41.
ずっと何か温かいものに包まれている感覚がする。
意識が定まらず、ぼんやりしていると、わたしの名前を呼ぶ声がする。
アンナ、アンナと聞き馴染みのある声なのだが、初めて聞くようなか細い声。
暗闇に、細い光が差し込む。
眩しさに目を細めながら瞼を上げると、滲んだ視界の奥に灰色が見えた。
...セドリック...?
朦朧とする意識の中、理由もわからないまま光に向かって手を伸ばそうとする。
腕がやけに重く感じる。
しかし、伸ばす手を止めることはしない。
指が何かに触れる。
反射的に離れようとしたその手が、逃がさないように包み込まれる。
「...アンナ」
心底安堵したような表情をした男性の顔が見える。
灰色の瞳が穏やかに目を細める。
「....セド、リック...」
喉から振り絞るように出た声は驚くぐらい弱々しい。
視界が少しずつはっきりとしていく。
今度は、しっかりとセドリックの顔がわかる。
...なんで...
状況が理解できずにいると、頭を抱えられ、強く抱き寄せられる。
微かにセドリックの体が震えていることを感じ、無意識に手を背中に回す。
覚めきっていない頭で顔を上げると、セドリックの肩越しから、少し離れたところにある椅子に腰掛け、頬杖をついている女性と目が合った。
彼女は視線に気づくと、にっこりと笑いかけてくる。
「おはよう、アンナ」
そこで、全て鮮明に思い出す。
そうだ、わたし、......賭けに負けたんだ。
紅茶が喉を通った瞬間、吐き気と目眩で崩れ落ち、呼吸が出来ないぐらいの胸の苦しみに襲われた。
薄れていく意識の中で、死んでしまうという恐怖より、セドリックを守れなかった悔しさが込み上げてきていたのを覚えている。
...でも、じゃあなんでわたし、生きてるんだろう...?
セドリックの温かさに体を預けたまま、笑顔のベアトリクスを眺める。
不意に、あの時の光景がよぎる。
机の上に置いたままの、解毒剤。
...........まさか
「その、まさかだよ。アンナ」
わたしの表情を読み取ったのかベアトリクスが声を上げる。
「君は確かに、毒を飲んだ」
ベアトリクスが椅子から立ち上がる。
「でも、君は生きてる」
一歩、また一歩と近付いてくる。
「簡単な話だよ。君は選ばれたんだ」
ベッドの傍らまで来て、セドリックに視線を向ける。
「彼にね」
心臓が大きく跳ねる。
そんなはずがないと、頭が必死に否定する。
「まったく躊躇いがなかったよ。すぐに、君を選んだ」
ベアトリクスはその場でしゃがみ込み、覗き込むようにわたしを見上げる。
そして、満足気に微笑んだ。
「アンナ。やっぱり、君は最高だよ」
頭が真っ白になる。
心がどんどん冷えていく。
セドリックの背中に回した手に、思わず力が入る。
ベアトリクスが手を叩き、立ち上がる。
「それじゃあ、アンナも目覚めたことだし。次は、君の番だ。セドリック・レッドフィールド」
その言葉に、セドリックの体が僅かに反応する。
強く抱き締めたまま、名残を惜しむように、ゆっくりと腕をほどいていく。
わたしは、離れていく腕を掴もうとするも、体が重く、思うように動かない。
それでも、必死に手を伸ばし、上着の裾を掴むことが出来た。
「...離すんだ、アンナ」
セドリックの低い声が、響く。
わたしは、俯いたまま首を振る。
「...アンナ」
今度は宥めるように穏やか声で、呼ばれる。
手を離されそうになり、もう片方の手でも裾を掴む。
「やだ...」
絞り出すように出た声はひどく震えている。
涙が自然と溢れ出す。
「やだ、やだ...やだ!!行かない...で!!お、願いだから...!!!」
息が乱れ、言葉にならないまま、泣きじゃくる。
セドリックがいなくなると想像するだけで、息が出来なくなるぐらい怖くなる。
「...一緒に、せめて一緒に..」
死なせてほしいと懇願しようとするも、涙で喉が詰まり、声が出ない。
服を掴んだ手の上から、そっと手が重ねられる。
その温もりに、顔を上げた。
迷いを切り捨てたような静かな瞳と目が合う。
「.....すまなかった」
静かな声だった。
「だが、君には生きてほしかった」
「....そんなの、知らない!!!」
涙でぐしゃぐしゃのまま叫ぶ。
「どうして、いつもおいていくの...!!!なんで、勝手に決めるの....!!!」
喉が痛い、声が枯れそうになる。
でも、叫び続ける。
「わたしだって...、生きてほしいのに...!!」
重ねられた手を握り締める。
「...あなたが、いたから....アンドリューがいなくても、生きて、これたのに....!」
なのに....
「...ありがとう、アンナ。....だが、選び直すつもりはない」
その声には、迷いが欠片もなかった。
手の温もりが離れていく。
繋ぎ止めようと手を伸ばすも、後ろに引っ張られて、空振りする。
セドリックの背中が遠ざかっていく。
「やだ、やだ、やだぁ...」
必死に体を前に動かそうとするも、背後から肩に腕を回され、それが叶わない。
「よく見てて、アンナ。君が守ろうとした男の姿を」
耳元でベアトリクスが囁く。
「そして、彼が愛によって死んでいく様をしっかりと目に焼き付けるんだ」
セドリックが部屋の中央で足を止める。
扉の前に佇んでいた大柄の男が背中に携えていた剣を構え、セドリックへと近付いていく。
「...お願い、ベアトリクス。放して...」
逃げ出そうと必死に藻掻くも、毒を飲んだせいなのか力が出ない。
やだ、やだ、やだ……やだ
セドリックが死んでしまう。
呼吸が浅くなる。
うまく、息が吸えない。
咄嗟に、目の前にあった細い腕に歯を突き立てた。
「っつ...!?」
突然の痛みに驚いたベアトリクスは腕の力を僅かに緩める。
その隙に、最後の力を振り絞り、ベアトリクスの腕を振りほどき、抜け出す。
「...セドリック!!」
セドリックの正面に立つ男が、剣を空中に振り翳す動作が見えた。
セドリックへ向かって、無我夢中で走り出す。
あと少しというところで、ドレスの裾に足を取られ、前のめりに躓く。
そのまま転がるように体が倒れ、起き上がろうとすると、後ろからベアトリクスの焦ったように怒鳴る声が聞こえてきた。
「アンナを傷つけるな!!!!」
顔を上げようとした、次の瞬間。
「....ぐっ!!」
鈍い音がして、わたしと男の間に割り込むように、視界の端で血が跳ねた。
....嘘。
男からわたしを庇うように立ちはだかっていたセドリックの右の脇腹から血が流れている。
そのままセドリックは倒れ込む。
「セドリック!!!!」
這いつくばりながら、彼の元へと近寄る。
セドリックの呼吸が荒い。
流れ出てくる血を抑えようと、脇腹を手で押さえるも血が溢れて止まらない。
「やめろ、バン!!!セドリックだけを狙え!!!アンナは斬るな!!!」
セドリックを死なせないために必死になっていて、ベアトリクスの声が耳に届かない。
そして、目の前の男が再度、剣を振りかざそうとしたその時
建物全体が揺れるような大きな音が部屋中に轟いた。




