一方その頃、アンドリューは
「ちょっと一回死んでみようかなって思うんだ」
馬小屋近くの太い木の幹の上に腰掛け、アンドリューはゆったりと足を組んだ。
馬の世話をしながらアンドリューの話を聞いていた青年は動きを止め、振り返る。
「...すまない、アンドリュー。話を端折らないで説明してくれないか」
「えー、またかい、ナイター君。ちゃんと僕の話聞いてた?」
不服そうに唇を尖らせるアンドリューに、ナイターは呆れたようにため息を落とす。
「お前、さっきまで妹から母親が倒れたって手紙が来たって話をしてたじゃないか。そこからいきなり死んでみることにしたって...どう解釈すればいいんだ!?」
ナイターの言い分は尤もだが、アンドリューは態度を変えるつもりはなかった。
「だからね、その手紙、アンナが書いたものじゃなかったんだよ。筆跡はだいぶ似てるけど、僕の目は誤魔化せないよ」
先日、最愛の双子の妹、アンナから母親が倒れた旨の手紙が寄宿学校にいるアンドリューのもとに届いた。
それを読んだアンドリューはすぐに、この手紙はアンナが書いたものではないと見破った。
本物のアンナが書いたなら、母親が倒れたことに動揺して、もっと筆跡が乱れてもいいはずなのに、手紙にはそれが見られなかったからだ。
「...どこからのだ?」
すぐに事態を把握したナイターは、低い声でアンドリューに問う。
「んー、確信は持てないけど、最近西の動きが活発になってきたからそっちかなって僕は思うんだ」
「となると、リュカーンか...。目的はなんだ」
「たぶん、僕が邪魔になったんじゃないの?この間もリチャードにちょっかいかけようとした奴らを落とし穴に埋めてやったばっかりだし」
明らかに刺客だと見てわかる業者が白昼堂々、学校に潜入してきていたので、それとなく誘導して、だいぶ前に悪ふざけで掘った落とし穴に突き落とし、埋めておいた。
表向きはまたアンドリューがなにか厄介事を起こしていると軽く処理されているが、裏ではきちんとリスタータ王国の諜報部員の仕事をしているのだ。
アンドリューがこの国の諜報部に勧誘されたのは数年前のこと。
あの時も、人気のない場所でナイターに突然声をかけられた。
当時のアンドリューは、寄宿学校内でも問題児として有名で、諜報部に勧誘された時も最初は性質の悪い冗談だと思っていた。
面白半分で話を聞いていたが、最終的に提示された報酬内容に驚いて、思わず承諾してしまった。
それからは諜報部としてそれとなく友人で王太子であるリチャードを狙う刺客を秘密裏に処理していたのだが、ここ最近それが頻繁になっている。
少し厄介になってきたなって思った矢先に偽物アンナからの手紙が来たので、ほぼ間違いなく自分が狙いだとアンドリューはわかっていた。
「たぶん、この手紙で慌てて帰ったところを狙うんだろうね。馬車とかに細工でもするんじゃない?」
「なるほど...。で、そこまで推測できてるのに、わざわざその思惑にのっかるということは何か考えがあるんだよな」
すっかり諜報部員の顔になっているナイターにアンドリューはいつも通りの笑顔で返す。
「もうすぐ試験なんだけど、普通にヤバいから、死ぬなら今しかないかなって」
「.......は?」
予想外の回答だったのか、ナイターの目が点になる。
そして、すぐに顔を引きつらせる。
「...何の冗談だ」
「冗談じゃないなんだよ、ナイター君!!今までもヤバかったけど、今回は本当にヤバいんだ!!このままだと進級さえ危ういかもしれないんだよ」
忘れてもらっては困るが、アンドリューはまだ学生の身。
この年の秋にやっと最終学年になるのだが、進級のための試験が数週間後に迫っている。
問題児のアンドリューはほとんど授業に出ておらず、最近は頻繁に刺客が現れたため、試験勉強なんてする暇はなかった。
あったとしてもアンドリューはじっとしていられない質で、机に向かってもすぐに飽きてしまうのでそもそも勉強に向いていない。
いつもならセドリックに助けを求めるのだが、今回はこの手紙が送られてきたため、試験から逃げる絶好のチャンスだとアンドリューは思っている。
「さすがに一度死んだら、お前も大変だったなって教師陣も少しは大目に見てくれるはずなんだよね」
「.........お前の言い分はわかったが、そんな理由でわざわざ死にに行くのはリスクが大きすぎる」
