第15話 死亡予定日の、昼下がり
話し合いから二十日後の朝、私は生きていた。
当たり前のことを、起きた瞬間に確かめた。
窓から光が入り、ララが湯を運び、廊下で誰かが椅子を動かしている。
今日は、原作の妻が死ぬ日だった。
温室は閉鎖され、仕掛けも外された。
公爵家の内外に護衛がいる。
私は調査の済んだ本館で、普段通り暮らす。
予定は、それだけだった。
「今日は、一日休む」
朝食でアーヴィンが言った。
「お仕事は?」
「先に分けた。急ぎの報告はガイが受ける」
「ありがとうございます」
「俺が、そばにいたい」
その言い方が、昨日までと違った。
妻を安全にする役目ではなく、自分の望みを言った。
私は茶碗を持つ手を、少し緩めた。
昼前、エマも来た。
温室へ招かれた偽の手紙を持ち、護衛に自分の訪問を確認してもらう。
私の部屋ではなく、広い談話室へ入った。
デインが椅子を並べる。
ララが菓子を置く。
ガイは窓の外で見張っている。
死ぬ予定の日に、私は何人もの人と同じ部屋にいた。
正午の鐘が鳴った。
心臓が、強く打つ。
その音が、薬へ影響する銀の鐘と同じでないことは知っている。
でも、体は区別する前に怖がった。
アーヴィンが、私を見る。
「今、怖いか」
「はい」
「手を繋ごうか」
「……はい」
彼は左手を差し出した。
私は握った。
スミが、椅子の下へ丸くなる。
その少し後、温室のほうで音がした。
硬いものが、割れる音。
誰かが走る。
エマの指が、私の袖を掴む。
私は立ち上がりかけた。
アーヴィンが止める前に、自分で座り直した。
「ガイ隊長が、います」
声に出す。
自分へ聞かせる。
夫は頷き、騎士が戻るまで一緒に待った。
温室の外で、一人の男が捕まった。
閉鎖された中へ入ろうとして、騎士に止められた。
持っていた小さな鐘を鳴らす前に、取り上げられたという。
割れたのは、庭の通路へ落とした瓶だった。
温室の屋根ではない。
中には、誰もいなかった。
私の死ぬ場面は、起こらなかった。
男は、私の叔父から雇われたと言い張った。
でも、持っていた支払いの印は、薬の工房で使われたものと同じだった。
誰かへ責任を押しつける言い分まで、用意していたのかもしれない。
王宮へ身柄を送ったあと、屋敷は静かになった。
茶が冷めていたので、ララが新しいものを淹れる。
「奥様。焼き菓子、まだ残っていますよ」
「食べます」
「公爵様の分も?」
「……半分ずつ」
アーヴィンが、少し笑った。
夕方、私は窓辺へ立った。
今日の太陽が、沈んでいく。
原作の中の妻は、この夕日を見ていない。
アーヴィンが隣へ来た。
「生きている」
「はい」
それ以上の言葉が、出てこなかった。
私は彼の上着を握った。
彼は、触れていいかを目で尋ねる。
私は頷いた。
抱きしめられる。
右手は、痛まない位置へ置かれた。
左腕が、私の背中を支える。
「よかった」
彼の声も、少し震えていた。
私だけが怖かったわけではない。
今日を待つ人が、二人いたのだ。
契約満了まで、あと十日。
夫の最期は、まだ残っている。
でも、彼の胸の音を聞きながら、私は初めて思った。
未来を変えられたら、そのあとを一緒に暮らしたい。
助けたいだけでは、もうなかった。




