指輪のない左手
「こちらがご依頼いただいていた指輪になります」
目の前で煌びやかに輝く指輪を前に、体が緊張で硬直する。
指輪は、派手さはないものの、とても繊細な造りだった。
細い銀色の指輪には、小さな宝石が一粒だけ埋め込まれている。
その周囲には蔦や花を模した細かな彫刻が施されており、静かな美しさを感じさせた。
一見すると落ち着いた印象なのに、近くで見るほど丁寧に作り込まれているのがわかる。
まるで、セドリックの性格そのものみたいな指輪だった。
「いかがでしょうか。是非、お手に取って確認してください」
宝石商に勧められるも、わたしは指輪を凝視したまま動けない。
というか、あまりにも不相応すぎる...。
セドリックに呼び出されたと思ったら、まさかの婚約指輪を作っていて、今日完成品が屋敷に届いたらしい。
嬉しいんだけど、この指輪、絶対にかなり高価なはずだ。
以前、誕生日で貰ったネックレスだって未だに身につけるのを躊躇うのに、今度は指輪って...
しかも、見るからに特注品。
再婚約して、まだ日が浅いというのに、仕事が早すぎる。
「アンナ」
一人、頭の中で大混乱を起こしていると、隣に座っているセドリックに呼ばれる。
「気に入って、もらえなかっただろうか」
わたしが中々手に取らないから、不安になったのか、セドリックの面持ちが若干硬い。
「そ、そんなことないわ!とても素敵よ」
慌てて、素直に感想を述べると、セドリックは安堵したように小さく微笑む。
わたしの左手を掴み、持ち上げる。
「君の雰囲気に合わせて、作らせた。気に入ってもらえたのなら、よかった」
まるで壊れものを触るかのように、セドリックは親指でわたしの指をなぞると、そのまま薬指に唇を寄せる。
部屋にわたしとセドリック以外にも宝石商や使用人たちもいる中、堂々とそのような行為をされ、顔が一気に熱くなる。
「せ、セドリック...」
弱々しく名前を呟くと、顔を上げたセドリックの灰色の瞳と目が合う。
それだけで胸が締め付けられるように痛む。
何も出来ず、固まっていると、セドリックが机から婚約指輪を取り、それをわたしの左手の薬指に嵌める。
愛おしそうな眼差しを向けると、セドリックは再度薬指に口づけを落とす。
その様子を黙って見ているわたしの心臓の高鳴りがやばい。
どうすればいいかわからないまま、左手の薬指だけが熱を持ったように感じた。
・
「はぁ...」
セドリックから貰った婚約指輪を前にして、わたしはため息を吐く。
こんな素敵なもの、軽々と着けられないわ...。
精巧に作られた指輪が箱の中で静かに輝く。
指輪を見ると、セドリックの顔が思い浮かび、自然と左手の薬指に熱が帯びた気がする。
婚約指輪もそうなんだけど、セドリックからの愛情表現が日に日に露骨になっている気がする。
この前もそうだったのだが、人前でも気にせず、
愛を口にしたり、触れようとしてくる。
恥ずかしいから控えてほしいとお願いするも、セドリックに真顔で愛する婚約者に触れたいと思うのは恥ずかしいことなのかと逆に問い詰められてしまった。
今まで、散々セドリックの無自覚な愛情表現に振り回されてきたのに、自覚したらしたで、更にわたしを追い詰めてくる。
嬉しくないわけではないのだけど、あんなに真っ直ぐな愛をぶつけられるのは初めてなので戸惑ってしまう。
まだ心臓が慣れない。
「アンナー、入るよー」
そんなこんな考えているうちに、ノックもなしに部屋の扉が無遠慮に開かれ、双子の兄、アンドリューが部屋に入ってくる。
何度注意してもノックなしで部屋に入ってくる兄を睨むも、何を言っても無駄なのでもう半ば諦めている。
「どしたのー?怖い顔しちゃって」
「別に何でもないわ。それより、何しに来たの?」
普段ならこんななんでもない日にアンドリューが寄宿学校からグランヴィルの屋敷に戻ってくることはない。
また何かよからぬことを思いついたのかと警戒していると、アンドリューは嬉しそうに笑う。
