EP 2
『夜襲の黒蜘蛛と、北辰一刀流「節抜き」』
北西の防風林を抜けた先、村の外郭防壁は無残に裂け落ちていた。
闇ルートから密輸された大型徹甲弾の直撃を受け、厚さ三十センチの硬質樫の防壁が粉砕され、くすぶる黒煙の向こうから不気味な金属擦過音が響いてくる。
カチ、カチ、カチ、カチ……。
それは生物の足音ではなかった。冷徹な歯車と魔導油、そして腐肉の混ざり合った悪臭を撒き散らしながら闇夜のあぜ道を進軍してくる、機械化蟲群の生体兵器――『死蟲機』の先遣部隊。
三メートルを超える巨大な黒鉄の胴体を持つ『ネクロアント(死蟲兵蟻)』が十数体。その背後には、細身の刃脚を研ぎ澄まし、月光を鈍く跳ね返す双鎌の暗殺機『ネクロマンティス(死蟲蟷螂)』が五体、首を不自然に傾げながら蠢いている。
さらにその後方には、黒蜘蛛団の紋章を縫い付けた革鎧姿の闇ギルド傭兵たちが、連射式魔導ボウガンと破甲大斧を構えて陣を敷いていた。
「ケケッ! 見張りは粗方吹き飛ばしたぞ! 村の中に雪崩れ込んで女子供を引っ捕らえろ! 抵抗する豚共は生体兵器の餌にしてやれェッ!!」
傭兵隊長の濁った咆哮が夜空を震わせる。
先頭のネクロアント群が一斉に魔導核を励起させ、赤黒いマナ光を複眼に灯した。前脚の杭が地をえぐり、突進の構えを取る。生身の人間なら一撃でミンチにされ、軽装甲車すらペシャンコに圧殺する突貫攻撃。
「……イチキ殿、下がっていろ! 奴らの甲殻はミスリルと鋼の二重焼入れ、並の刃物など通らん! アグニで私が――」
マンミアがパイルバンカーシールドの安全装置を解除し、蹄を打ち鳴らして前へ出ようとした。
だが、その横を――すっ、と風のような足取りで通り抜けていく黒い影があった。
「マンミアのお嬢さん。……せっかく綺麗に研いでもらった得物だ、ちっと試運転させてもらいまさぁ」
一鬼だった。
ダボついた黒のニッカポッカの裾を夜風に揺らし、泥に汚れた地下足袋は、瓦礫の散らばる土間を驚くほど滑らかに踏みしめていく。
右手は自然体で下ろされ、左手は腰に差した無骨な白木の鞘――ヒエンが神火で鍛え直し、ネギオから譲り受けたあの打刀の鯉口へと、静かに親指を添えていた。
「おいおい! 土方が丸腰同然で出てきやがったぞ!」
「あいつだ! ダントン代表を恥かかせたポン刀野郎だ! ネクロマンティス、切り刻んで肉片に変えてやれェッ!!」
後方の傭兵が叫ぶと同時に、先頭のネクロマンティスが夜闇を切り裂いて跳躍した。
四本の細長い機械脚が空気を圧縮し、頭上十メートルから垂直落下。両腕に備わった高周波振動鎌が、キィィィィンと耳を劈く金属悲鳴を上げながら、一鬼の脳天めがけて真っ二つに振り下ろされる。
直撃すれば、岩石だろうとバターのように両断される必殺の刃。
「イチキさんっ!!」
キャルルが悲鳴を上げ、足元の雷竜石を点火させようとした。
しかし――そのコンマ一秒前。
――チャキッ。
澄み渡る硬質な鍔鳴りが、戦場の喧騒を凍りつかせた。
一鬼は逃げなかった。
上空を見上げることもなく、ただすっと正中線を沈め、半歩だけ前へと踏み込んだ。
北辰一刀流・組打ち解体術――『節抜き(ふしぬき)』。
ヒュンッ。
抜き放たれた刃は、敵の硬質な甲殻を叩き割る軌道を描いてはいなかった。
一鬼の目が見据えていたのは、三十五年間、刑務所の木工工場で丸太の木目を読み、食肉解体工場で牛馬の関節の腱を外してきた、冷徹なまでの「構造の急所」。
どれほど強固なミスリル装甲を纏おうと、機械と生体が連動する関節の継ぎ目には、必ず摩擦を逃がすための「数ミリの隙間」が存在する。
ガチリ。
ネクロマンティスの右鎌が振り下ろされる最速の頂点。
その肩関節の球体ベアリングと人工筋肉の接合部へ、一鬼のポン刀の切っ先が、まるで吸い込まれるように斜め下から滑り込んだ。
切断ではない。
刀身の鎬をわずかに捻り、テコの原理で関節の噛み合わせを「こじる」。
――ペキィン。
信じられないほど小さな、乾いた破断音。
直後、超高速で振り下ろされていたはずの巨大な高周波鎌が、何の抵抗もなくポロリと根元から外れ、地面の泥の中へと力なく転がり落ちた。
「ギ……ガ……!?」
右腕を失ったことに気づく間もなく、ネクロマンティスの巨体が慣性で前へと突っ込んでくる。
一鬼は流れるような摺り足で左へ半歩身体を躱すと同時に、返した刀の峰で、怪物の逆側の左肘関節のピンをカンッ!と小気味よく打ち抜いた。
さらに、すれ違いざま、相手の胴体と下半身を接続する主軸ボルトの隙間へ、逆手に持ち替えた鞘の先端を電光石火の勢いで突き入れる。
カチャリ、ドゴォンッ!!
