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50.



「....ここって...」



馬車から降りると、目の前に、見覚えのある建物が見える。


数ヶ月前、少しの間だけ滞在していた王都郊外にあるセドリックの屋敷だった。



「...困るわ、セドリック。わたし...」



セドリックに振り返る。


実のところ、セドリックからは手紙で何度も屋敷へ訪れてほしいとお誘いがあった。


その度に、何かと理由をつけて断っていた。


理由をうまく言葉にすることはできない。


けれど、今の自分のままでは、あの屋敷に足を踏み入れてはいけない気がしていた。


足が竦む。


しかし、セドリックは気にすることなく、手を差し伸べてきた。



「大丈夫だ、アンナ。君を連れていきたい場所があるんだ」



不安気にセドリックを見上げる。


まだ少し怖い。


でも、セドリックなら本気でわたしの嫌がることはしないだろうという信頼もある。


....信じてもいいわよね。


わたしは躊躇いがちに差し伸べられた手に、手を重ねる。


優しく包み込むようにその手を握ると、セドリックはゆっくりと歩き始めた。


セドリックは屋敷とは反対側の方向に足を進める。


どこに連れて行くつもりなのだろう。


広い背中を見つめながら、静かに後ろをついていく。


そういえば、この先にある小さな丘にたくさん花の苗を植えたんだっけ。


懐かしいな。


あの時、植えた苗はもう枯れて、元の殺風景な丘に戻ってしまったかもしれない。


そう考えると、胸の奥が少し痛んだ。


...あれ?


手を引かれたまま、流れていく景色で気付く。


もしかして、この道って、あの丘に...


進んでいくうちに道が開け、目の前に広い丘が広がっていく。


丘の上には、柔らかい風が吹いていた。


目の前には様々な花々が咲いており、夏の光を受けて揺れている。


バラやデルフィニウム、マーガレットなど色んな種類の花が咲いていたが、特に目を引いたのが丘の中心に咲き誇るひまわりだった。



「...すごい...」



自然と言葉が口から漏れる。


本来ならもう少し暖かくなってから花が開くのだが、ここのひまわりは既に咲き揃っている。


不思議に思い、セドリックを見上げる。



「開花の早い種類を南方から取り寄せた」



わたしの意図を汲んでくれたセドリックが淡々と答える。


なるほど、それなら納得だ。


もう一度、花に視線を戻そうとしたが、握られている手に力がこもるのを感じた。


セドリックが、真っ直ぐとこちらを見ている。


風が止み、静かになる。



「アンナ」



名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。



「......君に、伝えたいことがある」



...わかっていた。


今日、この場所に連れて来られた時から。


でも、いざその瞬間が来ると、うまく息ができない。


視線を逸らしたくなるのを堪えて、セドリックを見上げる。


その瞳は、まっすぐで、揺るぎなく、吸い込まれそうになる。



「......わたしは、君を失いたくない」



静かに、言葉が落ちる。



「だから、守ると決めた。何があっても、生かすと」



その言い方は、どこまでもセドリックらしくて、少しだけ可笑しいのに、胸が熱くなる。



「だが、それだけでは足りないと理解した」



一歩、距離が詰まる。



「君が、どう生きるかは、君が決めるべきだ」



低く、穏やかな声だった。



「......だから、選んでほしい」



息が止まる。



「わたしと共に、生きることを」



それは優しいのに、逃げ道を与えない言葉だった。


足元がぐらつくような感覚に襲われる。


どうして、そんなことを言うの。


そんなの、簡単に答えられるわけないじゃない。


喉がひくつく。


何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない。


怖い。


この先を選ぶことが。


変わってしまうことが。


......でも。


ぎゅっと、無意識に手を握る。


視線を落とすと、自分の手が震えているのが見えた。


こんなに、怖いのに。


どうして、離れたいとは思わないんだろう。


どうして、ここにいたいって思うんだろう。


ゆっくりと、顔を上げる。



「......わたし、」



声が震えている。



「まだ、ちゃんと、わかってない」



正直な言葉だった。


セドリックは何も言わない。


ただ、待っている。


それが、余計に逃げられなくする。



「怖いの。......失うかもしれないことが」



掠れた声がこぼれる。



「でも......」



一歩、踏み出す。


自分でも驚くくらい自然に、体が動いた。



「それでも......あなたといたい」



胸が痛い。


でも、目は逸らさない。



「......だから」



逃げないように、息を吸う。



「わたし、あなたと生きる」



一瞬、風が吹き、花が揺れた。


その音の中で、セドリックが小さく息を吐いた気がした。



「......そうか」



それだけだった。


でも、その声はどこか柔らかくて、わずかに力が抜けているように聞こえた。


風の中で、花が揺れている。


緊張が解けて、一息つく。


すると、腕を引かれ、腰を掴まれる。


距離が一気に縮まり、目と鼻の先に顔がある。


鼓動が加速する。


壊れものを触るかのように、わたしの頬に優しく触れる。



「.....触れても、いいだろうか」



いつになく真剣な眼差しで見つめられる。


何に対しての許可なんて、聞かなくてもわかる。


もう、逃げられない。


わたしは、小さく頷いた。


セドリックの顔がゆっくりと近付いてくる。


そして、触れるだけの口付けを交わした。


それだけで、心臓が口から出てきそうなぐらい高鳴る。


唇が離れ、ほっと息を小さく吐く。


視線を合わせることが出来ず、目を少し伏せる。


その瞬間、唇を塞がれる。


今度は、触れるだけのものではなく、何かを確かめるような口付けだった。


いきなりで驚いたが、いやではなかった。


そのまま、瞼を閉じる。


....わたし、この人と、これから一緒に生きていくんだ。


胸の奥がじんわりと熱くなり、やがて心地よい温かさになり溶けていった。


風に揺れる花の音だけが、静かに響いていた。



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