chase ④
月まで逃げてきた健吾とヌアサ。だが頼みの綱である母艦も交戦中。
起死回生の策はあるのか?
いつもとは違う月の姿が迫ってくる。銀色の輝きが次第に灰色に変わり、写真でしか見た事のないクレーターや山脈、茶色く染まった海が視界を埋めていく。本来なら普通の高校生が目にする事などあり得ない風景を、健吾はこれまたあり得ないスピードの中で見ていた。
ヌアサが後方からの砲撃をかわしながら、月面への突入ルートへと進路を変える。健吾の視界を埋めていた月の角度が一気に変わり、猛烈な速度で接近してくる。
「うわわ!!」
「大丈夫よ! 任せて!」
情けない声をあげた健吾をヌアサが叱咤激励する。そもそも月には大気が無いため、摩擦熱も空気抵抗も発生しない。重力も地球の六分の一と小さい。アールマティにとってはかなり自由のきく突入なのだ。
そうする間にも角度を調整し、月面へと侵入していく。健吾にはどこなのか分からなかったが、そこは「危機の海」と呼ばれる場所だった。
茶色く塗り固められた荒野をアールマティが疾走する。それに猛追するヒューリコイが砲撃を浴びせる。掠めるだけでは済まず、何度か直撃を受けるようになっていた。健吾は背後から迫る害意が殺意へと変わってきたのを、背中で感じていた。まるで大きな氷柱を背中に突き刺されるような、体の芯まで凍りつく感覚。バリヤーがなければ、とうに二人とも死んでいる事だろう。
アールマティは巨大な亀裂を越え、大小のクレーターの間を駆け抜けていく。健吾の眼には周囲の物が通り過ぎる度に、残像を残して通り過ぎる。いや、ある程度以上離れた大きな物体でなければ、全体像すら分からない。信じられない光景だった。
弾丸はおろかミサイルでも追い付けないであろう速度のまま、後方からの砲撃を凌ぎながらクレーターの間を飛翔していく。
「危機の海」から「愛の入江」を越えて「夢の湖」まで差し掛かった。月の地名はロマンチックなものが多い。
が、今はそれどころではない。雨霰と降り注ぐ砲撃を何とかしなければならないのだ。だがどうやって? 健吾は操縦できない分だけ、せめて頭を使って貢献しようと知恵を絞る。
まずは状況の把握と分析。周囲の環境。――月の裏側に急行しないのは恐らく、ハルワタートを襲撃している敵と背後に張り付いている敵とで挟撃されるのを防ぐ為だろう――そんな事を考えているうちにやや落ち着きを取り戻してきた。すると今度は、今まで見えなかった事が見えてきたのだった。
ヌアサの操縦が変わってきたのだ。これまでよりも回避運動が激しくなってきている。少しでも直撃を避けようとしているのか、絶え間なく急上昇から急降下、左右への急旋回を続けているのだ。天地・左右・上下が目まぐるしく入れ替わる。慣性制御システムがなければ、あっという間にお陀仏になっているだろう。
いくらバリアーを展開していても回避するのは当然かもしれない。だがこの回避運動はCGを駆使したアクション映画と見間違う程の凄まじさだった。つまり――直撃を受け続けたらバリアーが保たないのだ――健吾はそう結論した。
アールマティとヒューリコイが地表スレスレを掠める度に、月の表面を覆っている灰色の砂――レゴリスと呼ばれている――が力場に弾き飛ばされて中に舞う。バリアーが干渉しているのだ。もしも上空からこの追跡劇を眺めている者がいれば、巨人が指先で悪戯書きをしているように見えたかも知れない。
だが、追跡劇はいつか終わりを迎える。
「ヌアサ、バリアーは後どのぐらい保ちそうだ?」
「この分ならあと4時間は大丈夫。ただし……向こうが出力を上げなければね」
つまりデミウルゴス人はまだ本気ではない――この事実は健吾を驚かせると同時に憤慨させた。猫がネズミをいたぶるように、自分達をどう仕留めるか考えながら攻撃しているのだと分かったからだ。
「……ようし、ヌアサ。このバリアーは展開の仕方を変えられるのか? 形とか場所とかを」
「出来るけど。何をする気なの?」
「この機体以外の場所にもできるか?」
「離れ過ぎなければね」
「OK! じゃ聞いてくれ。出来るかどうかは分からねぇが……」
