幕引き
1.最後の標的と、砂の城
相沢拓海、美咲、そして都会でエリートを気取っていた城ヶ崎徹の電撃的な破滅。それは地方都市の閉鎖的なコミュニティに、未だに底知れない恐怖の余波を広げ続けていた。主犯格の男たちが全員、社会的に抹殺され、冷たい牢獄へと繋がれた今、残されたいじめの加害者たちは、まるで明日の死刑執行を待つ囚人のように、怯えながら日々を過ごしていた。
だが、そんな世界の終末のような空気から、必死に目を背け、自分だけは「勝ち組の安全圏」へ逃げ切れたと信じ込んでいる女が二人いた。
中学時代、美咲の腰巾着として優奈に汚水を浴びせ、あの男子トイレの惨劇を特等席で笑いながらスマートフォンに収めていた取り巻きの女子――『木下香織』と『谷口絵里』である。
「ねえ、絵里。香織の結婚式、本当に楽しみだよね! 相手、地元じゃ有名な地主の息子で、年収も相当いいらしいじゃん」
「でしょ? 美咲とか相沢とか、地元の底辺でバカな犯罪やって勝手に自滅したけどさ、私たちはあんなバカじゃないもん。ちゃんと『本物の幸せ』を掴み取ったんだから」
地方都市の少し高級なカフェで、二人はブランド物の小物をテーブルに並べ、必死に自撮り写真をスマートフォンに収めていた。
香織は来週、地元で手広く不動産業を営む大地主の跡取り息子との結婚式を控えていた。彼女にとってその結婚は、自分の退屈な人生を一発逆転させ、一生働かずに贅沢な暮らしを手に入れるための「最高のトロフィー」だった。絵里もまた、SNSのフォロワー数だけが生きがいの虚栄心の塊であり、香織の贅沢な結婚式を利用して、自分のタイムラインを「丁寧で華やかな暮らし」で埋め尽くすことしか考えていなかった。
彼女たちの脳裏から、十年前、自分たちが徹底的に尊厳を蹂躙した佐藤優奈の存在は、都合よく消去されていた。あの同窓会の夜、優奈が圧倒的なレディとして現れたという噂は聞いていたが、「私は直接手を下していない」「美咲に命令されていただけ」と、自らの醜悪な罪に極彩色のモザイクをかけ、完全に正当化していたのだ。
「あんな芋女のことなんて、どうでもいいよ。今頃どうせ、またどこかで泥水すすって生きてるんじゃないの?」
香織が下品に笑いながら、高級なパンケーキを口に運ぶ。
彼女たちはまだ知らなかった。
自分たちが必死に積み上げた「結婚」や「SNSの承認欲求」という砂の城のすぐ真下に、すでにすべてを爆破するための導火線が巻き付けられているということを。
同じ時刻。都心の超高層タワーマンションの一室で、優奈は完璧なテーラリングの施された朱色のドレスを身に纏い、姿見の前で自らの美しいシルエットを確かめていた。
手入れの行き届いた黒髪が、高層階の窓から差し込む光を受けて妖しくきらめく。
「木下香織、そして谷口絵里。……あなたたちの人生の『最高の絶頂』の舞台は、もうすぐね」
優奈の瞳には、一切の慈悲も、躊躇いもない。
「人が最も絶望するのは、最初から何も持たない時ではないわ。自分が手に入れたと信じ込んだ『最高の幸せ』を、その手から永遠に叩き落とされた瞬間よ。……さあ、復讐の輪舞曲の、最後の幕を上げましょう」
完璧なレディによる、血も涙もない最後の執行が、静かに始まった。
2.絶頂という名の処刑台
土曜日の正午。
地方都市で最も格式高いとされる『ロイヤルウェディング鳳凰』の大聖堂は、純白のバラと、祝福の拍手に包まれていた。
「香織、本当に綺麗だよ! まるで本物のプリンセスじゃん!」
「旦那さんも超イケメンで金持ちだし、マジで羨ましすぎる!」
友人たちの歓声を受けながら、ウェディングドレスを纏った木下香織は、人生最高の優越感に浸っていた。
隣に立つ新郎は、地元の有力な不動産会社の跡取り息子。彼の父親もまた、地域の政財界に顔が利く大物だ。香織は、この結婚によって、自分がいじめの主犯だった美咲や相沢を遥かに超える「本物の勝ち組」になったのだと、確信していた。
雛壇の特等席では、親友の谷口絵里が、スマートフォンのカメラを狂ったように動かしている。
『親友の結婚式! 旦那様は超セレブ #幸せのお裾分け #勝ち組結婚式』
そんなハッシュタグと共に、SNSへ次々と写真をアップロードし、リアルタイムで増えていく「いいね!」の数字に、脳髄を痺れさせていた。
「それでは、新郎新婦の門出を祝し、お二人の生い立ちと、今日までの軌跡を収めたスペシャルムービーを上映いたします。皆様、前方の巨大スクリーンにご注目ください」
司会者の華やかな声と共に、披露宴会場の照明が落とされた。
香織は新郎の手を握りしめ、これから流れる感動的な映像に、周囲が涙する瞬間を楽しみに待っていた。絵里もまた、動画の決定的な瞬間をスクリーンの前で撮影しようと、スマートフォンを構える。
