EP 7
『インテリ奇樹ネギオと、無骨なるポン刀』
山賊の小者共を素手とスコップの柄で叩き伏せた翌朝。
自警団詰所の奥の執務室で、マンミアは頭を抱えながら、深いため息を漏らしていた。目の前の長机には、白磁のカップに入った陽薬茶が湯気を立てている。
「……つまり、イチキ殿。貴殿は丸腰のまま、相手の間合いへ飛び込んで顎を砕き、矢を紙一重でかわして武器を叩き落とした、と」
「へぇ。あんなチンピラ相手に得物を抜くのも野暮ですからな。手加減して急所を外したつもりですが、ちっとばかり力が入っちまいました」
一鬼は黒のニッカポッカの膝に両手を揃え、端座の姿勢を崩さない。背筋は定規を当てたように真っ直ぐだ。
マンミアはこめかみを押さえた。昨日、現場のオーク監督やトッドから聴取した証言は、およそ一介の日雇い土工の仕業とは思えない神速の格闘戦だった。
「手加減、ですか……。相手は近隣の山賊連合『黒蜘蛛団』の斥候です。小者とはいえ、血気盛んな荒くれ者。彼らが報復に来ないとは言い切れません。貴殿の腕前が人外の域にあることは重々承知しましたが、万が一に備え、自衛のための武具を所持しておくべきです」
「武具、ですかい」
「ええ。ですが、一般的な冒険者ギルドの武器屋では、貴殿の特異な間合いや技術に見合う品は見つからないでしょう。……村外れの廃工房に、一風変わった鍛冶師が住み着いています。偏屈で口は極めて悪いですが、腕だけは地下帝国ドンガンの通信講座で首席を取るほどの本物です。紹介状を書きますので、一度訪ねてみてください」
そう言ってマンミアが差し出したのは、羊皮紙に書かれた自警団の公認紹介状だった。
一鬼は両手で丁寧に受け取り、深く頭を下げた。
「お気遣い、痛み入ります。現場仕事の合間に、顔を出してみるといたしましょう」
*
ポポロ村の北端、赤松の防風林を抜けた先に、その奇妙な工房はあった。
元は崩れかけた石造りの馬小屋だった建物を、不揃いな木材とミスリル板で勝手に補強・増築した無骨な小屋。煙突からは細い紫煙が立ち上り、金属を叩く甲高い槌音がリズミカルに響いている。
「ごめんください」
一鬼が腰を屈めて引き戸を潜ると、香ばしい煙草の香りと、深煎り珈琲の苦いアロマが鼻腔をくすぐった。
炉の前に立っていたのは、人間でもドワーフでもなかった。
全身を引き締まった白と深緑の樹皮――長ネギの繊維組織に酷似した植物性の肉体で覆われた、長身の異形。首元には伊達眼鏡をかけ、無骨な革エプロンを纏い、口元には太いポポロシガーを咥えている。
世界樹の防衛端末から変異・独立した孤高のインテリ奇樹、ネギオだった。
「……チッ。朝の思索と思索的鍛造の時間を、土足で踏み荒らす輩か」
ネギオは振り返りもせず、鍛造台のミスリル鋼を水樽へ突っ込んだ。ジュウウッという激しい蒸気が上がる。
珈琲の満ちたマグカップを片手に、ネギオは紫煙を吐き出しながら一鬼を値踏みするように睨みつけた。頭部の青い葉先が、苛立たしげにピクピクと揺れている。
「自警団の駄馬女――マンミアの紹介状を持参した単細胞が貴様か。話は聞いているぞ。昨日の現場で、山賊共を暴力でねじ伏せたそうだな」
「へぇ。現場の仕事の邪魔立てをされちまいまして、少々お引き取り願ったまでで」
一鬼は静かに一礼した。相手がネギの化け物であろうと、職人の仕事場に入った以上、敬意を払うのが礼儀だ。
だが、ネギオは鼻を鳴らし、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「短絡的蛮行だな。暴力を暴力で制圧する行為は、短期的には治安コストを抑えたように見えて、長期的には敵対組織の復讐インセンティブを刺激し、村全体の警備コストを指数関数的に増大させる。貴様の行動に、マクロ経済的および法治主義的な妥当性は皆無だ。感情論の正義感など、市場におけるインフレ通貨並みに無価値なのだよ」
機関銃のように吐き出される、難解な経済用語と論理的な毒舌。
村の農夫であれば、この時点で頭を抱えて逃げ出すか、激怒して殴りかかるところだ。
しかし、一鬼は眉一つ動かさなかった。三十五年の懲役生活で、規律や規則を並べ立てる理屈屋の刑務官を何十人も見てきた。言葉の難しさに惑わされるほど、浅い人生は送っていない。
「旦那の言う理屈は、学問のない俺にゃあ半分も分かりやせん」
「だろうな。無知を自覚している分、そこらの獣人よりは幾分マシだが」
「ただな、旦那」
一鬼は工房の中央へ静かに一歩進み出た。
土間を踏みしめる地下足袋の音は、驚くほど静かだった。