「実は、やっとアンナの分も出来たんだけど...っと、あった!じゃーん、なんだと思う?」
ズボンのポケットから何かを取り出し、勿体づけるかのように拳の中に隠し、目の前に突き出してくる。
拳の中から微かに銀色の細いチェーンが見え隠れする。
「......」
「正解は、僕とお揃いのネックレスでしたーー!!」
何も答えていないのに勝手に正解を教えられ、手のひらが開くと、ドッグタグがついたネックレスが出てきた。
なんなの、この茶番は......。
呆れて何も言わないわたしの反応をよそに、アンドリューは得意げに続ける。
「見て見て!今回のお揃いもちゃんと僕とアンナの名前を刻んだからね!」
金属製のプレートを見せつけられると、かなりガタガタな形だが、確かに『A to A』と刻印されている。
以前のペンダントと同じように、アンドリューが自分で彫ったんだと一目でわかった。
「はい」
拳を突き出されたので、咄嗟に受け取ってしまう。
どこにでもあるような何の変哲もないドッグタグネックレス。
なのに、妙な安心感を感じてしまうのは何故だろう。
「それじゃあ、つけてくれる?」
彫られた文字を指でなぞっていると、アンドリューが期待の眼差しを向けてくる。
「えっ...、つけないけど...」
当たり前のようにそう返すと、予想外だったのかアンドリューの顔が驚きで歪む。
「えぇぇぇぇぇ、なんで!?なんで!?」
「なんでって...、特に理由はないけど...」
アンドリューのことは大切だが、以前ほど依存しておらず、ネックレスを貰ってもそれ肌身離さず着けておこうとは思えなかった。
しかし、アンドリューにとっては衝撃だったのか、ひどく狼狽え始める。
「そんな...、アンナにとって僕はもうそこらへんの石ころと同じような存在になってしまったというかい...!?」
「そこまで言ってないじゃない。極端すぎ」
「じゃあ、つけてくれてもいいじゃないか!!」
「えぇー」
別につけてもいいのだが、何故か釈然としない気持ちになる。
いったいなんでかはわからないけど、軽々とつけてはいけない気がする。
しかし、アンドリューの癇癪は収まらず、駄々っ子のように地面を蹴り上げる。
「やだやだ、つけてくれないなんて、やだ!!せっかく、アンナのためにそこらへんの店で見つけてきたのに!!」
「そこらへんの店って...」
案外適当に用意したくせに、何故こんなに堂々と駄々をこねられるのかがわからない。
こういうところが本当に面倒なのだ、アンドリューという兄は。
どうやって部屋から追い出してやろうかと模索していると、アンドリューが信じられない行動に出る。
「もうアンナなんて知らない!!つけてくれないなら、この部屋の窓からから外に出ちゃうんだから!!」
「はっ!?ちょっと待って、意味が...」
「アンナの馬鹿ー!!」
制する間もなく、アンドリューが窓際へと駆け寄り、窓を開ける。
わたしの部屋は屋敷の2階だから、そこまでの高さなく、このまま落ちても死にはしない。
それでも落ちた時に打ち所が悪かったりしたら普通に怪我するし、最悪昏睡状態になるかもしれない。
そんな不安が頭に過ったわたしは、堪らず声を上げる。
「わかった、わかったわよ!!!つければいいんでしょ、つければ!!」
その言葉を待っていたかのように、アンドリューは窓辺に足をかけたまま振り返ってくる。
「本当に!?わーい、嬉しいな」
この男、絶対にわざとやってる...。
白々しいその笑顔に腹が立つものの、わたしは渋々ネックレスを首につける。
その姿を見て、アンドリューはるんるんと足を跳ねらせて傍へと寄ってくる。
「お揃い嬉しいなー、へへ」
自分の首元にかけている同じネックレスを取り出し、満足そうに笑う。
本当にとんでもない兄だと呆れつつも、その笑顔でなんかどうでもよくなってしまった。
まぁ、今までもペンダントをつけてたし、これぐらいいっかな...
