EP 8
『ダンジョン更生監獄と、画面越しの若頭』
その夜、ポポロ・コーポの女子棟(B棟)一階、103号室――通称『女子会部屋』の襖の向こうから、いつにも増してけたたましい奇声と缶ビールの破裂音が轟いていた。
「プハァーーッ! やっぱ労働の後のビールは染みるわぁ! ちょっとラスティア、そこのポテチ取って! コンソメ味のやつ!」
「自分で取りなさいよルチアナ! 私はいま、月人君のファンクラブ限定生配信の待機画面で忙しいの! 電波が途切れたらアバロン魔皇国の国庫から光回線引くわよ!」
神話の世界神ルチアナ(永遠の十七歳・小豆色芋ジャージ)と、真魔王ラスティア(永遠の十七歳・銀髪美少女)が、畳の上で足を投げ出して駄弁り散らかしている。机の上にはタローソンで買い込んできた乾き物と、空になったビール缶がピラミッド状に積まれていた。
ドタバタと廊下を走るサンダルの音。
襖がガラッと乱暴に開け放たれた。
「おーい! イチキ〜! ちょっと来てぇー!」
通路を挟んだ向かいのA棟103号室で、明日の農作業に備えて地下足袋の繕い物をしていた一鬼は、針を置いて静かに顔を上げた。
戸口に立っていたのは、頬をほんのり赤く染め、缶ビールを片手に持ったルチアナだった。
「……女神様。夜分遅くに、何かご用で?」
「定例の星区リモート会議の時間なんだけどさぁ! 今日のホスト役、あのクソハゲ管理職のオリンなのよ! アイツの顔見てると胃が痛くなるから、イチキ、ちょっと画面の端っこで座っててくんない? 威圧感でアイツ黙らせてよ!」
「はぁ……? カイギ、ですか」
訳も分からぬまま、一鬼はニッカポッカの裾を正し、言われるがままB棟103号室へと連れて行かれた。
部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上には、ルチアナの私物である『エンジェルすまーとふぉん』が三脚に立てかけられ、空間上に青白い四角い魔導モニターが四分割で浮かび上がっていた。
*
『えー、ゴホン! では定刻となりましたので、今月の第3小星区・惑星アナステシア運営定例報告会を始めたいと思うが……ルチアナ君? その格好は何だね。ジャージで缶ビールとは、神格公務員としての品位が――』
画面の左上で、頭頂部から眩いばかりの後光(ハゲ頭の反射光)を放つ中年スーツ姿の男神――星区統括リーダーのオリンが、胃薬の瓶を握りしめながら小言を漏らしていた。
「うるさいわねぇハゲ! こっちは現場で泥臭く世界観の維持してんの! 細かいことネチネチ言ってると、またヴァルキュリアに音響デシベル超過でカスハラ部に通報されるわよ!」
『う、うぐぅ……(ボリッ、ボリボリッ)』
オリンが悲鳴のような音を立てて胃薬を三錠一気に噛み砕く。
画面の右側では、ブランド物のサングラスをかけた月の女神カグヤが爪の手入れをしながら『相変わらず民度が低くて反吐が出ますわね』と鼻を鳴らしていた。
そして――画面の右下。
薄暗い和室のような空間。壁には金文字で『誠魂』と書かれた巨大な掛け軸。黒漆塗りの一枚板デスクの向こうで、完璧な仕立てのジョルジオ・アルマーニのスリーピーススーツを着込んだ黒髪の美青年が、眉間に深いシワを寄せて画面を睨みつけていた。
ダンジョン最深部の更生監獄に服役中の元世界神――邪神デュアダロスである。
『おいコラ、ルチアナの尼公。前置きはどうでもええんじゃ。俺のシガーとフルボディの赤ワイン、それに焼きチーズはどうなっとる。刑務所の飯がカチカチの芋ばかりで、娑婆の味が恋しくて血管が千切れそうなんじゃボケ』
デュアダロスは、神気で精密成形したソ連製名銃トカレフTT-33を指先で器用に弄びながら、ドスの利いた声で画面を威嚇した。任侠映画DVD全集で磨き上げた、渾身の「極道の組長ムーブ」である。
「知るか! あんたは服役囚でしょ! おとなしくダンジョンで反省してなさいよ!」