だが。
ピアノの美しい旋律が流れるはずのスピーカーから聞こえてきたのは、耳障りな、しかし酷く聞き覚えのある「下品な笑い声」だった。
『うわ、マジで浸かってる!』
『ウケる、超汚い!』
「――え?」
香織の身体が、一瞬で凍りついた。
巨大スクリーンに映し出されたのは、新郎新婦の幼少期の写真ではなかった。
それは十年前、城南中学校の旧校舎の男子トイレで撮影された、あまりにも凄惨な、そして生々しい「いじめの現場の動画」だった。
画面の中では、ボロボロの衣服を着た少女――佐藤優奈が、長い髪を鷲掴みにされ、不衛生な便器の水たまりへと無理やり頭を押し付けられている。そしてその横で、今まさに純白のウェディングドレスを着ている香織と、雛壇でスマートフォンを構えている絵里が、手を叩いてゲラゲラと下品に笑いながら、汚水を浴びせている姿が、これ以上ないほど鮮明に映し出されていた。
「な、何よこれ……!? 違う、消して! 今すぐ消してよ!」
香織が悲鳴を上げた。しかし、音響・映像の操作室は、すでに優奈の手によって完全にロックされており、スタッフの誰も触れることができなかった。
会場内は、一瞬で静まり返り、次の瞬間、凄まじいざわめきと嫌悪の嵐が巻き起こった。
「おい、これ……新婦の木下香織じゃないか?」
「嘘だろ……こんな陰湿で犯罪的なことやってたのか? 便器に顔を突っ込むなんて、ただの凶悪犯じゃないか!」
新郎の親族や、彼の父親の会社の関係者たちが、一斉に立ち上がり、香織を汚物でも見るかのような軽蔑の目で睨みつけた。
「香織……お前、これは一体どういうことだ……?」
隣に立つ新郎が、繋いでいた香織の手を、まるで毒虫を振り払うかのように乱暴に離した。その顔は、怒りと、あまりの恥ずかしさで完全に般若のように歪んでいた。
3.因果応報のカウントダウン
「違います! これはデタラメです! 私は美咲に無理やりやらされていただけで……!」
香織が涙を流して言い訳を叫んだその時、披露宴会場の重厚な扉が、左右へと静かに開け放たれた。
すべての光を吸い込むような、圧倒的なオーラを放ちながら、一人の女性が会場へと歩を進める。
「――お久しぶりね。木下香織さん、谷口絵里さん」
そこに立っていたのは、朱色の最高級シルクドレスを纏った、完璧な美女――佐藤優奈だった。
その洗練された立ち居振る舞い、触れることすら汚らわしいほどの圧倒的な美貌と気品の前に、会場にいるすべての人間が息を呑み、本能的に道をあけた。
「さ、佐藤……優奈……!」
絵里が、恐怖のあまりスマートフォンを取り落とした。画面が粉々に砕け散る。
優奈は迷いのない足取りで、新郎新婦の立つ雛壇の前へと進み出た。そして、新郎の父親――この地域の有力な地主である男に向かって、非の打ち所のない完璧なマナーで一礼した。
「初めまして、〇〇様。私は外資系投資銀行で、御社の主要な取引先である銀行の融資監査を担当しております、佐藤優奈と申し上げます」
優奈が差し出した名刺と、その圧倒的な社会的ステータスを証明するキャリアデータに、新郎の父親の顔色が変わった。
「さ、佐藤さん……! あなたが、あの世界的な……!」
「ええ。本日は、御一族の輝かしい未来のために、どうしてもお伝えしなければならない真実があり、こちらに参りました」
優奈は冷徹な瞳を、ウェディングドレス姿の香織へと向けた。
「そこの木下香織さんは、十年前、私を集団で暴行し、人間としての尊厳を便器に踏みにじった、傷害罪および恐喝罪の主犯の一人です。すでに警察には、そこの巨大スクリーンに映っている動画を客観的証拠として提出し、受理されています。まもなく、彼女には逮捕状が執行されるでしょう」
「嘘だ! 嘘よ!」香織が叫ぶ。
「さらに、〇〇様。木下香織さんが御一族の資産を目当てに、事前に複数の男性と交わしていた『裏の交際履歴』および、御社の機密情報を盗み出そうとしていた証拠データも、すべてこちらのファイルに揃っております。このような犯罪者を一族に迎え入れれば、御社の社会的信用は完全に失墜し、私どもの銀行からの融資も、すべて即座に引き揚げざるを得なくなりますわ」
優奈が差し出したタブレットの画面を見た新郎の父親は、激怒のあまり机を叩いた。
「婚約は破棄だ! 今すぐこの女を式場から叩き出せ! 違約金も慰謝料も、一族の総力を挙げて一括で請求してやる!」
「あなた、嘘でしょ……? お願い、許して!」
香織は新郎の足元にしがみつこうとしたが、新郎は「触るな、汚らわしい!」と、彼女を激しく蹴り飛ばした。純白のウェディングドレスが、床の汚れと、ひっくり返った料理のソースで無残に汚れていく。十年前、優奈が旧校舎の裏でローファーで蹴り飛ばされた、あの瞬間と全く同じ光景が、今、完璧な因果応報として再現されていた。
