからないが、リチャードがアンドリューの言葉に頷くと、何故かセドリックの方に視線を向けてきた。
疑ってくるような眼差しを見て、一瞬にしてリチャードの思考が読み取れたセドリックは咄嗟に声を上げる。
「わたしを、この狂人と同類にしないでください」
「しかし、貴様もアンナ嬢を好いて結婚したのであろう」
「わたしが愛しているのは、人間のアンナだけです」
腑に落ちない様子のリチャードだったが、そこまで興味がなかったのか深く追求してくることはなかった。
「しかし、俺が目指すべきはアンナ嬢みたいな存在かもしれないな。将来の国王である美しい俺が、国民にとっての世界の全てであって欲しいからな...」
また意味不明なことを口にし出した物憂げな表情のリチャードに対し、アンドリューが思いっきり吹き出す。
「あははははははは、リチャードには無理だよ!!!だって、リチャードはリチャード!!!感が強すぎるじゃないか。アンナみたいに世界そのものにはなり得ないよ」
「そうか...。つまり、俺は唯一無二の存在ということだな。ふっ、罪な男だな...」
「そうそう。リチャードのそういう自己愛が強すぎて意味わかんないとこ、僕は大好きだよ」
「貴様には負けるがな」
なにが可笑しいのかリチャードとアンドリューは顔を見合わせて、大笑いしていた。
目の前で繰り広げられる噛み合わない会話に頭を抱えながら、早くアンナの元へ帰りたいとセドリックは強く願った。
・
なんとかしてリチャードとアンドリューの変人二人組から逃れることが出来たセドリックは愛しいアンナが待つ屋敷に帰ることができた。
王宮から戻ってきたセドリックを見つけると、嬉しそうに駆け寄ってくるアンナに胸が締め付けられ、その額に口づけを落とす。
婚約当初は、恥ずかしがって顔を赤くしていたアンナだったが、すっかり慣れてしまったのか照れくさそうにはにかむ。
どちらのアンナも可愛らしいのだが、ようやく自分の愛を受け入れてくれるようになったことにセドリックは満足気に微笑み返した。
夕食を軽く済ませ、二人の私室へと向かう。
「今日は、手土産があるんだ」
「手土産?」
書類鞄からチョコレートの入った箱をアンナの前に差し出す。
「チョコレートだ。隣国からの献上品を殿下からアンナにと、いただいた」
箱の蓋を開けると、中には艶やかなチョコレートが整然と並べられていた。
「わぁ...」
瞳を輝かせながらチョコレートを眺めているアンナの姿を見ていると、帰り際の不毛な会話に付き合うのも悪くなかったと思えてくる。
「就寝前だが、少し食べてみるか?」
「セドリックは食べないの?」
「わたしは甘いものが得意ではない。全て、君のだ」
チョコレートが食べられると気分を良くしたアンナは頬を緩ませながら、セドリックに一歩近付く。
そして、顔を上げ、小さな口をセドリックの前で開けた。
あまりにも無防備な姿に、セドリックの動きが固まる。
そんなセドリックの挙動を不思議に思ったのか、口を開けながらアンナが首を小さく傾げる。
先ほどアンドリューが、自らの手でアンナにチョコレートを食べさせていたという話を思い出したセドリックは目の前の行為が食べさせて欲しいという意図であると理解した。
長年アンドリューとそうしてきたせいで無意識にしているのかは分からないが、とても心臓に悪い。
動揺を悟られぬよう箱からチョコレートを一つ摘み、アンナの口へと運び入れた。
「んっ!」
そんなセドリックの動揺に気付かないアンナは無邪気に口の中のチョコレートを転がし、美味しさに喜んでいる。
先ほどまでアンドリューの誇張表現だと思っていたが、どうやら事実だったらしい。
「少し不思議な味がする、チョコレートなのね」
「リキュール入りらしい」
「そうなのね!とても美味しいわ!」
チョコレートが気に入ったのか、アンナはまた口を開けて、次を催促してくる。
セドリックがまた一つ、その小さな口に運び入れると、アンナは嬉しそうに転がしていく。
大変可愛らしいのだが、事前にアンドリューから聞いていた通りの反応にセドリックは正直複雑な気分だった。
過ごしてきた年月の違いから、どう足掻いてもアンドリューのほうが自分の知らないアンナを数え切れないほど知っている。
セドリックが把握しているアンナの情報も殆どはアンドリュー経由からのものだ。
アンナのことに関して、まだアンドリューに敵わないと頭では理解はしている。
だが、負けたくないと対抗心が出てきてしまうのは、アンナの夫としての立場と、男としての自尊心から来るものだろう。
まだ未熟だなと心の中で己を嘲笑っていると、二個目のチョコレートを食べ終えたアンナが次をねだるように口を開けたので、もう一つ与える。
それでも、今アンナの隣にいるのは自分であると自負しているので、セドリックは頭の中からアンドリューを追い出そうとした。
「ふふっ」
三個目のチョコレートを口に含みながら、アンナが声を出して笑うので、セドリックが目を瞬かせる。
すると、アンナは思いもよらないことを口にした。
「やっぱり、セドリックは優しいわ。アンドリューだったら、こんなに食べさせてくれないんだもの」
悪気のない無邪気なその言葉にセドリックの思考が止まる。
自分の耳を疑いたくなった。
今、アンナはセドリックといるはずなのに、思い浮かべていたのは双子の兄だったという事実を受け入れたくなかった。
セドリックの理性が少しずつ剥がれ落ちていく。
そして、抗いようがない衝動が内から込み上げてくる。
セドリックは箱からチョコレートを一つ摘む。
まだ食べさせてもらえると思ったアンナがまた口を開ける。
しかし、セドリックは摘んだチョコレートをアンナの口ではなく、自分の口に含んだ。
甘味と微かな酒の風味が口の中に広がる。
まさかセドリックが食べてしまうとは思いもよらなかったアンナが口を開けたまま固まってしまっている。
固まるアンナの腰を抱き寄せ、セドリックは無防備に開いたままの唇に自身の唇を押し当てた。
「んぎゅっ!?」
唇の隙間から、不意打ちの口付けに驚いたアンナの戸惑いの声が漏れる。
セドリックは舌を使い、自身の口の中のチョコレートをアンナの口へと移し入れる。
そのまま逃げる舌を追い、チョコレートの甘さごと絡め取る。
驚いて逃げようとするアンナを抱き留めると、最初は小さく抗っていた手が、やがてセドリックの服を掴むものに変わっていく。
口づけの熱に溶かされ、チョコレートの甘さが互いの口内にほどけていく。
唇を離すと、肩で息をしている涙目のアンナと目が合う。
小さく睨み、怒りを露わにするアンナだったが、セドリックは頬を緩ませる。
この表情のアンナは決してアンドリューが知ることがない、自分だけのアンナだ。
高揚感で心地よい熱が胸の内に広がっていく。
セドリックの指がアンナの唇をなぞる。
チョコレートの跡が残っていたため、セドリックは舐め取るように再度唇を食んだ。
そして、それは深いものへと変わっていき、アンナがまた抵抗を見せるも、今夜ばかりはすぐに逃がしてやれるほど、セドリックは寛大ではなかった。




