第三章『仁義なき防衛戦と、長屋の盃編』
『出陣の煙草と、長屋の衆』
夜の帳が落ちきったポポロ村の境界から、空を焦がす鈍い爆砕音が地鳴りとなって響いてきた。
北西の空を赤黒く染め上げる噴煙。自警団の魔導哨戒ドローンが発する甲高い警報音が、湿り気を帯びた初秋の夜気をズタズタに引き裂いている。
「……ッ、私の村に、何してくれてんのよ……!」
東外れの三十坪の畑のあぜ道で、キャルルが小柄な拳を血が滲むほど固く握りしめた。
ルビー色の双眸の奥に、猛烈な殺気と怒りの業火が宿る。
タローマン特注安全靴の踵に封入された雷竜石が、彼女の感情の高ぶりに呼応してバチバチと紫電を漏らし、足元の黒土を焦がしていた。今すぐにでもマッハの速度で飛び出し、襲撃者どもの喉笛を蹴り砕いてやりたいという破壊衝動が、月兎族の上位因子の奥から沸き上がっている。
だが、その華奢な肩へ、トン、と静かに大きな掌が置かれた。
「……っ、イチキさん?」
振り返ったキャルルの視界に飛び込んできたのは、焦りも怒りも微塵も見せない、いつもの一鬼の横顔だった。
ダボついた黒のニッカポッカに、純白の晒。
左の腰には、白木の鞘に収まった一本の打刀(ポン刀)が静かに差されている。
「村長さん」
低く、腹の底を直接揺らすような、静謐なドスの利いた声。
「若い娘さんが、そんな鬼のツラをするもんじゃありやせんよ。……シマを守るってなぁ、男の仕事だ」
「な、何言ってるの!? 相手は二百人以上の武装部隊なんだよ!? あの悪徳商会のダントンが、闇ギルドと死蟲軍の残党まで引き連れてるってニャングルが言ってたでしょ!? イチキさん一人で行ったら、いくら強くたって――」
「一人で行く、なんて誰が言いましたかい」
一鬼は静かに口元を緩めると、手拭いで首筋の汗を拭った。
「俺は、自分の手で開墾したこの三十坪の畑が好きでしてね。明日も明後日も、ここで泥にまみれて芋を掘りたい。……その平穏を土足で踏み荒らそうって外道が押し寄せてきたんなら、カタギの長屋の住人として、キッチリと落とし前をつけにいく。ただ、それだけのことでさぁ」
一鬼は静かに踵を返し、村落の中央――木造モルタル三階建てのアパート『ポポロ・コーポ』へと向かって、摺り足で歩き出した。
慌ててその後を追うキャルル。自警団長のマンミアも、蹄を激しく鳴らしながら背後を固める。
*
ポポロ・コーポの正面玄関。
街灯の魔導ランプが照らし出す板張りのエントランスには、夜の静寂を圧倒するような異様な威圧感が渦巻いていた。
一鬼が下駄箱の前で足を止めた瞬間、暗がりからカチリと金属の擦れる音が響いた。
「……遅かったじゃねぇか、オッサン」
最初に口を開いたのは、102号室の扉の前に凭れかかっていた銀髪の美青年――狼王フェンリルだった。
首元のファー付きレザージャケットを羽織り、耳のピアスを揺らしながら、口元には不敵で狂暴な笑みを浮かべている。その両手には、触れる大気すら瞬時に凍結させる絶対零度の冷気が、白い霧となって渦巻いていた。
「俺の夜食の肉椎茸丼の余韻を、ドブネズミどもの大砲の音で邪魔されちまった。……タダ飯食わせてもらった以上、ツケはきっちり払わねぇとな」
「フン。騒々しい羽虫どもだ」
重厚な低音とともに、101号室の引き戸から姿を現したのは、仕立ての良い暗色のコートを羽織った壮年男性――竜王デューク。
口には太いポポロシガーを咥え、黄金の竜瞳からは、山ひとつを灰燼に帰す焦熱のプレッシャーが漏れ出していた。
「我が寸胴の灰汁取りを完遂した男の畑を、薄汚い蟲どもが踏み荒らすなど、言語道断。我が至高のスープの仕込みの邪魔をする輩には、我が竜炎の洗礼を受けてもらわねばならんな」
外階段から、ドスン、と重い足音が響いて降りてきたのは、201号室のヒエンだった。
若き半神の鍛冶屋は、背丈ほどもある特注のミスリル製大鎚を軽々と担ぎ、瞳の奥に不死鳥の神火を爛々と灯している。
