EP 6
『ムーンキャピタルの使者と、甘い買収』
泥沼夫妻の温室が平穏を取り戻し、一鬼の開墾地でも太陽芋の瑞々しい青葉が風に揺れ始めた、初夏の昼下がり。
ポポロ村の中央広場に、長閑な田園の空気を切り裂くような甲高い警笛と、場違いな金属音が響き渡った。
ガラガラ、ゴトゴト……!
現れたのは、金箔と白銀の細工がこれ見よがしに施された、四頭立ての豪奢な魔導馬車だった。車輪にはクッション用の最新式ショックアブソーバーが組み込まれ、御者台には黒尽くめの私兵が二人、無骨な連射式魔導銃を膝に抱えて座っている。
馬車の側面には、三日月と天秤を組み合わせた金色の紋章――月の女神カグヤの直轄都市「ムーンキャピタル」において、急激に勢力を伸ばしている新興商会『ルナ・クレセント』の社章が刻まれていた。
「……ケッ、なんやあの悪趣味な成金趣味は。下水と安香水が混ざったドブのスメルを撒き散らしおって」
広場に面したゴルドスマイル銀行ポポロ村支店の軒先。
真鍮の羅宇煙管を咥えたニャングルが、深々と紫煙を吐き出しながら、冷ややかな視線を馬車へと向けていた。
腕に抱えた特注魔導金算盤の珠を、チチチッと苛立たしげに指先で弾く。
「オロチ会長の傘下を抜け出して、ムーンキャピタルのバブルマネーに群がった裏切り者共や。……碌な用件やないな」
馬車の豪奢な扉が開き、中から一人の男が降り立った。
名を、ダントン。
ハイブランドのシルクハットに、紫色のド派手なベルベットスーツ。胸元には大粒の魔宝石がギラギラと輝き、ポマードで固めた髪からは、鼻をつく濃厚な薔薇の香水が漂っている。
その背後には、鍛え上げられた肉体にミスリル製のプレートキャリアを装着した、屈強な傭兵四名が音もなく従っていた。いずれも手練れの空気を纏っている。
「ふぅ……相変わらず泥臭い限界集落だねぇ。こんな肥溜めのような村に、我が商会の貴重な時間を割かねばならんとは」
ダントンは純白のシルクのハンカチで鼻腔を押さえ、わざとらしく顔をしかめると、村の中央に建つ『ポポロ村役場(村長公邸)』の石段をツカツカと登っていった。
*
村長執務室の空気は、ダントン一行が踏み込んだ瞬間、氷点下へと凍りついた。
「――ですから、ダントン代表。ポポロ村の土地は、村人たちの生活の基盤です。他国の民間商会へ一括で売り払うような契約には、断じて応じられません」
執務机の奥。
白のパーカーの袖を捲り、書類を広げたキャルルが、凛とした声で拒絶の意志を告げた。
その頭上の兎耳はピンと張り詰め、警戒の色を露わにしている。
彼女の斜め後ろには、腕組みをした自警団リーダーのマンミアが控え、冷徹な騎士の眼光で傭兵たちの手元を睨み据えていた。
「おやおや、手厳しいねぇ、お若い村長さん」
ダントンは革張りの応接ソファにどっかりと腰を下ろすと、足を組み、薄笑いを浮かべた。
「これは『買い叩き』などという下品な話ではないのですよ。我がルナ・クレセント商会が、この遅れたポポロ村に莫大な近代資本を投下してあげようという、極めて慈悲深い再開発プロジェクトなのです。村の農地および地下空洞群の管理権を我が社へ譲渡していただければ、村落全体に金貨十万枚――君たちが一生かけても拝めない額の立ち退き料と、ムーンキャピタルの優良物件への優先移住権を差し上げようと言っているのですよ?」
「地下空洞群の管理権……? ふざけないで」
キャルルが眉を跳ね上げた。
ポポロ村の地下には、ドンガン地下帝国との極秘回線であり、村民たちの生命線である「多層核シェルター」が網の目のように張り巡らされている。それを民間の悪徳商会に明け渡せば、村の主権は完全に奪われ、ドンガンとの密約も白日の下に晒されてしまう。
「この村の土地は、誰のものでもありません。土を耕し、汗を流して生きる村民たち全員のものです。どれだけ金を積まれようと、貴方たちのようなハイエナに売り渡す道理はありません!」
「……やれやれ。これだから田舎の青二才は困る」
ダントンは小さく肩を竦め、ため息をついた。
そして、胸ポケットから恭しく取り出したのは、小さな桐の木箱だった。
蓋が外されると、部屋中に、えも言われぬ香ばしい甘い香りが満ち溢れた。
「……ッ!?」
「これは……」
キャルルとマンミアの表情が、わずかに揺らいだ。
箱の中に鎮座していたのは、見事に粒の揃った、黄金色に輝く一本のトウモロコシ。
大気中のマナを吸って微かに燐光を放ち、焼きたてのバター醤油に似た、抗いがたい芳香を漂わせている。
禁断の精神感応穀物――『ずっ友ロコシ』。
「お互いに感情的になるのはやめましょう、キャルル村長」
ダントンは立ち上がり、桐の木箱を机の上へと滑らせた。