『あァん!? 受刑者にも最低限の人権っちゅうもんがあるんじゃい! 耳元で指パッチン鳴らされて塵になりとぅなかったら、Amazonの置き配で今すぐチーズを――』
喚き散らすデュアダロスの視線が、ふと止まった。
ルチアナの背後。
ちゃぶ台の端、畳の上に寸分の隙もなく正座し、両手を膝の上に揃えて静かに座っていた男――高島一鬼の姿が、画面の画角に見切れたのだ。
『…………』
デュアダロスの指先から、トカレフがポロリと机の上に落ちた。
カラン、と乾いた音が画面越しに響く。
『……おい、ルチアナ』
デュアダロスの声から、先ほどまでの威勢の良い怒号が完全に消え失せていた。
代わりに混ざり込んだのは、信じられないものを見た時のような、底知れぬ動揺と慄き。
『……そこの、作業着を着た男は何者じゃ』
「え? あー、イチキ? 先週下界に転生させた元地球人のおっちゃんだけど。チートいらないって言った変人」
『地球人……おっちゃん……だと……!?』
デュアダロスはデスクに両手をつき、画面へ顔を極限まで近づけた。
アルマーニの胸元が汗で張り付いていく。
元神としての鋭敏な観察眼が、一鬼の全身から放たれる「気配」を克明にスキャンしていた。
――一切の乱れがない、背筋の通った端座。
――両手の指先まで神経が行き届いた、脱力と極限の緊張が同居する所作。
――そして、何よりあの双眸。
映画の俳優が真似事で作るような浅い殺気ではない。
法を犯し、己の命と誇りを天秤にかけ、人を撃ち、三十五年という永遠に近い時間を冷たい鉄格子の中でたった一人で耐え抜いた者だけが宿す――底なしの「本物の懲役囚の重力」。
『な……なんちゅうツラ構えじゃ……。背筋の伸び方……畳の目の捉え方……それに、あの肩の落ち具合……! ありゃあ、任侠映画の役者なんてもんじゃねぇ……! 本職……! 娑婆の、本物の極道じゃねぇか……ッ!!』
デュアダロスの背筋を、氷のような悪寒と、それ以上の猛烈な鳥肌が駆け抜けた。
これまで何千回と擦り切れるほど観てきた任侠映画の主人公たちが、束になってかかっても敵わない「本物の凄み」が、画面の向こうに実在していたのだ。
一鬼は、画面越しの視線に気づくと、居住まいを正した。
相手が神であろうと受刑者であろうと、仁義を通すのが一鬼の流儀だ。
畳の上に両手をハの字につき、頭を深く下げた。完璧な直角九十度のお辞儀。
「夜分遅くに恐れ入ります。わたくし、高島一鬼と申す者にございます。……三十五年ほど、日の当たらぬ場所でお勤めを果たし、先日娑婆へ出させていただきました。以後、お見知りおきを」
『さ……三十五年……ッッッ!!!!』
デュアダロスは悲鳴を上げ、革張りの社長椅子ごと後ろへ転倒した。
ドッシャァァァンッ!!と画面の向こうで掛け軸が傾き、書類が舞い散る。
『懲役三十五年……!? 無期懲役の満期釈放じゃとぉぉぉっ!? ガチのレジェンドじゃねぇか!! チャカで組長のタマ取らなそんな年数喰らうわけねぇだろッッ!!』
慌てて這い上がってきたデュアダロスは、アルマーニのネクタイを大慌てで締め直し、画面の前で直立不動の姿勢を取った。
そして、踵をバチィッと揃え、直角九十度を遥かに超えて、額が机に激突するほどの勢いで最敬礼を繰り出した。
『お、お勤めご苦労様でしたッッ!! 一鬼の兄貴ィィィッッ!!!!』
「……へ?」
ルチアナが口からビールを盛大に吹き出した。
プハァッ!と飛沫が散り、隣でスマホを弄っていたラスティアの顔面に直撃する。
「汚ったな! 何すんのよルチアナ! ……ていうか、あのデュアダロスが何で直立不動で土下座してんのよ!?」
『おいデュアダロス君!? 君は一応、元・第3種惑星創造神なのだぞ! 人間相手に何を平伏しているのかね!? (ボリッ、ボリボリッ)』
オリンが泡を吹いて胃薬を噛み砕く中、デュアダロスは画面に鼻先を擦り付ける勢いで叫んだ。
