アンナ様がいなくなった日々
「はぁ...」
日々の業務である部屋の掃除を熟しながら、サラは静かにため息を吐く。
アンナ様、今頃どうしてるかな...
数日前までこの部屋に滞在していたアンナ・グランヴィル子爵令嬢のことを思い出す。
物静かで、人当たりが柔らかく、笑顔が素敵な方だった。
なのに、セドリック様ったら、そんなアンナ様と婚約破棄するなんて...
自らの雇い主だが、腹の底からセドリックに怒りが湧き上がり、拳を強く握りしめる。
婚約破棄を言い渡されてから、屋敷を出ていくまで、アンナは明るく振る舞っていたが、時折落胆した表情を見せていた。
最後の最後だって、自分たちに気を遣って、泣くのを我慢してくれていた。
もぉーー、本当にいい子!!
最初、屋敷に来たときは活力が全くなく、立っているのもやっとというぐらい弱っていた。
セドリックから執事長のテイメン経由で、アンナを四六時中監視して、絶対に死なせるなという指示が下されたときは何事かと思っていたが、衰弱しきっていたアンナを見て納得してしまったのを覚えている。
何も知らずにアンナの大切なペンダントを外そうとしてしまったときの、彼女のひどく怯えた顔が今でも忘れられない。
きっと、大切な方から頂いたもののはずなのに、確認もせずに触れようとしてしまった自分は使用人失格である。
しかし、アンナはサラを責めたてることはせず、何事もなかったように接してくれた。
責める気力も残っていないほど弱っていた可能性もあるが、そこはあまり気にしないことにした。
その後は、最初の数日間はひどく警戒されていたが、適応力が高いのか、すぐに屋敷の生活に慣れていった。
珍しく寄宿学校から帰ってきていたセドリックとも穏やかに話していたし、元気になられたと安堵した次の日にアンナが爆発した。
大声で叫び、セドリックを責め立てるアンナに驚かされたが、その後は子供のように泣きじゃくる姿に胸が痛んだ。
事情は詳しく聞かされなかったが、どうやらアンナは双子の兄を不慮の事故で亡くし、死ぬ一歩直前まで追い詰められていたらしい。
そんなこと聞かされたら、ますます放ってはおけなかった。
しかし、セドリックとの衝突の後、何か吹っ切れたのかアンナが少しだけ明るくなった気がした。
自分から花を植えたいと庭師のマーチと一緒に花を植えたり、使用人たちとも積極的に接するようになった。
常に無表情で近寄りがたいセドリックも、アンナの前では穏やかで柔らかな表情を見せていた。
このまま二人が結婚したら、重苦しい空気が漂うこの屋敷も少しは明るくなるかもしれないと、期待した矢先の婚約破棄。
本当に、なんでなの?
「サラ、手が止まってる。きちんと、仕事して」
背後から一つ下の妹、セシルの声が聞こえた。
「セーシール!!」
思わず抱きつこうとしたが、あっさりと躱される。
「また、アンナ様のことを思い出していたの?」
さすが長年一緒にいるだけあって、考えていることをすぐ見破られる。
「だってー、納得できないんだもん!!なんでセドリック様、婚約破棄なんてしちゃったのかしら。アンナ様のこと大切になされていると思っていたのに!!」
婚約破棄後、アンナが屋敷から出ていくまで一度も姿を現さなかったのに、出て行った翌日に戻ってきていた。
まるで意図的にアンナに会わないようにしているかのようだった。
感情が顔に出ないので、セドリックが何を考えているのか、まるでわからなかった。
お似合いの二人だと思っていたのに、見当違いだったのかと落胆する。
「......今も、大切になされてると思うわよ」
「だったら、なんでこんなことになってんの?」
「...それは、まぁ、セドリック様、だからじゃないかしら」
「はぁ?」
セシルが何を言っているのか、全然わからない。
問い詰めようとするも、セシルが持っていた大量のシーツを押し付けられる。
「今は仕事。やることまだいっぱいあるんだから」
「...はぁーい」
さすがに給料分は働かないとなと、サラは渋々受け取ったシーツを洗濯籠に詰める。
「それにしても、最近セドリック様、変よね」
「変って?」
洗濯籠を持ち上げ、部屋の外へと移動させる。
「今まで寄宿学校から戻られたときって、ほとんど書斎に籠もってたじゃない?なのに、ここ最近は書庫にいたり、離れの塔に足を運ぶようになったの」
そういえば、どちらもアンナのお気に入りの場所だったなと口にしてから気付く。
「いったい、どうしちゃったのかしらね?運動不足とか?」
「......」
セシルから冷ややかな視線が送られてくる。
「サラ...、あなたって細かいとこ見てるようで、肝心なことは気付かないのね...」
「えっ?なんか言った?」
よく聞こえなかったので、耳を傾けるも、セシルは首を横に振る。
「いいえ、何も。ただ...」
「ただ?」
「もしかしたら、あなたが望む未来が来るかもしれないわね...」
「...?」
いったい、どういうことか聞こうとするも、セシルは洗濯籠を持って、廊下を歩いていってしまった。
一人、部屋に取り残されたサラは、胸のもやもやが晴れないまま、部屋の掃除を進めることにした。
その数カ月後、再びアンナが屋敷を訪れた時、サラは心の底から喜んだのであった。