健吾は作戦を聞かせた。
「……そんな手に引っ掛かってくれる相手じゃないわ」
「だろうな、簡単にかわされるだろうよ。だから二段構え三段構えでいくんだよ」
「どうするの?」
「つまりだ……」
ヌアサは数秒間、健吾のアイデアを検討した。そして出した答えは――
「やってみましょう」
「よし! ひと泡吹かせてやろうぜ!」
ヒューリコイからの砲撃を回避しながら北上し、エンディミオンクレーター周辺のクレーター密集地帯で作戦決行となった。ここまで逃げながら、ヌアサが作成したバリアー展開プログラムの成果が試される。
「いくわよ!」
「おう!」
一気に加速してV字谷状の地形が連続するエリアに突入する。
左に急旋回してヒューリコイから一瞬姿を消す。
猛追するヒューリコイ。
ヒューリコイの眼前に突如バリヤーの反応。
だが上方に無反応の空間を検出。猛スピードのまま急上昇して回避。
その目前にまたもやバリヤー。
今度は下に無反応空間。速度を落とさず潜って回避。
そして今度は――戦闘経験豊富なデミウルゴス人も見た事が無い形状のバリアー反応。漏斗状のバリアーだった。今度は回避する空間がない。想像外の形状に気を取られた、ほんの数瞬が明暗を分けた。
出口のない漏斗状に成形されたバリアーに激突するヒューリコイ。両者のバリアーが干渉しあい膨大なエネルギーが放出され、ヒューリコイを包んだ。
目も眩む閃光。漏斗の入り口から吹き出す莫大なエネルギー。離れた所から見るヌアサと健吾の顔が白く染まった。
「……ヒューリコイの反応消失」
ヌアサが告げる。至って事務的な声だった。
「つまり……やったって事か?」
「そうよ」
答えて振り返るヌアサの顔。そこに浮かんだ表情は、混じり気のない「喜び」だった。
「ぃよっしゃあぁぁぁ!」
健吾が天を仰いだ。ガッツポーズが炸裂する。
前に向き直ったヌアサの頬は僅かに上気したのか、柔らかな桜色に染まっていた。健吾からは見えないが、神秘的と思えていた美貌が人間的な美しさに変わっていた。その変化にはヌアサ自身も気付かないままだ。
「周囲に敵影なし。じゃ、ハルワタートと連絡をとるわね」
「OK。向こうも早く終わってくれりゃいいんだがな」
ヌアサが通信している間、健吾は改めて周りを見渡していた。
そして実感する。ここは死の星なのだと。風もなく緑も水もなく、冷え冷えとした荒野が埋め尽くす世界。光に照らされた大地と、真っ暗な空が接する非現実的な空間は、まるであらゆる生命を拒んでいるかのようだった。
そして暗黒の虚空に青く輝く地球。三日月ならぬ三日地球とでも呼ぶべき状態だが、その美しさと神秘性は例えようもない。健吾はただ食い入るように母なる惑星を見つめていた。
「……向こうも終わったそうよ。敵機を全て撃墜したわ」
「ざまぁ見ろだ! へへ」
今回の事は全てデータを取っており、その全てを科学技術院「ビナー」に送り対策を検討するという。
「事と次第によっては……シャレにならない事態に発展するかもね」
「マジか」
ビナーから元老院「ケテル」に報告が上がるのは間違いない。そこでどう判断されるか。現在マルクトも移住先を探す事に全力を傾けている。単独でデミウルゴスと戦う事は不可能だ。ならば銀河連盟を動かすしかあるまい。
「――恐らくそうなるわ。全ては星主アイン・ソフ陛下のご判断次第だけど」
「そうなると……下手したら大規模な星間戦争が起こりかねないってワケか」
暗澹たる未来図だが、ここで考え込んでいても仕方ない。何よりも健吾は地球に戻らねばならないのだから。
「出来ればハルワタートで一休みさせてあげたいんだけど……緊急避難でない限り乗せてはあげられないの。ごめんなさい」
「いいって。そのぐらいの事情が分からねぇ程ガキじゃねぇし。ただ……」
「ただ?」
健吾は少し照れくさそうに告げた。
「もう少しだけ……地球を眺めてから帰らねぇか?」
地球に目を向けた健吾に、ヌアサは軽く頷いた。
月面からヌアサと二人で眺めた青い惑星。この景色を健吾は生涯忘れないのだった。
いつもよりも早い更新です。本来はこのぐらいにしたいんですが……。
次回から最終章!