何に対する弁明か、自分でもよく分からなかったが、とりあえずこの場ではあまり気にしないようにした。
・
その数日後、セドリックと定期的に行っているお茶会という名の逢瀬のために王都にあるセドリックの屋敷を訪ねた。
迎えられると同時に、セドリックに抱き寄せられ、額に口付けを落とされる。
「会いたかった、アンナ」
愛でられるように灰色の瞳に見つめられると、まだどうしていいかわからなくなる。
顔を真っ赤にしたまま呆然としているうちに、セドリックに手を引かれ、そのまま応接間へと移動する。
お茶が用意される間にもセドリックからの触れ合いが止まることはない。
隣同士でソファに座ると、肩を抱き寄せられ、髪を梳かれる。
時折、髪に口付けられ、耳の後ろにも触れられる。
羞恥心とくすぐったさで、肩を縮こませていると、今度は左手に手が伸びる。
撫でるように持ち上げられ、確かめるように指を絡められる。
すると、セドリックの動きが止まる。
「......?」
不思議に思い、セドリックを見ると、何故かわたしの左手を神妙な面持ちで凝視している。
「セドリック...?」
「......アンナ」
絡まっていた指をほどき、左手首を掴まれる。
そして、少しずつ顔を近付けてくる。
えっ、何?
まさか、こんなに人がいるところでキスするとかじゃないわよね...!?
サラとセシルが素知らぬ顔でお茶の準備を進めているのを横目に、わたしは焦り始める。
さすがにまだ、人前は、無理ーー!!!
「セドリ...」
「婚約指輪はどうした?」
口付けを拒もうと、声を上げようとした瞬間、セドリックの低い声が耳に入った。
「...へっ?」
素っ頓狂な声が漏れると、セドリックの眉が少しだけ反応する。
「先日、君に渡した指輪だ。まさか、本当は気に入らなかったのか?」
左手首を掴んでいたセドリックの右手がわたしの掌を撫で、もう片方の手とともに左手を包む。
「えっ、そんなことないわ。本当に素敵だと思っているわ」
「なら、何故嵌めていない」
ずいっと詰め寄られ、思わず背中が少し仰け反る。
「な、なんでって...」
灰色の瞳に間近で見つめられ、言葉が詰まる。
セドリックに貰った婚約指輪はグランヴィルの屋敷のわたしの部屋の机の上に、箱ごと置いてある。
毎日眺めてはいた。でも、勿体なくてつけられなかった。
そう正直に伝えればいいもの、何故だか言葉が出てこない。
わたしが口をもごもごさせていると、セドリックの視線がわたしの首元に下がる。
そして首にかけているアンドリューとお揃いのネックレスに手をかけ、引き抜かれる。
「ちょっと...!!」
突然の行動に驚き、声を上げるも、セドリックは凪いだ水面みたいな静かな顔をしている。
その表情に何故か背中がぞわりとした。
あれっ、もしかして少し怒ってます...?
「...同じものを、アンドリューが首にかけていた」
「そりゃあ、アンドリューに貰ったものだし...」
セドリックの意図がわからず、不安気に見つめると、セドリックは感情を押し殺したような表情を向けてくる。
「君は、」
低い声で詰め寄られ、思わず後ずさる。
しかし、気付けば背は既にソファの端まで追い詰められていた。
それでも逃げようとして体が後ろへ傾いた瞬間、セドリックが覆いかぶさるように身を乗り出し、至近距離からわたしを覗き込んだ。
あまりにも距離が近すぎて、息が止まる。
というか、サラもセシルもいるのに、こんな体勢...