その目は、獲物を罠に誘い込む爬虫類のように細められている。
「これを……半分こにして、二人で食べませんか? そうすれば、過去の行き違いも、立場の違いも、全て水に流せる。私たちは魂の底から結ばれた、無二の『ずっ友』になれるのですよ。ねぇ……契約書に判を押して、私と共に、甘い蜜を吸おうではありませんか……」
ずっ友ロコシから漂う、共犯関係の精神汚染マナ。
一口でも口に運べば、脳内の倫理観と警戒心が瞬時に麻痺し、「この人の言うことなら全て正しい」「裏切るわけにはいかない」というズブズブの共依存・癒着状態へと固定されてしまう悪魔の契約媒介物。
「誰がそんな怪しいもの……ッ!」
キャルルが机を叩いて立ち上がろうとした、その瞬間。
ガチャリ。
背後に控えていた傭兵四名が、一斉に腰の魔導直剣と連射式ボウガンを抜き放った。
冷たい切っ先が、キャルルとマンミアの喉元へと突きつけられる。
「動くな、駄馬女」
「村長、大人しく代表の差し入れを受け取りな。……噛み砕いて飲み込むまで、喉笛から刃を離さねぇぞ」
傭兵たちの濁った殺気が、狭い執務室を押し包んだ。
「き、貴方たち……! 自治協定違反よ! 神聖な村長公邸で抜刀するなど……ッ!」
マンミアが左腕のアグニを構えようとするが、至近距離から四本のボウガンの照準を向けられ、身動きが取れない。ケンタウロスの大柄な体躯では、狭い室内での急激な旋回機動が封じられていた。
「協定? 法? ハハハ、そんなものはね、契約が成立した後に書き換えればいいのですよ」
ダントンは懐から羊皮紙の売買契約書を取り出し、テーブルの上へ広げた。
そして、手袋をはめた指でずっ友ロコシを掴み上げ、ポキリ、と真っ二つに折ろうと力を込めた。
「さぁ、村長。半分は私が、もう半分は君が食べるのだ。そうすれば、暴力も流血も必要ない。すべては平和的に、我が社の望む通りに解決する……!」
絶体絶命の危機。
キャルルの額に、冷たい汗が一筋流れた。
いくら満月時に音速を超えようと、密室で刃を突きつけられた通常時の身体では、四人の傭兵の同時射撃を躱し切ることは極めて困難だった。
ダントンの口元が、下卑た勝利の笑みに歪んだ――その時。
ガララララ……。
およそ戦場の緊迫感とはかけ離れた、古びた木戸の開く乾いた音が、静かに室内に響き渡った。
「失礼。……野良仕事の帰りにちっと道具を借りに立ち寄りやしたが、何やらキナ臭ぇ匂いがしますな」
全員の視線が、入口へと注がれた。
そこに立っていたのは、泥のついた黒のニッカポッカに、首から手拭いをかけた男。
手には一本の使い古された竹箒を持ち、左の腰には、白木の鞘に収まった無骨な一本のポン刀が静かに差されていた。
三十五年のお勤めを終えた元極道――高島一鬼だった。
「……あ」
キャルルのルビー色の瞳が、パッと光を取り戻した。
長い兎耳が、一鬼の胸の奥から響く音を捉える。
これほどの抜刀の修羅場に土足で踏み込んでおきながら――男の心拍数は、やはり【毎分五十拍】の完全な凪を保っていた。
「あぁん? なんだテメェ、作業着の貧乏人が」
ダントンが忌々しそうに眉をひそめ、傭兵の一人に顎をしゃくった。
「おい、片付けろ。部外者を生かして返すな」
「へいよ」
大柄な傭兵が薄笑いを浮かべ、一鬼の首を刎ねんと、青白い闘気を纏わせた魔導直剣を水平に振り抜いた。
密室を切り裂く、必殺の一撃。
だが。
一鬼は、腰のポン刀を抜くことすらしなかった。
――バシィッ!!
「ギャフッ!?」
乾いた破裂音。
一鬼の手にした竹箒の柄が、電光石火の軌道を描いて傭兵の手首の腱を寸分狂わず打ち据えていた。
握力を強制切断され、直剣が天井へと跳ね上がる。
間髪入れず、一鬼は半歩踏み込み、竹箒の柄尻を傭兵の鳩尾へと垂直に突き入れた。
ドゴォッ!
「オゲッ……!」
巨漢の傭兵が、内臓を破砕されたカエルのような声を漏らし、白目を剥いて前のめりに崩れ落ちた。
所要時間、わずか一秒。
「な……ッ!?」
残る三人の傭兵が息を呑み、慌ててボウガンの銃口を一鬼へと向け直そうとする。
だが、すでに遅い。
一鬼の冷え切った漆黒の双眸が、室内の空気を一瞬で氷点下へと塗り替えていた。
「おい、兄ちゃん方」
低く、地を這うようなドスの利いた声が、執務室の壁をビリビリと震わせた。
「……若い娘さん相手に刃物をチラつかせて、汚ねぇトウモロコシを食わせようたぁ……どこの組のもんだ? あぁ?」
昭和の修羅場を潜り抜けた本職の凄みが、濁流のようにダントンたちを呑み込もうとしていた。
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