「泥まみれで穴を掘ってる職人が、汗水垂らして得た飯の代金を奪われそうになってる時、『経済がどうの』『法治がどうの』と理屈をこねて見殺しにする奴を、俺の故郷じゃあ『腰抜けの野郎』と呼ぶんでさぁ。理屈の通らねぇ理不尽には、身体を張って筋を通す。それ以外に、泥を啜って生きるカタギを守る術はありやせん」
ネギオの葉先がピタリと静止した。
紫煙の奥から覗く、冷涼な瞳が一鬼の顔を射抜く。
反論の余地のない、極限の現場主義。学問や机上の空論をあざ笑うかのような、百戦錬磨の実践者の重み。
「……フン。思想的背景が完全に前近代の任侠共同体だな。議論の余地もない」
ネギオは吐き捨てるように言い、珈琲を一口啜った。しかし、その口調からあからさまな侮蔑の響きは消えていた。
「用件は何だ。自警団の紹介状がある以上、門前払いはせん。鈍刀を研ぎ直してほしいのか? それとも、魔導式の最新型拳銃でも所望か?」
「いえ。俺が探しているのは、余計な細工のねぇ、ただの『一本の刃』でしてね」
一鬼の視線は、ネギオの背後――雑多なガラクタや未完成の魔導具が山積みになった木箱の隅へと向けられていた。
筵を被せられ、埃を被ったその長細い物体。
柄も鍔も質素極まりない、白木の鞘に収まった反りのない直刀――いわゆる、実戦用の『打刀(ポン刀)』だった。
「……ほう。目ざといな」
ネギオが煙草を灰皿に押し当て、その刀を木箱から引き抜いた。
鞘から滑り出た刃は、漆黒と銀が混ざり合った独特の刃文を描いている。魔法の術式刻印も、属性魔石の装飾も一切ない。ただ、極限まで不純物を叩き出されたミスリル鋼の冷気だけが、工房の空気を鋭く切り裂いていた。
「ドンガン地下帝国の旧友が、通信教育の添削課題用に鍛造した習作だ。魔力伝導率を限界まで高める流行りの魔剣とは真逆の代物でね。純粋な硬度、粘り、そして切断力のみを追求した結果、魔法の付与が一切受け付けない『ただの鋼鉄の棒』になり果てた欠陥品だ。買い手がつかず、スクラップにする予定だった」
「欠陥品、ですか」
一鬼は無言で手を伸ばし、ネギオからその柄を受け取った。
掌に伝わる、ずっしりとした手応え。重心の位置、柄の太さ、刃の厚み。
親指で鍔を押し上げ、刃を三寸ばかり抜き放つ。
――キィン。
澄んだ、硬質な金属音が工房に響き渡った。
曇りのない刃鏡に、一鬼の鋭い双眸が映り込む。
「いい鉄だ。……叩いた職人は、真面目で、頑固で、曲がった真似が心底嫌いな御仁だったんでしょうな。道具ってなぁ、使い手の魂が宿るって言いますがね。打った奴の生き様も、刃を見りゃあ一発で分かります」
三十五年ぶりに握る、本物の刃の感触。
一鬼の手の中で、刀はまるで長年連れ添った古女房のように自然と馴染んでいた。
「魔力だの付与だのは、俺にゃあ要りやせん。刃筋が通り、間合いを盗み、要らん肉を断つ。それさえできりゃあ、道具としては上等すぎるくらいだ」
ネギオは眼鏡の奥の目を丸くし、それから苦虫を噛み潰したような顔で、深々とため息をついた。
「……豚に真珠、猫に小判、そして任侠刀に狂人か。道具の熱処理と鍛造応力の本質を、理論すら知らぬ土工に見抜かれるとはな。ドンガンの通信講座一級首席の看板が泣くわ」
ネギオは棚から粗末な革の下げ緒を取り出し、鞘に無造作に結びつけた。
「持っていけ。処分費用を浮かせられたと思えば、原価計算上はプラスだ」
「代金は、どうすれば」
「銀貨二枚だ。貴様のその安っぽいニッカポッカのポケットに入っている全財産だろう? 釣りはいらん。……ただし、万が一その刃を折るような無様な使い方をしてみろ。貴様の頭部を私のネギカリバーで両断し、堆肥の原料にしてやるからそう思え」
毒舌を吐きながら背を向けるネギオ。
一鬼は小さく笑い、作業着のポケットから銀貨二枚を取り出して作業台の上に整然と並べた。
そして、刀を腰の左側――晒とニッカポッカの帯の間へと深く差し込む。
「恩に着ます、ネギオの旦那。……大事に使わせていただきまさぁ」
完璧な九十度の一礼を残し、一鬼は工房を後にした。
静かになった工房で、ネギオは作業台の銀貨二枚を見下ろし、再びポポロシガーに火をつけた。立ち上る紫煙を天井へ吹き抜けさせながら、ポツリと呟く。
「……まったく。非合理極まりない、面倒な客が住み着いたものだな」
初夏の風が吹き抜けるポポロ村の街道。
腰に一本の無骨なポン刀を差した元極道は、再び土を耕すため、開墾の現場へと歩を進めていくのだった。
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