「イチキさん! アンタに預けた鍬とポン刀、神火で打ち直した俺の仕事だ。あんな安物の闇兵器なんかに傷ひとつつけさせやしねぇよ!」
さらに、敷地の外――赤松の防風林の暗がりから、紫煙を燻らせながら歩み出てきた長身の影があった。
インテリ奇樹、ネギオ。
眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、手にした聖葱剣『ネギカリバー』の刀身から、高周波の絶対切断闘気を青白く放っている。
「……マクロ経済的観点から言わせてもらえば、村落インフラの破壊による復旧コストは莫大だ。暴力を抑止するための最善の手法は、侵略コストが利益を遥かに上回ると敵の脳髄に刻み込むことのみ。非合理的蛮族どもの分子結合を、私の刃で適正に解体してやるとしよう」
そして――。
A棟の103号室のベランダから、ド派手な金色の光沢ジャージを着た大男が、サンダルを鳴らしてひょっこりと姿を現した。
黄金のリーゼントヘアをビシッと固め、口元にハイライトを咥えた男――第六の聖獣、麒麟(リキ兄貴)だった。
「よォ、一鬼さん」
リキ兄貴はゴツいメリケンサックを両拳にはめ、パキパキと指を鳴らした。紫銀色の極大聖雷が、その拳の周囲でバチバチと火花を散らす。
「地元のガキども(闇ギルド)が、スジも通さねぇで他人のシマ(村)に土足で踏み込んできたらしいじゃねぇか。……男がケジメつけに行くってんなら、俺も並んで単車(爆音天聖号)走らせるのが筋ってもんだろ。なぁ、一鬼の頭?」
「…………」
長屋の面々。
神話の古竜、絶対零度の神狼、不死鳥の血を引く半神、世界樹の変異奇樹、そして次元を超越するヤンキー聖獣。
いずれも大陸の覇権を一夜で覆し得る怪物たちが、誰に命令されたわけでもなく、ただ一人の作業着の男の周囲に、完璧な布陣で集結していた。
キャルルは、その光景を前に息を呑んだ。
胸の奥で、ドクン、と熱い血が跳ね上がる。
(これ……『一鬼組』だ……!)
元王女としての知識も、村長としての法規も関係ない。ただ一人の男が紡ぎ出した泥臭い誠実さと仁義が、神々をも巻き込む絶対的な「家族(組)」をここに結成させていたのだ。
「……やれやれ」
一鬼は小さく苦笑し、ポケットからくしゃくしゃになった白の小箱を取り出した。
昭和の無骨な銘柄――ショートホープ。
一本を唇に挟み、マッチを擦る。
シュッ、と小さな炎が夜の闇を照らし、紫煙がふわりと立ち上った。
深く、肺の奥まで煙を吸い込み、ゆっくりと夜空へ吐き出す。
その横顔には、三十五年前に敵対組織の事務所へ単身で乗り込んだ時と同じ、一切の迷いを削ぎ落とした「修羅の覚悟」が満ちていた。
「手前らの血ぃ流すこたぁねぇ。俺の個人的な落とし前でさぁ」
一鬼は煙草を指に挟み、集まった仲間たちを静かに見渡した。
「ですが……背中を預けさせてもらえるってんなら、これほど心強い長屋はありやせん。……恩に着やす」
「へっ、水臭ぇこと言ってんじゃねぇよ!」
フェンリルが不敵に笑う。
「前科者だろうが何だろうが、同じ釜の飯を食った仲だ。……行くぞ、一鬼!」
デュークが先頭に立って歩み出す。
「……うん!」
キャルルもまた、決意を込めて一鬼の隣へと並んだ。
その長い純白の兎耳が、一鬼の胸の奥から響く鼓動を捉える。
これほどの怪物たちを従え、死線へと歩み出す瞬間ですら――男の心拍数は、やはり【毎分五十拍】の完全なる凪を保っていた。
(本当に……どこまでも、ブレない人。……私が、絶対に死なせない)
初秋の冷たい夜風が吹き抜けるポポロ村の大通り。
作業着に地下足袋、腰に一本のポン刀を差した元極道を先頭に、神話の化け物たちが夜の闇へと静かに進軍を開始した。
北西の空で、再び大きな爆炎が上がった。
ポポロ村の平穏と、泥まみれの畑を守るための――仁義なき防衛戦の幕が、切って落とされようとしていた。
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