視線をお茶の用意をしているはずの2人のほうに向けるも、どちらの姿もなく、いつの間にか部屋にはわたしとセドリックの二人しかいなかった。
「アンドリューのは、つけるんだな」
低く、落ち着いた声が振り注がれる。
見上げると、セドリックは無表情だったが、瞳の奥に微かに怒気が孕んでいるように見える。
その瞳にぞくりと心臓が撫でられるような感覚に陥る。
「そ、それは」
弁明しようと声を上げるも、責めるように見つめてくる灰色の瞳に怯んでしまう。
セドリックの指がネックレスのチェーンを伝いながら、首筋をなぞる。
伝ってくる感触が妙に艶めかしくて、不穏な空気なのに、胸が高鳴る。
「アンナ」
セドリックがわたしの耳元に顔を埋める。
吐息が耳元に触れ、肩がぴくりと震える。
「わたしは、君を愛している」
突然、愛を囁かれ、頭が真っ白になる。
胸の動悸が止まらない。
頬に熱が溜まっていく。
「君は、わたしを愛してくれないのか?」
セドリックは顔を上げ、わたしの左手をとり、薬指に口付けをする。
懇願するような瞳に捉えられ、もう逃げられないと観念したわたしは顔を真っ赤にして、口を開く。
「あ、愛してます...」
震える声で愛を呟くと、セドリックの動きが止まる。
顔を逸らされ、深いため息を吐く。
「...すまない、取り乱した」
額に手を当て、前髪を掻き上げる。
余裕なさげなそんな仕草にも胸を高鳴らせ、釘付けになっていると、優しく体を起こされる。
「どこか、痛むところはないか」
「だ、大丈夫...」
先ほどの少し強引だったものと打って変わって、優しい手つきで触れてくる。
いつものセドリックに戻ったと安堵する。
しかし、未だに視線は左手の薬指に向けられている。
「あ、あのね、セドリック」
意を決して声を上げると、セドリックの視線が顔へと上がる。
「指輪、本当に本当に嬉しかったのよ。とても素敵で、汚したくなかったの。だから気軽にはつけられないわ」
今度はわたしから、セドリックの手に触れる。
「でも、それであなたを傷つけてしまったのなら、...ごめんなさい。もっと、あなたの気持ちを考えるべきだったわ」
項垂れるように頭を下げると、セドリックは慌てたように手を握り返してくる。
「違うんだ、アンナ...。君は悪くない。これは、...これはわたしの、醜い、ただの嫉妬なんだ...」
わたしの両手を抱き寄せ、消え入りそうな声でそう呟くセドリックに、わたしは目を瞬かせる。
「嫉妬?セドリックが?誰に?」
「...............」
答えたくないのか、セドリックが視線を逸らす。
「......もしかして、アンドリュー?」
まさかと思い、その名前を出すと、図星だったのかセドリックが気まずそうに目を伏せる。
嘘でしょ!?
「そんな、セドリック、どうして?」
驚きを隠せないでいると、セドリックが苦虫を噛み潰したような表情で唇を噛む。
「...まさか、このネックレス?やだ!気にすることないのよ、セドリック」
わたしは胸元からプレートを取り出す。
「ほら、見て。こんなのどこにでも売ってるようなものに、アンドリューが雑に彫っただけのものよ。セドリックから貰った指輪と比べるほどのものじゃないわ」
しかし、セドリックの表情は緩まない。
「それでも、君が身につけたのはそのネックレスだ」
「それは、アンドリューが駄々をこねたからよ。つけないと飛び降りるなんて脅してきたのよ」
さすがにここまで言えば納得してくれると思っていたが、どうやらセドリックはまだ腑に落ちないらしい。
どうしたものかと頭を傾げると、わたしの両手を包んでいるセドリックの手に微かに力が込められる。
「......なら、わたしも駄々をこねれば、いいのだろうか」
「...へっ?」
急に、何を言い出したのかと思うと、セドリックはわたしの左手を持ち上げる。
抑え込んでいた感情が滲み出るように、セドリックがわたしの指を強く握る。
そして、自身の口元まで近付けると、そのまま薬指を口に含む。
「!?」
驚きで咄嗟に引き抜こうとするも、手首を掴まれる。
指越しに伝わる生温かく柔らかな感触が、あまりにも生々しくて、思わずたじろぐ。
すると、突然指の付け根に鋭い痛みが走る。
いったい何が起こっているのか一瞬わからなかったが、どうやら噛まれているらしい。
なんでこんなことをされているのか理解する間もなく、セドリックの口から左手が解放される。
濡れそぼった薬指の付け根にはくっきりと噛み跡が残っている。
それが妙に色っぽく見えて、思わず息を飲み込む。
「アンナ」
顔を上げると、熱の籠もった灰色の瞳と目が合う。
「次は、ここに指輪を嵌めているのが、見たい」
セドリックの視線が、噛み跡の残る薬指を確かめるように撫でる。
そんなお願いされたら、断ることなんて出来るはずもなく、わたしは顔を真っ赤にさせ、弱々しく頷くことしか出来なかった。




