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35.



アンナと別れたあと、セドリックはそのままリチャードの執務室へ向かった。


扉をノックする。


返事を待たずに開けると、机に向かっていたリチャードが顔を上げた。



「ようやく戻ってきたか。突然、用事を思い出したとか妙なこと言い残して消えるなど、本当にお前は護衛としての自覚が.....どうした?」



言葉が途中で止まる。



「珍しく呆けているではないか」



セドリックはすぐに答えなかった。


わずかに視線を逸らす。


間を置き、短く一言。



「...なんでも、ありません」


「...ふむ。まぁ、いい」



リチャードは特別気にかけることなく、次の話題に進める。



「それより、面白いことがわかったぞ。聞きたいか?」



口元を緩ませ、言いたげそうにこちらを窺ってくる。


内心苛立ちを覚えたが、面倒くさくなるので、そのまま話を聞くことにする。



「なんでしょうか?」


「先日の春の到来を祝う舞踏会で無体を働いた者を覚えているか?」



その言葉に、一瞬だけ体が反応する。


あの夜、アンナに乱暴をし、傷を負わせた男だ。


顔は覚えてはいないが、思い出しただけで怒りが込み上げてくる。


無意識に拳を握りしめる。



「その男が、何か?」


「最近ようやく意識を取り戻したので、取り調べを行っているのだが、おかしなことを言っているらしい」


「と、いうと?」


「グランヴィル子爵令嬢を襲ったのは、あの女に誑かされたからと。その女というのが、会場で男と口論になっていた令嬢のことらしいのだが、妙だと思わないか?」



あの時のことを、思い出してみる。


アンナの後ろに隠れるように震えていた女性だった。


アンナに庇われて離れたはずなのに、また自ら接触するのは不可解だ。


それにその後、アンナの不在について近衛兵に訴えていたのも彼女だった。



「...確かに、そうですね」



同意を口にすると、リチャードが大きく頷く。



「そうであろう。だから、その話を元にどこの令嬢だったのか調べているのだが、何せこれといった特徴がなくてな...俺も直接見ていたが、正直自分より美しくないとあまり印象が残らないのだ」



