44.
そこは王宮敷地内の北側、奥深く、隠されるようにひっそりと佇む建物だった。
他の建築物と比べ、無機質なその建物は、その役割を体現するように異質な空気を放っていた。
「...僕も一緒に行こうか?」
その空気にたじろいでいると、ここまで一緒についてきたアンドリューが隣から声をかけてくる。
わたしは、その提案に首を振る。
「...ううん、わたし一人で行く」
アンドリューをその場に残し、わたしは一人、建物の中に入っていく。
中に入ると、静粛に包まれており、空気がとても重い。
警備兵の他に、事情を把握している衛兵が待ち構えており、すぐさま目的の場所まで案内してもらう。。
目的の場所は長い廊下の一番奥の部屋だった。
部屋の前にも警備兵が一人駐在しており、わたしを見かけると、厳重に掛けられている扉の鍵を開ける。
部屋の中に入ると、目の前に飛び込んできたのは床から天井まで続く鉄格子。
扉と鉄格子の間にわずかな空間があり、鉄格子の向こう側には質素なベッドと小さな机と椅子だけが置かれている空間があった。
小柄な女性が椅子に腰掛け、扉と反対側に顔を向けている。
彼女の姿を見て、わたしは小さく息を吸い、吐いた。
ほんの僅かに指先が強ばる。
そして、彼女の名前を呼ぶ。
「...ベアトリクス」
ベアトリクスは反応しなかった。
先日、アンドリューとリチャード王太子殿下との会話の中で彼女の本名を知ったが、あえてその名前を呼ばなかった。
「ベアトリクス...」
もう一度呼んでみたが、反応はない。
無理もないか。
彼女からしたら、わたしはただセドリックを殺すための駒であって、それが失敗した今、もうどうでもいい存在なのだから。
「ベアトリクス。.......あのね、今日わたし、あなたにお別れを言いに来たの」
反応がないのを承知でわたしは一人、冷たい空気の中、語りかける。
「....あなたが、セドリックや、アンドリューを傷つけたこと、はこれからも....許すことは出来ないわ」
あの時、ベアトリクスに殺意を抱いたのは嘘ではない。
今でも、胸の奥に燻りは残っている。
でも、
「...あなたとの、お茶会はとても楽しかったわ」
彼女にとっては計画の一部だったのかも知れないけど、同い年の女の人とお話が出来て、戸惑いはしたけど楽しかった。
ずっと辺境の田舎に引きこもっていたわたしにとって、初めて友達が出来たみたいで嬉しかった。
その気持ちも、嘘ではない。
「....本当の、友達になれたら...」
もう叶わない、そんな想いを口にしようとすると、今まで無反応だったベアトリクスが微かに笑い声を上げる。
「...ふ、ふふ..ふはははは」
声が段々と大きくなり、静かだった部屋に反響する。
笑いが止まり、ベアトリクスはゆっくりとこちらに振り向く。
その顔に笑みは見られなかった。
「......馬鹿だね、君は。僕は君のことを利用していただけだよ」
感情が抑えられたような低い声だった。
「そんな君と僕が友達なんて....本当にどうしようもないね、君」
言葉が途切れる。
ベアトリクスが、顔を背ける。
「僕は、君のこと....嫌いだよ。....二度と僕の前に、現れないでくれ」
明確な拒絶だった。
わかっていたはずなのに、胸の奥が少しだけ苦しい。
「....そうね、ごめんなさい。....だから、もうこれで本当に最後」
目を伏せ、両手の指を緩く絡ませる。
「.....さようなら」
そして、静かに別れを告げた。
ベアトリクスは振り向かない。
わたしは、そのまま身を翻して、部屋から出ていく。
扉が閉まる最後まで、彼女がこちらを振り向くことはなかった。
建物から出ると、近くのベンチで待機していたアンドリューがわたしの姿を見つけるなり、近付いてくる。
「どうだった、アンナ?」
アンドリューがいつもの調子で聞いてくる。
わたしは、その問いには答えず、アンドリューに尋ねた。
「ねぇ...、ベアトリクス....、彼女はどうなるの?」
一瞬だけアンドリューは視線を落とす。
「...詳しくはわからない。けど、二度と会うことないと思う」
茶化されることなく、出てきたその言葉に目の奥が熱くなるのを感じる。
そして瞬く間に、視界が揺れていく。
自分でも、なぜなのかわからなかった。
それでも、止まらなかった。
「....アンドリュー」
「...なんだい、アンナ」
「少しだけ...肩を貸してほしいの」
アンドリューの返事を待たずに、わたしは肩に顔を埋める。
小さく嗚咽を漏らし、肩を濡らすわたしの耳元でアンドリューは囁く。
「...少しいない間に、強くなったね。アンナ」
「...どこが?」
涙が溢れて止まらない瞳でアンドリューを睨む。
アンドリューの穏やかな眼差しが目に入る。
「ちゃんと、お別れできるようになったね」
その言葉に、一瞬だけ涙が引いた。
しかし、またすぐに止まらなくなるぐらい大粒の涙が頬を流れ落ちてくる。
もう、彼女に会うことはない。
例え彼女の記憶が薄れたとしても、胸の奥に残った小さなガラスの破片のようなものは、消えることはないだろう。
絶対に。
涙が止まるまでアンドリューの肩を濡らし続ける。
春の終わりを知らせるように吹いてきた初夏の風が少しだけ、生温く感じた。




