23.
指先の温もりだけを頼りに、しばらく動けなかった。
涙が落ち着いた頃、遠くのほうから足音が聞こえてくる。
セドリックが自分の上着をわたしの肩に掛ける。
それと同時に息を切らした近衛兵が小屋に入ってきた。
「セドリック様!!ご無事ですか!?」
「あぁ、わたしは問題ない」
セドリックが立ち上がり、近衛兵に状況を説明する。
その間に駆け付けた他の近衛兵たちも合流したのか、複数の話し声が聞こえてくる。
隣で地面にめり込んだ状態の男は未だに気絶中なのか、うめき声一つも聞こえてこない。
そんな状態の男を、近衛兵数人がかりで運んでいる光景をぼーっと眺める。
...わたしも、そろそろ移動しよう。
体も冷えてきたし、いつまでもこんなところにいたくない。
立ち上がろうと、両手を地面につき、足に力を入れる。
「痛っ...」
激痛が走る。
「アンナ嬢、どうした」
足元を押さえうずくまるわたしに、セドリックが気付いて、駆け寄ってくる。
「なんか、足挫いたみたい。立ち上がるの手伝ってもらえない?」
見上げると、微かにセドリックの動きがひきついた気がした。
珍しく視線が泳いでると思ったら、躊躇いがちに口を開く。
「...すまない。軽々しく触れるわけにはいかない」
歯切れが悪く、辿々しく言われたその言葉に絶句する。
えっ、なんで。
確かにもう婚約者とか、なんでもないけどさ
腕を引くぐらいとかは、別にいいんじゃないかな。
そこまで、他人行儀になるものなの?
それに、出会い頭にキスしてきた相手が言うことじゃなくない!?
頭の中でぷつんと何かが切れる。
「...スしたくせに」
「...アンナ嬢?」
「キスしたくせに!!!!」
大声を上げると、周りにいた近衛兵たちが動きを止め、一斉にこちらに視線を向ける。
セドリックは一瞬驚いたように目を見開かせるが、すぐに表情を戻す。
「アンナ嬢、それは...」
「何よ!!しらばっくれるの!?わたし、初めてだったんだから!!」
止めようとするセドリックの言葉を制し、そのまま叫び続ける。
自分でも支離滅裂なことを叫んでいると自覚しているが、止まらなかった。
近衛兵たちがこちらの様子を遠巻きで窺ってるのが横目で見えてたが、気にする余裕なんてない。
次の言葉を口にしようとしたその時、腕を強く引かれ、腰を抱き上げられる。
そのまま立ち上がらせてくれるのかと思ったら、横抱き、いわゆるお姫様抱っこで抱きかかえられる。
....なんで!?
「ちょっと、セドリック...!!」
セドリックを見上げると、眉をひそめ、険しい表情をしている。
...もしかして、若干怒ってる...?
「少し離れる。あとは任せた」
低い声で、近衛兵たちに声をかけると、わたしを抱えたままセドリックは小屋から移動した。
・
抱きかかえられたまま連れてこられたのは人気のない小広間だった。
セドリックは腰掛けられる場所を見つけると、静かにそこにわたしを下ろす。
「あの、セドリック...」
小屋から小広間に移動するまで一言も喋ることがなかったので、おそるおそる声をかけてみるも、何も答えてくれない。
これは、完全に怒ってますね。
セドリックの沽券に関わることなのに、勢いに任せて要らぬことを喋りすぎた。
せっかく助けに来てくれたのに申し訳ないことをしたなと反省する。
「君は、」
声に反応すると、少し表情の硬いセドリックと目が合う。
「もう少し自分を客観視したほうがいい」
抑えられているが、その声にはわずかな苛立ちが混じっている。
「それって、どういう...?」
「先ほどの発言は、君自身の評価を下げる。慎むべきだ」
「何、言ってるの?」
セドリックが怒っている理由がわからない。
さっきの発言でセドリックが自身の名誉や自尊心が傷つけられて憤るならわかるけど、なんでわたしのことで彼はここまで怒っているのだろう。
「だって、本当のことでしょ?」
「事実でも、言う必要はない」
「どうして?」
「アンナ嬢、わたしはもう君の婚約者ではないんだ」
婚約者ではない、その言葉が胸に突き刺さる。
拳をギュッと握る。
「...わかってるわよ、そんなこと」
「わかっていない。君の貞操観念が疑われることになる。今後、あのような発言は公の場ではしな...」
「なんで、全部なかったことにしようとするの!?」
耐えられず、声を張り上げてしまった。
だけど、セドリックは狼狽えなかった。
「それが、君のためだ」
セドリックらしい強く、迷いのない言葉だった。
でも、何故かその言葉に胸が苦しくなる。
ぶたれた頬よりも、縛られていた手首よりも、一番痛く感じる。
「また、...なのね」
掠れた声がこぼれる。
アンドリューが死んで、後を追って死にたかったわたしを生かしてくれたように、
今度はわたしの将来のことも守ろうとしてくれてる。
自分との間で起きたことがわたしの瑕になると思って、隠そうとしてくれてる。
でも、わたしはそんなことを少しも望んでいない!!
言い返そうと、立ち上がろうとしたその時
「っ...」
足に力が入らず、視界が傾く。
抵抗する間もなく、体が崩れていく瞬間、伸びてきた腕によって体を支えられる。
「大丈夫か」
セドリックの声から緊張が伝わってくる。
「...たぶん」
支えられながらなんとか立とうとするが、思ったように力が入らず、ますます体がセドリックのほうに傾く。
「わっ、ごめん...」
咄嗟に体を離そうとするが、支えている手の力が強くなるのを感じた。
覗き込むと、セドリックが睨むように視線を落とす。
「せ、セドリック...?」
空気が変わり、呼吸が浅くなる。
セドリックの指が頬に触れようと伸びてくる。
触れる直前で、止まる。
だが、次の瞬間には、確かめるように指先が頬に触れていた。
触られた瞬間、痛みが走り、わずかに顔が歪む。
その変化に、セドリックの動きが止まる。
そしてセドリックは、再度わたしを座らせ、肩に掛けてある上着を取る。
突然の行動についていけずに、されるがままになっていると、セドリックの指が肩に触れる。
触れられたことに驚き、体が跳ねる。
肩の次に腕、手首にも触れていく。
セドリックの指は迷いなく動いているのに、その表情だけがわずかに硬い。
触れられたところがじんと熱くなる。
触れられるたびに、鼓動が加速していく。
拳をぎゅっと握る。
セドリックは最後に、屈んで、足首を確認する。
「...アンナ嬢」
セドリックがいつになく真剣な表情で顔を上げる。
灰色の瞳と視線がぶつかる。
息が出来ないぐらい、心臓が高鳴る。
自分が、どんな表情をしているのかわからない。
今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られてるのに、視線を逸らしたくない。
このまま、時が止まればいいのに。
そんなことを、思ってしまう。