ふざけてるように見えるが、いつものことなので、特に反応しない。



「セドリック、お前は覚えているか?」



記憶を辿る。だが、小柄だったことくらいしか思い出せない。


脳裏に焼き付いているのは、真紅のドレスのアンナだけだ。


あの日は視界の端に常にアンナの姿を捉えていたため、他のことはあまり覚えていない。



「...申し訳ありません。わたしも、はっきりとは思い出せません」


「ふむ、そうか...」



頬に指をあて、片肘を机につき、リチャードは考え込む。


その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。



「失礼いたします!!リチャード王太子殿下、ご無事でしょうか!!」



荒々しいノックと同時に、乱暴に扉が開かれる。


息を切らして入ってきた近衛兵は、リチャードの姿を確認すると安堵の表情を見せる。


その後ろに、後から駆けつけてきた他の近衛兵の姿も見える。



「何事だ。無礼は許す、申してみよ」



明らかに異常事態が発生したと感じたのか、リチャードの声が低くなる。



「はっ!!先ほど近衛兵が一人、中庭の渡り廊下で見慣れぬ大柄の男に腕を斬られました」



空気が一変する。


王宮内にて傷害、しかも外部の人間の仕業となると緊急度が高い。



「侵入者か...。その様子だと捕らえられず、逃げられたようだな」


「申し訳ございません。呻き声が聞こえた時に他の兵は近くにおらず...それに、男一人だけではありませんでした」


「仲間がいたということか?」


「いえ、それがドレスを着た女性が二人」


「女だと?正装となると、どこかの令嬢か...。誰か、見覚えはあるか?」



王宮内にいる正装の女性となると、人数は限られている。


よほど身分が高くない限り、貴族の令嬢が王宮に出入りすることはない。


そのはずだが、妙な胸騒ぎがする。



「いえ、一人は小柄で顔が確認できませんでした。もう一人は...」



近衛兵が濁すように言葉を切る。


そして、セドリックに一瞬だけ視線を向けると、思い出したかのようにその名を口にした。



「グランヴィル...。そうです、もう一人はアンナ・グランヴィル子爵令嬢です」


「...なにっ!?」



リチャードが驚きで声を上げる。


アンナの名が出た瞬間、息が止まる。


脳裏に浮かぶのは、別れ際のアンナの姿。


体の奥で、何かが軋む。


血が逆流するような感覚に、拳を握りしめる。


報告の続きをしようと口を開こうとした近衛兵が、何かを察知し息を呑む。


誰も、声を発しなかった。



「抑えろ、セドリック」



そんな中、一人変わらぬリチャードが口を開く。



「兵が怯える。少し冷静になれ」



リチャードに諭され、息を深く吐き、ソファに腰掛ける。



「申し訳、ありません...」



拳を握る手を緩める。


掌に爪の跡が滲んでいる。



「よい。続きを申せ」


「...はっ!!その後、男は二人を連れ、行方を眩ませました。現在、王宮敷地内を探していますが、それらしい目撃情報はまだ出ていません」


「ふむ...。諸々と疑問に思うことはある。が、まずは連れ去られた令嬢たちについてだ。小柄なほうはまず置いといて、グランヴィル子爵令嬢は何故王宮にいた」



誰も答えない。


リチャードはセドリックに視線を移す。



「セドリック、お前は何か知っているか」


「...存じません。ただ、フレデリカ王女殿下の近衛騎士、シノンと一緒にいました」


「フレデリカに呼ばれたか...。話を聞く、シノンを連れてこい」



近衛兵の一人が、シノンを呼びに部屋を出た。


少しして、軍服姿の長身の女性が現れた。



「お呼びでしょうか、王太子殿下」


「うむ、率直に言おう。アンナ・グランヴィル子爵令嬢が何者かに連れ去られた」


「グランヴィル子爵令嬢が...!?」



シノンが目を見開き、一瞬だけセドリックに視線を向ける。



「フレデリカに呼ばれて王宮に訪れたはずだ。何故呼んだ」


「それは...」



返事に言い淀むシノンは拳を震わせる。



「申し訳ございません...。フレデリカ王女殿下からそのことについて言及せぬよう仰せ使っています」


「俺が話せと言っている。許可しよう」


「いえ、申せません!!しつこく追及してくる場合、王太子殿下の耳を物理的に聞こえなくするように命じられています。これ以上聞かれると、殿下の鼓膜を破かなければいけなくなります...!!」


「何故、俺の鼓膜限定なんだ...。そこまで聞かれたく内容なのか...。まぁ、いい。それで、グランヴィル子爵令嬢をその後、どうした。きちんと送り届けたんだろう」



リチャードの言葉に、シノンが目を伏せる。



「...いえ、送り届ける途中でセドリック殿と鉢合わせたので、グランヴィル子爵令嬢とはそこで別れました」



そして、セドリックの方に振り向く。



「...セドリック殿と、ご一緒ではなかったのですか?」



頭を打ち据えられたような衝撃が走る。


呼吸が浅くなり、視界が狭まる。



「最後にグランヴィル令嬢に会ったのはセドリックということか...。セドリック、その後どうし...」



異変に気づき、リチャードは言葉を止める。



「セドリック!!」



怒声にも似た声で呼ばれ、我に返る。



「....申し訳、ありません」


「しっかりしろ。お前らしくない」



リチャードはわざとらしく大きくため息を付き、腕を組み、話を続ける。



「それで、その後どうした?」


「...少し、話をして、別れました」


「彼女を、一人にしたのか」


「........はい」



自分と別れた後に、アンナは連れ去られた。


彼女の意思を尊重したはずだった。


.....だが、


何故、あの場から離れてしまった。


自分の判断に、奥歯をきつく噛み締めた。




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