34.
「本日はお招きいただき、ありがとうございました。そろそろお暇させていただきます」
用意してもらったお茶も飲み終え、そろそろ日が沈み始めるので、フレデリカ王女殿下に帰りの挨拶を済ませる。
王女殿下は扇子を閉じたり開いたり、落ち着きのない様子だったが、最後に意を決したように口を開いた。
「また、いつでも好きなときに来るといいわ。その時は...あの男の話をもっと聞かせて頂戴...」
照れ隠しなのか、後半は扇子で顔を隠していた。
可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「わたしでよろしければ、喜んで」
こうして、初めての王宮からの呼び出しはほんの少し寂しさを残しながらも、平和的に終わったのであった。
帰りは来た時と同じようにシノン様に送ってもらうことになった。
長身のシノン様が横に並んだ時、丁度セドリックと同じぐらいの視線の高さだなって思った時、後ろから声が聞こえてきた。
「アンナ嬢」
名前を呼ばれ、歩みを止める。
振り向かなくても誰だかわかるその声に、全身が震え上がる。
足音が近付いてくるたびに、心臓の音が大きくなっていく。
やがて、足音がすぐ後ろで止まり、わたしはゆっくり振り向いた。
「...セドリック」
目の前にセドリックがいるだけで胸の鼓動が早くなる。
灰色の瞳に見られていると思うと、目を伏せたくなる。
今、会いたくなかったな...。
無意識にハンドバックを強く握る。
「...グランヴィル嬢、わたしはこれで失礼します。セドリック殿、あとはよろしくお願いいたします」
「えっ、あっ...」
セドリックとわたし、それぞれにお辞儀をし、シノン様は背を向ける。
正直、今二人っきりにされたくなかったから、呼び止めようとすると、セドリックに遮られる。
「体の具合は、よくなったのか?」
「えっ、えぇ、まぁ、おかげさまで...」
そういえば、最後に別れた時、色んな意味で足取りがおぼつかない状態だったんだっけ...。
わたしの返答にセドリックは安堵したような表情を見せる。
その表情に罪悪感が胸に過る。
その場から逃げたくなり、わたしは一歩、足を後ろに引く。
「...それじゃあ、わたし、帰らないと...」
体を翻し、セドリックに背を向けようとしたその時、引き止められるように手首を掴まれる。
驚きで振り向くと、セドリックも自身の行動に驚いているのか目が見開いている。
「す、すまない...。不用意だった...」
慌てて手を引っ込めたセドリックは、珍しく視線を泳がせている。
何かを口にしようと開きかけるも再度口を閉ざし、唇を噛み締める。
そして、意を決したようにわたしの瞳を真っ直ぐ見据え、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「...また、新しく花が咲いた。時間があれば、見に、来ないか」
どこか緊張気味なセドリックを見て、わたしは静かに息を漏らした。
...もう、これ以上は駄目だ。
これ以上は溢れ、出てきてしまう。
わたしは、震える手でハンドバックの中の箱を取り出す。
一瞬だけ、箱に視線を落とし、目を閉じる。
ゆっくりと顔を上げ、セドリックの前に、箱を差し出す。
「終わりに、しましょう」
そして、精一杯の強がりを口にした。
何を言われているのかよくわかっていない様子のセドリックが差し出された箱を見て、息を呑むのがわかった。
「今の、ままだとお互いのために、よくないと思うの」
声から気持ちを悟られぬように、口調を強める。
背筋を伸ばし、肩に力を入れる。
「だから、これは、返すわ」
決心が鈍らないように、逸らすことなく、真っ直ぐ前を見る。
セドリックは表情を、見せなかった。
目の前に差し出された箱を凝視し、ぎこちない動きでそれを受け取る。
何か言いかけるように口を開こうとするも、飲み込むように口を閉ざした。
そして、静かに一言。
「......わかった」
セドリックの言葉に胸が締め付けられるように苦しくなる。
「それじゃあね、セドリック。さようなら」
最後に笑顔でお別れの挨拶をすると、セドリックは一瞬だけこっちを見て、すぐに目を伏せる。
「あぁ...」
そう短く返事をし、わたしに背を向け、歩き出す。
小さくなっていく背中を、見えなくなるまで見つめていた。
...これで、本当に終わったんだな...。
............
...さてと、わたしも暗くなる前に帰ろう。
セドリックの背中が見えなくなったので、帰路につこうと振り返る。
しかし、帰り方がわからない。
来るときはシノン様の後をついて行っただけだからどうやって来たかなんて覚えていない。
周りに人もいない。完全に一人。
とりあえず下っていけば、いつか出口に辿り着くだろうと階段を探す。
...ちゃんと笑顔でお別れできたよね。
これで良かったんだわ。
元々、わたしとセドリックは生きる世界が違うんだもの。
それが、アンドリューの死によって、たまたま重なっただけ。
あの人は、責任感が強くて、優しくて。
だから、放っておけなかっただけ。
だから、勘違いだったのよ。
そんな人に勘違いでも特別だって言ってもらえただけでも喜ぶべきだわ。
将来、レッドフィールド侯爵の子息と少しだけいい感じだったのよって、ちょっとした自慢ができる。
なんとか階段を見つけ、下に降りると、渡り廊下が見えた。
そうよ。
時間が経てばきっと、いい思い出になる。
今はちょっと胸が苦しいけど、いつかきっと忘れられる。
渡り廊下の途中まで進み、歩みを止める。
...でも、ちゃんと好きだった。
本当に、本当に、好きだったの。
いつか、綺麗な思い出になってしまうけど、今もまだこんなにもセドリックのことが好き。
お別れなんて、したくなかった...。
そこで、必死に堪えてたものが溢れ出し、小さく嗚咽を漏らす。
「ーーーーっ」
すると、甘い香りとともに、後ろから誰かに抱きつかれる。
「可哀想な、アンナ様。自ら別れを告げるなんて、なんて健気なのでしょうか」
ベアトリクスの声だった。
どうしてここにベアトリクスが...と疑問を持つ前に、頭に靄がかかるような感覚に陥る。
体中の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになるも、後ろから支えられる。
「健気で、可愛いアンナ様。そんな君だから、セドリック・レッドフィールドの唯一の弱点になり得るんだ」
頭の中が朦朧となっていく中、耳元で何か囁かれるも、何を言われているのかわからない。
そのまま目の前が真っ暗になり、そこでわたしの意識が途絶えた。




