EP 3
『ポポロ村のタローマンと、不憫なケンタウロス』
のどかな田園風景の広がる緩衝地帯、ポポロ村。
木造の素朴な家屋や、風に揺れる名もなき花々。いかにも絵本に出てきそうなのんびりとした農村風景――の、はずだったのだが。
「……なんだ、ありゃ」
村の入り口を抜けた一鬼は、目の前の光景に思わず足を止めた。
レンガ造りの家々が並ぶ大通りの一角に、そこだけ明らかに異質な、巨大な平屋のトタン屋根の建物が鎮座していたのだ。
青と黄色の派手な看板には、見慣れた日本語に近い文字でこう書かれている。
『働く男と冒険者の店 タローマン ポポロ村支店』
(……昭和の郊外かよ)
思わず心の中でツッコミを入れたが、一鬼にとってこれほどありがたい場所はなかった。
店内に入ると、油とゴム、それに真新しい布の匂いが混ざり合った、ホームセンター特有の香りが鼻を突く。
ズラリと並ぶ陳列棚には、剣や魔法の杖などではなく、ツルハシ、スコップ、釘、そして作業着が所狭しと並べられていた。聞けば、かつてこの大陸に覇を唱えたルナミス帝国の初代皇帝が、異世界の知識(百円ショップやホームセンターの概念)を持ち込んで普及させたものらしい。
一鬼は迷うことなく衣料品コーナーへ向かい、手早く必要なものを揃えた。
動きやすい黒のニッカポッカ(足首の絞られた極太の作業ズボン)、純白の晒、腕を保護する手甲、そして足元を固めるための地下足袋。さらに、農作業用として柄の太い頑丈な鋼の『鍬』を一本手にした。
「お会計、銅貨八枚になりやす」
「……これで、頼む」
女神ルチアナから支給された初期の路銀をほぼ全額支払い、一鬼はその場で着替えを済ませて店を出た。
ダボついた黒のニッカポッカに地下足袋、上着を羽織らず引き締まった上半身に晒を巻き、肩に鍬を担いだその姿は――ファンタジー世界においては完全に異物。どこからどう見ても、昭和の建設現場を取り仕切る『その筋の親方(あるいは鉄砲玉)』にしか見えなかった。
「よし。これで身なりは整った。……あとは、今日のメシ代を稼がねぇとな」
懐には、残された銅貨がたったの二枚。パン一つ買えば消えてしまう金額だ。
一鬼は鍬を肩に担ぎ直し、仕事を探して村の中央広場へと向かった。
*
広場の一角にある、頑丈な丸太で組まれた『ポポロ村 自警団詰所』。
その入り口の掲示板に、一鬼が求めていたものがあった。
『日雇い労働者募集:村外れの荒地開墾および排水溝整備。日当・銀貨三枚。経験不問、体力のある者。詳細は自警団受付まで』
「銀貨三枚……相場は分からねぇが、その日暮らしには十分だろう。何より、土をいじる仕事ってのがいい。真っ当に汗を流すにはうってつけだ」
一鬼は身なりを整え、首の骨をコキリと鳴らして気合いを入れると、詰所の重い木の扉を開けた。
「たのもーっ!」
威勢の良い、だが低く腹の底に響く声で詰所に入る。
室内には書類の束が積まれたデスクがいくつかあり、一番奥の大きな机で、一人の女性が羽ペンを走らせていた。
一鬼は、相手の姿を見てわずかに目を見開いた。
美しい艶やかな栗毛の長髪を持つ、凛とした顔立ちの女性。だが、彼女の腰から下は、屈強な『馬』の胴体になっていたのだ。
元・ルナミス帝国辺境騎士団長にして、現在はポポロ村の自警団リーダーを務めるケンタウロスの女性、マンミア(二十五歳)である。
(……馬と人間が、くっついてやがる。ファンタジーって奴だな。だが、相手がどんなナリだろうと、スジは通さねぇとな)
一鬼は、三十五年の刑務所生活で骨の髄まで染み込んだ『目上の人間に対する作法』を完璧にトレースした。刑務官や面接委員に対して行っていた、あの究極の所作である。
スッ、と音もなくマンミアの机の三歩手前まで進み出る。
両足の踵をピタリと揃え、両手を太ももの横に密着させる。
そして、一切のブレもない完璧な直角九十度のお辞儀を繰り出した。
「お忙しいところ、大変失礼いたします! わたくし、高島一鬼と申す流れ者にございます。表の張り紙を拝見し、日雇いの開墾作業に応募したく、推参いたしました!」
静寂。
詰所の中の空気が、ピンと張り詰めた。
書類から顔を上げたマンミアは、今、心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖と混乱に見舞われていた。
目の前で頭を下げている男。
丸腰に近い。魔法の杖も、大剣も持っていない。着ているのはタローマンの安物の作業着だ。言葉遣いも異常なほどに丁寧で、恭しい。
――だというのに、何だ、この圧倒的なプレッシャーは!?