アンドリューの突拍子もない言動には慣れたはずのナイターもさすがに驚いた素振りを見せていたが、すぐに何事もなかったように表情を戻した。
そんなナイターの反応をつまらなそうに見ていたアンドリューは足を組み替える。
「そうでもないよ。邪魔者の僕が計画通りに死んでくれれば、油断した西の国とその人たちの協力者が大きな動きを見せてくれるかもしれない。そこで一網打尽できれば、死に甲斐もあるってもんだよ」
「そう簡単に言うな。それで本当にお前が死んだら、どうなる」
「えー、ナイター君心配してくれるの!?やっさしー!!」
「茶化すな」
真面目な顔で返されるも、アンドリューはそのままの調子で続ける。
「大丈夫だって。いざというときはナイター君が何とかしてくれるんでしょ?」
「お前な...」
「頼りにしてるぜ、相棒」
アンドリューは立ち上がり、呆れ返るナイターの肩を叩いた。
きつく睨まれるも、そんなことでは怯まないアンドリューは校舎へと足を向ける。
「それじゃあ、そろそろ授業も終わるだろうし、僕戻るね」
「おい、話はまだ終わってないぞ」
「細かいことはまた後でねー」
まだなにか言いたげなナイターを残し、アンドリューを馬小屋を後にした。
・
「いやー、さすがに今回は肝が冷えたね。本当に死んじゃったかと思ったよ」
暖炉が灯る小屋の中、毛布に包まれたアンドリューは、ナイターに淹れてもらったコーヒーを口に含んだ。
偽物アンナから手紙が届いた数日後、アンドリューはご要望通り実家に帰ることにした。
乗っていく馬車をナイターが事前に調べると、車輪のところに細工がされており、大きな振動を加えると外れるようになっていた。
最後まで反対するナイターを押し切り、アンドリューはその馬車に乗りこんだ。
今回のことを仕組んだ相手は中々用意周到で、ご丁寧にいつもの帰り道である橋を先日の大雨の時に壊されていた。
そのため、いつもは使わない谷底が深い細道を使う羽目になった。
近場の住人でさえ使うことのない道のため、舗装されておらず、通るだけでガタガタと馬車が揺れていた。
さすがにこのままだと馬車が壊れるなと思った矢先に、細工されていた車輪が外れたのか馬車が大きく傾いた。
異変に気付いたナイターが御者席から飛び降りる。
崖際の岩へ命綱を巻き付け、そのまま傾く馬車へ飛び込んできた。
「おい、掴まれ!!」
次の瞬間、腰へ巻かれていた命綱が強く引かれる。
馬車が横転する寸前、アンドリューの体は座席から投げ出され、そのまま馬車の外へと放り出された。
瞬く間に奈落の底へ落ちていく馬車と馬を横目に、アンドリューは命綱にしがみつくナイターの腕の中で一息つく。
「びっくりしたー。死んだかと思ったよ」
「っざけんな!!まだ終わってねぇんだよ!!」
さすがの状況に口調が荒くなるナイターはアンドリューを抱えながら、命綱を掴む手の力を込める。
こんなこともあろうかとナイターが御者に扮して、同行していたのだ。
彼でなかったら、アンドリューは馬車とともに奈落の底に落ちていただろう。
やっぱり、ナイター君、化け物だなぁ。
馬車に細工した人間の一味が確認のために付けてきている可能性があるため、すぐに命綱を辿って上がろうとせず、少しの間崖から宙ぶらりんの状態になっていた。
しばらくして、問題ないと判断したナイターによって引っ張り上げられ、なんとか崖の上の道へと戻ってこれた。
その後は、すぐにその場から少し離れた先のナイターが用意した小屋に移動し、冷えた体を暖炉の熱で温めていた。
アンドリューが呑気にコーヒーを飲んでいる横で、ナイターが物言いたげに睨んでくる。
「ありがとう、ナイター君!今回も君のおかげで助かったよ!!」
「お前なぁ...」
もう既に幾度となくアンドリューの無茶振りに応えてきたナイターは何を言っても無駄だと悟ったのか、大きくため息を吐くと、隣に座ってきた。
「...それで、これからどうするつもりだ」
「とりあえずは、僕は死んだことにして身を潜めるよ。死体が見つからないことに疑問を持つ人間も出てくるとは思うけど、まぁ普通の人ならあの崖から落ちたら助からないって判断してくれるかな」
王太子であるリチャードあたりがたぶん勘付くと思うが、そこはあまり問題ではないので、深く考えないようにした。