『黙っとれハゲぇッ! 貴様ごとき温室育ちの公務員に、三十五年のお勤めの重みが分かってたまるかボケェッ! 兄貴! 高島一鬼の兄貴! 俺です! ダンジョン更生監獄で組長(受刑者)やってます、デュアダロスでございます! どうぞデュアとお呼びくださいッ!』
「……はぁ。デュアさん、ですか。ご丁寧に恐縮でさぁ」
一鬼が首を傾げながら軽く頭を下げると、デュアダロスは感涙に打ち震えた。
『兄貴……! その謙虚さ、その無駄のない佇まい……! 本物だ、本物の漢だ……! 兄貴、どうか! どうか俺を、一鬼組の若頭に据えてやっておくんなせぇッ! 娑婆に出た暁には、ポポロ村の土地を端から端まで耕し、兄貴の耕運機のキャタピラとなって泥を啜る覚悟にございますッ!』
「いや、俺は組なんて立ち上げる気は毛頭ねぇんですがね。ただの百姓志望でして」
『滅相もねぇ! 百姓上等! 鍬を握れば鍬がドス、大地を均せばそれがシマ! 兄貴の歩く道こそが、我が一鬼組の極道街道にございますッ! おいルチアナの尼公! てめえ、兄貴に失礼な口利いたら、出所した瞬間トカレフで眉間に風穴開けるからそう思えやコラァッ!』
「なんで私が脅されてんのよぉぉぉっ!?」
ルチアナが頭を抱えて絶叫し、画面の右上のカグヤは『……救いようのないバカがまた一人増えましたわね』と冷淡に回線をブチ切った。
オリンに至っては、胃薬の瓶を丸ごと口へ流し込み、白目を剥いてデスクに突っ伏している。
「あの……デュアさん」
一鬼が穏やかな声で呼びかけると、デュアダロスは『ハッ! 何でございましょう兄貴ッ!』と画面越しに背筋をピンと伸ばした。
「ムショの中じゃあ、規則正しい生活が何よりのクスリです。夜更かしして大声を出しちゃあ、看守の方々に迷惑がかかりますよ。……それと、タバコや酒は娑婆に出てからの楽しみに取っておきなせぇ。汗を流した後に呑む一杯こそが、本当の極楽なんですから」
『うっ……うわぁぁぁん! 兄貴ぃぃぃっ! 心に沁みます! 骨の髄まで沁み渡りますッ! 分かりました! 今夜はトカレフを置いて、毛布を角立てて寝ますッ! おやすみなさいませ、親分ッ!!』
ブツンッ。
デュアダロス自ら、感涙の涙を流しながら回線を切断した。
*
静寂が、B棟103号室に戻った。
ちゃぶ台の上で、通話の切れたエンジェルすまーとふぉんが、むなしく青白い光を明滅させている。
「…………」
ルチアナとラスティアは、口を半開きにしたまま、一鬼の顔を凝視していた。
神話の時代に世界を崩壊寸前まで追い込み、ガオガオンの法廷によって投獄されたあの最凶の邪神が――ただの「懲役三十五年」という肩書と説教だけで、完全な舎弟へと調伏されてしまったのだ。
「……ねぇ、イチキ」
「へぇ、何でございましょう、女神様」
「あんた……本当に、ただの元ヤクザなの……?」
「ええ。三十五年務めて、娑婆に出ただけの、しがない前科者でさぁ」
一鬼は静かに立ち上がり、ニッカポッカの埃を払った。
「さて……夜更かしはいけねぇな。明日の朝も五時に起きて、畑の畝を立てなきゃならん。……女神様、お邪魔いたしやした」
完璧な直角九十度の一礼を残し、一鬼は自分の部屋へと戻っていった。
その背中を見送りながら、ルチアナは残ったビールを喉へ流し込み、震える手でスマートフォンのメモ帳を開いた。
「……決めた。次のゴッドチューブの配信枠、イチキの『元極道の朝五時ルーティン』の固定カメラ配信にするわ……。これ、絶対に天界のバカ神どもにバズる……!」
神々をも震え上がらせる元無期懲役の凄みが、本人のあずかり知らぬところで、宇宙規模の伝説へと昇華されつつあった夜のことだった。
読んでいただきありがとうございます。
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