(な、何者なの、この男……!? まるで、隙というものが一切ない……!)
マンミアの優れた騎士としての直感が、警鐘をガンガンと鳴らしていた。
男が頭を下げているその姿勢は、一見すると無防備に見える。だが違う。いつでもその状態から、最短距離でこちらの喉笛を掻き切れる『恐るべき間合いの支配』が完了しているのだ。
少しでも妙な動きを見せれば、次の瞬間には自分の首が床に転がっている。マンミアには、そんな幻覚すら見えた。
「顔を上げよ……。貴殿、名はなんと言った?」
「はっ。高島一鬼と申します」
一鬼が顔を上げる。
その瞳――まるで光の差し込まない深海のような、感情の一切読めない漆黒の眼光と目が合った瞬間、マンミアの背筋にゾクリと冷たい汗が流れた。
(ひっ……! 殺される! なんなのこの目!? アバロン魔皇国の暗殺教団のトップ? それとも、裏社会を牛耳る伝説の処刑人!? なんでそんな化け物が、ウチみたいな辺境の農村にいるの!?)
内心ではパニックを起こし、ケンタウロスの前足がガクガクと震えていたが、マンミアは必死に表情筋を固定し、自警団リーダーとしての威厳を保とうと努めた。
「こ、コホン。イ、イチキ殿、だな。……貴殿ほどの腕を持つ(ように見える)者が、なぜ、村の開墾作業などに? もっと割のいい護衛任務や、魔獣討伐の仕事などいくらでもあるだろうに……」
「とんでもねぇ。俺は不器用な男です。過去に色々ありまして、長らく日陰の身におりましたが……これからは、お日様の下で、土をいじって真っ当に汗を流したい。そう決めたのです」
一鬼の言葉は真実だった。「三十五年の刑務所暮らしから真っ当にやり直したい」という純度百パーセントの決意である。
しかし、マンミアの耳には全く別の意味に変換されて届いていた。
(過去に色々……日陰の身……ッ!! やっぱり! 裏社会で数え切れないほどの血を流し、引退して身を隠そうとしている伝説のアサシンだわ! これ、採用を断ったら、口封じのために私ごと詰所を消滅させられるパターンじゃないの!?)
マンミアは、ガタガタと震える手で机の上の「採用許可印」を握りしめた。
ここで刺激してはならない。機嫌を損ねず、穏便に穴でも掘っていてもらうのが一番安全だ。
「わ、わかった! 貴殿の……その、真っ当に生きたいという決意、見事である! そ、即日採用とする! すぐに裏の現場監督のところへ向かってくれ!」
バンッ!と、勢いよく書類にハンコが押された。
一鬼は、顔をぱぁっと明るくさせた。
娑婆に出て初めての、真っ当な仕事。それが得られた喜びで、彼の胸は熱くなった。
「ありがとうございます! この御恩は一生忘れません。……必ずや、粉骨砕身の覚悟で穴を掘らせていただきます!」
「フンコツ……ッ!? い、いや、そこまで命を懸けなくてもいい! ただの排水溝の穴掘りだから! 普通に、普通に掘ってくれればいいから!」
一鬼は再び完璧な九十度のお辞儀を繰り出し、クルリと踵を返して詰所を出て行った。
ガチャリ、と重い木の扉が閉まった瞬間。
「はぁぁぁぁぁぁっ……!!」
マンミアは、限界に達していた緊張の糸が切れ、机の上に上半身を突っ伏した。馬の下半身の四肢から力が抜け、床にへたり込む。
全身が汗びっしょりだった。
「寿命が……十年は縮んだわ……。なんなのよ、あのおじさん……絶対にカタギじゃないわよ……ッ」
二十五歳、恋人なし。クリスマスには一人で半額のケーキを食べる不憫な元騎士団長マンミアの胃に、また一つ、特大のストレスの種が撒かれた瞬間だった。
一方、詰所を出た一鬼は、ポカポカと暖かい春の陽射しを浴びながら、肩に担いだ鍬をポンポンと叩いた。
「いい上官だったな。よーし、気合い入れて働くとするかね」
すっかり清々しい気分になった元無期懲役の極道は、鼻歌交じりに開墾現場へと向かっていくのだった。
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