「...家族にも生きてることを伝えないつもりか」
「当たり前だよ。どこから漏れるかわかんないんだから、僕が生きてることを知っているのは君と陛下だけで十分さ」
「...そうか」
すると、ナイターの表情が少しだけ陰る。
「もぉー、ナイター君が気にしてどうするのさ!!君、僕を勧誘する時に言ってたじゃないか!!僕は人を騙すときに抱く罪悪感が極端に薄い人間だって!!だから、大丈夫だよ!!」
「...そんな昔に言ったこと、よく覚えてるな。もしかして、根に持ってるのか?」
「いんや。言われた時は驚いたけど、その通りだからね」
今回、自分が死んだふりをすることによって悲しむ人間がいるということはアンドリューにだって想像がつく。
申し訳ないなとは思うけど、それだけだ。
誰かが自分の死に涙するところを想像しても、それを深く憂いることをしないのがアンドリューという人間だ。
情がないわけではないが、このような事態になったら容易に切り捨てられる。
ただ、そんなアンドリューでも気がかりなことが一つだけある。
アンドリューは無意識に胸元のペンダントを強く握った。
「...アンナは、きっと大丈夫じゃないだろうね」
「双子の妹のことか?」
珍しく不安が口に出てしまい、アンドリューは急いで口を噤むも、もう手遅れだった。
アンドリューの唯一無二にして最愛の妹、アンナ。
生まれてきてからずっと一緒の自分の片割れ。
そんな彼女だけが今回の件で唯一アンドリューが気を揉んでいる存在だった。
もし自分が死んだと知ったら、彼女はきっと悲しみに暮れ、どん底まで落ちてしまうだろう。
下手したら命も落としかねない。
でも実際、アンドリューは死んでないし、こんなことでアンナの命を危険にさらすわけにはいかない。
なので、アンドリューはこんな時のために先手を打っていたのだ。
「うん...。でも、アンナのことはセドリックに任せたから大丈夫かな」
「セドリック...、レッドフィールドの三男か」
アンドリューはその名前に頷く。
「そう、僕が死んだらアンナは頼んだってお願いしてあるんだ」
「...してあるんだって、お前今回の件をあいつに話したのか?」
少し焦った様子のナイターだが、アンドリューは首を横に振った。
「ううん、言ってないよ。ただ、手紙を渡してあっただけさ」
「手紙...?」
「そう、僕が国の諜報部員になった時、もしものことがあったら読んでって渡してるんだ」
半分遊びで、半分本気で書いた手紙。
渡したときのセドリックの訝しげに睨んできた表情を思い出し、アンドリューはつい笑みが零れる。
「...何年前の話だ?そんな前の、しかも意図がまったく読めない手紙を、いつ来るかわからない日まで読まずに持っているやつなんているのか?」
「セドリックならたぶん、そのぐらいやるよー。ナイター君だって言ってたじゃん、セドリックは真面目すぎるって」
「そうは言っても、限度があるだろ」
しかし、その限度を平気で乗り越えてくるぐらい真面目で真っ直ぐな男がセドリックなのだ。
きっとアンドリューが死んだと知らされたと同時に手紙を読み、すぐにアンナの元へと駆けつけるだろう。
そして、何がなんでもアンナを生かしてくれるということをアンドリューは根拠なく信じていた。
「だから、僕があまり心配することは殆どないかな。強いて言うなら、この小屋少しボロすぎない?寒さで凍え死ぬ可能性がありそうなんだけど...」
「文句を言うな。少ししたらここよりマシなとこに移動するからそれまで辛抱しろ。それより今後のことを考えるぞ」
「えー、それは明日にしようよ。もう今日は疲れたから、寝たい!!」
「お前な...」
どこまでも自由なアンドリューにかける言葉が見つからないナイターは小さく肩を落とした。
毛布に包まれたまま横になり、暖炉の炎をアンドリューはじっと見つめる。
最愛の妹、アンナとお揃いのペンダントを胸元から取り出して、両手で包み込む。
アンナ、少しの間、お別れだ。
きっと、君はたくさん泣いて、僕を想って、死んでいくことを願ってしまうだろう。
でも、セドリックがきっと助けてくれるから大丈夫だよ。
次会ったときはきっと、すごく怒られてしまうだろうけど、また笑顔で出迎えてくれたら嬉しいな。
そして、アンドリューはゆっくりと瞼を閉じたのであった。




