第4話 妻の役目は、黙ることではありません
契約の残りが二十七日になった朝、教会から使いが来た。
薬の追加と、今月の診察予定を持ってきたという。
ベルタは庭園側の部屋で夫を診ていた。
私は使いと応接室で向かい合った。
薬の箱は、まだ開けない。
「大司祭様が、ご心配なさっています」
白い衣を着た男は、私の後ろへ目を向けた。
ララが立っている。
その先に、扉。
夫の姿を探しているのが分かった。
「別の医師をお呼びになったとか。公爵様の影は、特殊です。通常の治療では、かえって害になる場合がございます」
「検査だけでも?」
「知識のない者が薬へ手を加えるのは危険です」
「では、処方の記録をベルタ先生へお渡しください。知識のある者同士で、相談できます」
男の笑みが、少し固くなった。
「教会の秘方ですので」
「体に入れるものを、本人にも明かさないんですか」
「奥方様。公爵様の重責をご存じなら、穏やかにお支えになることも必要です」
黙れ、と直接は言わない。
私も、少し前までなら黙ったかもしれない。
夫を怖がる人たちの前で、妻が騒ぐ。
それは悪いことだと思っていた。
小説の悪女になりたくない気持ちも、今はある。
けれど、名前を借りる契約をしたからといって、言葉まで貸したわけではない。
「穏やかに、伺っています」
私は箱の蓋を見た。
「必要な質問をしないことと、穏やかでいることは、別です」
廊下で足音がした。
夫が扉を開ける。
「薬は俺が使う。説明は俺にも必要だ」
男が深く頭を下げた。
私にしていたより、ずっと低かった。
夫は箱を受け取らず、机へ置かせる。
教会側の印と、納入日を確かめた。
「今までの処方と違うなら、その点も記してくれ」
「……確認して参ります」
使いが去ると、私は長く息を吐いた。
夫は隣へ座った。
「君の応対でいい。礼を失してはいない」
「聞いていたんですか」
「最後だけ」
「……最後だけですか」
彼は、目を逸らした。
廊下を通りかかったララが、盆を下げながら言った。
「公爵様は、扉の前で三度、戻っていらっしゃいました」
「ララ」
「最後に入る決心をなさいましたね。お茶のお代わりは?」
夫の耳が赤くなった。
私は少し笑い、二人分の茶を頼んだ。
その午後、夫は私の独立後の予定を尋ねた。
住居を選ぶには、どんな暮らしをしたいか分かったほうがいいという。
「本のあるところがいいです」
「図書館の近くか」
「はい。できれば、帳面を整理する仕事も。叔父の家で、ずっとやっていましたので」
原作の悪女は金を使うばかりだと書かれていた。
今世の私は、父の死後、家の支払いを一枚ずつ確かめ、足りない額を知って眠れなくなった。
浪費するには、まず自由になる金が要る。
「君の父君の財産は、どれくらい残っている」
「まだ全部、叔父が管理しています」
「君は、もう成人だ」
「渡してほしいと言っても、嫁いだ娘に必要ないと」
夫の右手が、動きかけた。
彼は自分で止め、私を見る。
「俺から、請求の取次をしていいか」
「……はい。お願いします」
勝手に決めないで。
言ったことを、覚えていてくれた。
「君が受け取るべき金だ。離縁までに確認しよう」
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
私が眉を寄せると、彼は言い直した。
「……礼を言われるのは、嬉しい。だが、君の権利を取り戻すために、俺に借りを感じなくていい」
ひどく不器用な説明だった。
でも、分かった。
夕方、薬の箱を取りに来たベルタが、封を見て目を細めた。
「同じ薬のはずなのに、納入ごとに印の色が違いますね」
「何か、意味が?」
「調べます。今は、違うということだけ」
私は机の二枚目へ、書き足した。
小説には、薬の印の色なんて出てこない。
だからこそ、見落としたくなかった。