「ギガガガガッ……!?」
斬られたわけではない。血も油も吹き飛んでいない。
ただ要のピンと関節を外されただけで、全高三メートルの冷酷な殺人機械が、まるで粗悪なブロック玩具のように四散し、手足と胴体をバラバラに撒き散らしながら地面へと崩壊した。
「…………は?」
突撃の号令をかけていた闇ギルドの傭兵隊長が、ぽかんと口を開けた。
自慢の生体兵器が、ただの作業着の男とすれ違った瞬間、まるで熟練の解体屋にバラされた豚肉のように、一瞬で「部品の山」と化して転がっていたのだ。
「な、何が起きた……!? 装甲を……撫でただけで分解した……!?」
「ひ、怯むなァッ! ネクロアント、押し潰せぇぇぇッ!!」
恐慌を打ち消すように、今度は二体のネクロアントが左右から同時に突進してきた。
それぞれが数トンの質量を持つ鋼鉄の蟻。分厚い前胸装甲を盾にして、一鬼を挟み撃ちにして圧殺せんとする猛牛のごとき突貫。
だが、一鬼の心拍数は、やはり【毎分五十拍】の完全なる凪を保っていた。
「……焦りすぎだ。道具の急所ってなぁ、力んで叩くんじゃなく、向こうから見せてくれるもんでさぁ」
一鬼は身を低く沈めると、突進してくる左側のネクロアントの懐へ、自ら飛び込んだ。
相手の杭が地面を突き刺す瞬間、その前脚の膝関節の内側――装甲板が最も薄く重なり合う折り目へ、ポン刀の刃を水平に滑り込ませる。
パキンッ。
刃先をほんの三ミリ沈め、手首のスナップで軽く跳ね上げる。
それだけで、油圧シリンダーを固定していたリベットが綺麗に弾け飛んだ。支えを失ったネクロアントの巨体が、己の突進力によって前のめりに横転する。
一鬼はその背中を踏み台にして宙へと跳び上がり、もう一体のネクロアントの頭上へと音もなく舞い降りた。
着地と同時に、刀を逆手に構え直す。
狙うは頭部と胸部を繋ぐ魔導神経の束。
一鬼は刃ではなく、ポン刀の『柄頭』を、装甲の継ぎ目へ垂直に叩き込んだ。
――ドォンッ!!
北辰一刀流・浸透掌底の理合を乗せた打撃。
外殻のミスリル装甲には傷一つつけず、衝撃波のみが内部の魔導核へとダイレクトに貫通する。
プシュウゥゥ……と青白いマナ蒸気が排気口から吹き出し、巨大蟻の複眼の光がぷつりと途絶えた。巨体がガクンと膝をつき、そのまま静まり返る。
わずか十秒。
最前線を埋め尽くしていたはずの凶悪な生体兵器三体が、誰一人として原形を保てず、完全に機能停止させられていた。
風が吹き抜け、一鬼の黒いニッカポッカの裾を揺らす。
一鬼は無造作に刀を振り、残心を取ると、親指でパチンと鯉口を鳴らした。
「……いい鉄だ。ヒエンの若旦那が打ってくれた刃先は、筋の通り方がまるで狂わねぇ」
背後で見ていた長屋の面々から、どよめきが上がった。
「す、げぇ……」
ヒエンが目を丸くし、自分の大鎚を握り直す。
「硬い装甲を叩き割るんじゃなく、パーツの合わせ目をピンポイントでこじ開けて分解しちまった……! あの人、鍛冶屋の俺より構造を理解してやがる!」
「……フン。驚嘆に値する合理性だな」
ネギオが紫煙を吐き出しながら、眼鏡の奥の目を光らせた。
「力学的モーメントを最小化し、相手の自重と慣性エネルギーを利用した関節脱臼。破壊ではなく『解体』か。無駄なエントロピーを一切発生させん、恐るべき職人技だ」
「ケケッ! 見惚れてる場合じゃねぇぞ!」
狼王フェンリルが獰猛な犬歯を剥き出しにし、凍気の爪を構えた。
「オッサンが露払いしてくれたんだ! 残りのゴロツキ共のケツに、特大の氷柱をブチ込んでやる番だろォッ!!」
先陣を切った一鬼の超絶技巧が、防衛部隊の士気を限界まで沸騰させていた。
一方、目の前の光景を信じられない面持ちで見つめていた闇ギルドの傭兵たちは、恐怖で顔を引きつらせ、後ずさりを始めていた。
「ば、化け物……ッ! 重装甲の死蟲機を一瞬でバラバラにしやがった……!」
「後退だ! 重火器班、何をもたもたしてる! 盗品バズーカと機関砲で、あの土方ごと周囲を吹き飛ばせェッ!!」
後方の木立の陰から、再び漆黒の砲身が持ち上げられ、一鬼めがけて照準が絞られていく。
だが――その引き金が引かれることはなかった。
一鬼の背後から、神話の怪物たちが、猛然と牙を剥いて飛び出してきたからである。