4.虚飾のフォロワーの終焉
「ひ、ひっ……嫌、私は関係ない……私は動画を撮ってただけ……!」
谷口絵里が、会場の隅へ逃げようと背を向けた。
「逃げられると思っているの? 谷口絵里さん」
優奈の声が、冷酷に彼女の足を止めさせた。
「あなた、SNSでの華やかな生活と、周囲からの『いいね!』だけが生きがいのようね。……でも、あなたのそのアカウントのフォロワーが、今どうなっているか、確認してみたらどうかしら?」
絵里は震える手で、床に落ちたスマートフォンの画面を拾い上げ、アプリを開いた。
そこには、想像を絶する地獄が広がっていた。
優奈の手によって、絵里が十年前に行っていたいじめの全容、そして彼女が裏で友人たちの悪口を言いまくり、パパ活や詐欺まがいのインフルエンサービジネスで金を稼いでいた詳細な証拠が、彼女自身の公式アカウントから、全世界に向けて一斉に拡散されていたのだ。
画面には、何万件もの罵詈雑言のコメントが秒単位で書き込まれ、スマートフォンの通知がバグを起こしたように鳴り響いている。
『こいつ、便器いじめの犯人じゃん』
『最低の犯罪者、今すぐ死ね』
『パパ活の証拠全晒しされてて草』
「あ……あ、あ……」
絵里のフォロワー数は、一瞬で数万人からゼロへと向かって急降下し、代わりに彼女の現実の住所、勤務先、家族の連絡先が、ネット上の特定班によって完全に白日の下に晒されていった。彼女が人生のすべてを賭けて築き上げた「承認欲求の城」は、一瞬にして、二度と這い上がれない「炎上の生き地獄」へと変貌したのだ。
「あなたたちが私から奪った『平穏な日常』。その対価として、あなたたちのこれからの人生のすべてを、ネットの底で永遠に叩かれ続ける恐怖のなかに閉じ込めてあげるわ。一生、自分の名前が検索されるたびに、あの男子トイレの悪魔の姿がついて回る恐怖に、怯えながら生きなさい」
優奈の冷徹な判決に、絵里はその場にへたり込み、髪を掻きむしりながら狂ったように叫び始めた。
その時、式場のロビーに、何台もの警察のパトカーのサイレンが鳴り響いた。
扉が開き、数人の警察官が披露宴会場へと入ってくる。
「木下香織さん、および谷口絵里さんですね。十年前の傷害および恐喝容疑、ならびに今回の不正アクセス・横領の余罪について、同行を求めます」
「嫌だ! 離して! 私は花嫁なのよ! 今日が私の人生の最高の日のはずなのに!」
香織は泥とソースに塗れたウェディングドレスを引きずりながら、無様に暴れ、警察官たちに連行されていった。絵里もまた、完全に精神を崩壊させたような虚ろな目で、スマートフォンの画面を見つめたまま、引きずられていく。
会場に残された同級生や親族たちは、ただ呆然と、その光景を見つめることしかできなかった。
中学時代、最底辺の虫として踏みつけられていた佐藤優奈は、今や自分たちの手の届かない遥か雲の上の頂点から、すべての加害者たちを完膚なきまでに裁き切ったのだ。
5.輪舞曲の幕引き
式場の外に出ると、冬の澄み切った夜空に、宝石を散りばめたような星々が輝いていた。
冷たい夜風が優奈の頬を撫でるが、十年前のあの夜のような、孤独と屈辱の痛みは、もうどこにも存在しない。
彼女の胸の奥で十年間、ドス黒い産声を上げて燃え続けていた復讐の炎は、すべての標的を灰燼に帰し、今はただ、美しく洗練された「完璧なレディの誇り」へと昇華していた。
式場のロータリーには、お抱えの運転手がドアを開けて待つ、最高級のロールス・ロイスが静かに佇んでいる。
「優奈様、すべて、終わりましたね」
秘書の言葉に、優奈は静かに頷いた。
「ええ。……長かった十年の旅が、ようやく終わったわ」
優奈はしなやかな脚を車内へと滑り込ませ、最高級のレザーシートに深く身体を沈めた。
車の窓ガラス越しに、自分の過去を縛り付けていた錆びれた地方都市の景色が、急速に遠ざかり、闇の中へと消えていく。
あの狭い檻のなかで、泥水をすすりながら『絶対に許さない』と誓った少女は、もうどこにもいない。
彼女は自らの知性と、狂気とも言える努力によって、地獄の底から這い上がり、世界の頂点で誰もが触れることすら躊躇うような、完璧なレディへと生まれ変わったのだ。
車内には、彼女の勝利を祝福するかのように、重厚で美しいクラシックの輪舞曲が静かに流れ始めていた。
その美しい旋律は、過去のすべての痛みを完全に清算し、光輝く未来へと進む完璧なレディの行く手を照らすように、東京の夜景のなかへと、どこまでも優雅に溶けていった。
完




