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第9話 物語の順番で、人を救わない

 北の水車へ行かないでほしい。

 口まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。


 魔獣が出ている。

 人が捕まっている。

 夫が行かなくても、誰かが行くのだ。


「公爵様。一緒に、計画を立てさせてください」


 翌日の夜、私たちは町の見取り図を広げた。

 ガイも、ベルタもいる。

 エマには、翌朝、状況を伝えることにした。


 私が覚えているのは、原作の一場面だけだった。

 橋の上に娘。

 水車の中に老人。

 公爵は娘を先に救い、その間に老人が死ぬ。

 聖女は彼の冷たさを責め、二人の対立が深くなる。


「どちらか片方しか助けられないように、見えました」

「実際の地形は?」

 ガイが尋ねる。

「分かりません」

「では、先に調べます」


 翌朝、騎士たちが水車へ近づいた。

 私は安全な後方の小屋で、エマと待った。

 夫へ行き先を教えてもらったからといって、戦いの真ん中へついていく権利を得たわけではない。


 そこにいて、役に立つ仕事を選ぶ。

 救出される人を迎える準備なら、私にもできる。


 先遣の騎士が戻った。

 老人は水車の中ではなく、裏側の倉庫にいる。

 娘は橋の上。

 川の水門が、意図して開けられているという。


 私は図面を見た。


「原作と、違います」

「人は動きます」


 ガイは、簡単に答えた。


「だから、今の位置で助けましょう」


 夫は橋へ向かった。

 ガイの隊は、裏側へ回る。

 エマは戻ってきた人を清め、ベルタが怪我を診る。


 私は毛布と水を並べた。

 名前を聞く紙を用意する。

 目立つ仕事ではない。でも、間違えると困る仕事だった。


 遠くで、影が空を覆った。

 橋の上へ、黒い屋根が伸びる。

 魔獣の爪が滑り、木の欄干が割れた。


 夫が娘を抱き上げた。

 右手は使わない。

 左腕と、影の幕。


 そのとき、水車が壊れた。


「公爵様!」


 エマが立ち上がる。

 私は彼女の袖を掴んだ。


「ガイ隊長が、裏へ回っています」

「でも、あの中に」

「今は、騎士の報告を待ちましょう」


 待つのは怖かった。

 私も、走りたかった。

 でも、計画を立てた人たちの場所を忘れて、物語の通りに叫ぶわけにはいかない。


 倉庫の裏から、三人の騎士が出た。

 背負われた老人が、腕を動かす。


 生きている。


 私は毛布を持って走った。

 夫が連れてきた娘と、老人を同じ小屋へ案内する。

 娘が泣きながら、祖父の胸へ顔を寄せた。


「どっちも、助かりました」


 エマが、小さく言った。

 彼女は私の袖を握ったままだった。


「はい」


 夫は小屋の入口に立ち、右手を押さえていた。

 私はベルタを呼んだ。

 夫自身へ触れるより先に、できることだった。


 騎士が川の水門から、一人の男を捕まえた。

 魔獣がいるのに、水を増やしていた。

 手元にあったのは、銀の鐘を小さく模した道具。


 エマが、それを見て息を止める。


「教会の、祈りの道具です」


 夫は、道具を受け取らなかった。

 布に包ませ、証拠として保管する。


「持っているだけで、誰が命じたかは決められない。本人から話を聞く」


 小説では、この救出は公爵の冷たさを示す場面だった。

 現実では、彼は自分の痛みを後回しにして、二人を助ける場所へ立っていた。


 私は机の紙に、二つの名前を書いた。

 祖父と、孫。


 人の命は、物語の順番に合わせて失わなくていい。

 今日、そのことを、確かめられた。

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