第21話 あなたを倒す物語を、終わらせます
鐘楼へ続く階段の手前で、私は立ち止まった。
柱の根元に、細い銀の継ぎ目がある。
図面では、そこから祭鐘へ刺激を送る。
ガイが上で止めようとしているのは、大鐘。
けれど、広間へ繋がる増幅の輪には、別の線が残っていた。
技師に教わった位置を、護衛へ示す。
「ここを、外せますか」
「封が掛かっています」
「エマ!」
私は広間へ声を張った。
彼女が、光の向きを変える。
ほんの一瞬、銀の継ぎ目が浮いた。
護衛が金具を外した。
光が、細くなる。
上でガイが楔を打ち、大鐘の舌を止めた。
派手な破壊音は、しなかった。
鐘を落とせば、下の人たちが死ぬ。
鳴らなくするための準備が、役に立った。
白い柱から、光が消える。
「止まりました!」
私が叫ぶと、エマは両手を上げた。
今度の光は、銀の輪からではない。
彼女自身の掌から、ゆっくり広がる。
狼の影へ、清めが届く。
セヴェリンが説教壇を下りた。
壁沿いの通路へ逃げようとする。
王宮の兵士が前へ出ると、彼は白い杖を振り上げた。
「触れるな。私は、大司祭だ!」
杖から光が飛ぶ。
アーヴィンの影が、それを受けた。
狼の牙が、セヴェリンの目の前で止まる。
彼は腰を抜かし、床へ座り込んだ。
殺さなかった。
原作の公爵は、止まらなかった。
今の彼は、自分で止まった。
兵士が杖を取り上げ、セヴェリンの腕を押さえる。
護衛の神官たちも、武器を置き始めた。
参拝者は、もう広間にいない。
エマが、さらに光を広げる。
大きな狼の輪郭が、少しずつ崩れた。
中から、片膝をつく男が見える。
右手の黒い筋が、ほどけていく。
ただし、手そのものは傷ついていた。
魔力の濁りが消えても、十年分の痛みが、瞬時になかったことになるわけではない。
ベルタが近づき、夫の腕を支えた。
「公爵様。聞こえますか」
「……聞こえる」
「立たないで。まず、ここで診ます」
夫は頷いた。
素直な返事に、ベルタが短く笑う。
私は通路から戻った。
足が震えていた。
途中で、立ち止まらないと歩けなくなる。
アーヴィンが顔を上げる。
私を見る。
自分の左手を見る。
「リゼット」
名前だった。
叫びでも、命令でもない。
私は彼の前へ膝をついた。
ベルタの邪魔にならない位置を選ぶ。
「はい」
「怪我は」
「ありません」
「……よかった」
彼の肩が、落ちる。
影の屋根が、ゆっくり薄くなる。
もう、その下に逃げる人はいない。
エマが座り込み、ララが水を渡した。
ガイが上から降り、止まった鐘を見上げる。
誰かの力が一つ、全部を救ったのではない。
見つけて、確かめて、準備して。
最後にそれぞれの場所で、自分の仕事をした。
それでも、怖かった。
準備したから、怖くないわけではなかった。
私は、アーヴィンの手を握る。
「今、少し怒っています」
「……何に」
「自分が痛いのに、みんなへ屋根を作ったことに」
「必要だった」
「分かっています。だから、あとで話します」
「承知した」
彼は口元を緩めた。
叱られる予定を、未来の予定として受け入れた。
原作の最後の章では、灰狼公爵の胸に、聖女の光が刺さる。
その絵を、私は何度も思い出した。
いま、胸に刺さっているものは何もない。
彼は息をしている。
私の名前を、呼んだ。
これから、何度でも呼べる。
夕刻、旧大聖堂の外へ出た。
予定されていた聖鐘祭の鐘は、鳴らなかった。
別の通りで、いつもの時刻を知らせる鐘が鳴った。
その音に、私は肩を震わせる。
アーヴィンの左手が、私の指を包んだ。
「帰ろう」
私は頷いた。
未来を全部知っている人間では、なくなった。
夫が死ぬ場面を、もう一つも知らない。
初めて、明日が分からなかった。
それが、泣きたくなるほど嬉しかった。




