EP 3
『半神の鍛冶屋と、肉椎茸の原木』
東の荒れ地三十坪――キャルルから正式に貸与の許可を取り付けた一鬼は、朝食を終えるや否や、すぐに行動を開始していた。
まずは何をおいても土作りと道具の点検だ。
村の中央にあるホームセンター『タローマン』で、発酵済みの有機堆肥と石灰を麻袋で二表、さらに頑丈な麻縄を購入。所持金はまたしても銀貨数枚へと減ったが、未来の畑への投資と思えば懐の寒さなど痛くも痒くもない。
だが、問題は道具だった。
先日の山賊迎撃戦、そして連日の硬い赤土開墾により、タローマンで買った安物の鍬の刃先に、わずかな刃こぼれが生じていたのだ。
「土を耕す刃先が鈍っちゃあ、大地の呼吸が乱れる。……研ぎ直さねぇとな」
コーポへ荷物を運び込んだ後、一鬼は鍬を担ぎ、二階へと続く外階段を上がっていった。
向かう先は、A棟201号室。
昨晩、自警団のマンミアから「コーポの二階に住んでいるヒエン殿は、神の炎を宿す腕利きの鍛冶師です。道具の補修なら彼を頼るとよいでしょう」と聞いていたからだ。
トントン、と鉄扉を叩く。
「ごめんください。二階のヒエンさんのお部屋でよろしいですかい」
「……ん? 誰だ? 鍵は開いてるぞ、入れよ」
中から返ってきたのは、若々しく張りのある少年の声だった。
一鬼が引き戸を開けると、部屋の奥からは金属を焼く特有の熱気と、どこか神聖さを感じさせる澄んだ空気の匂いが漂ってきた。
部屋の中央には、特注の小型金床と火床が据え付けられている。
そこに立っていたのは、二十歳前後の精悍な青年だった。
黒髪短髪に引き締まった体躯。ルナミス帝国の初代皇帝・佐藤太郎の面影を色濃く残す顔立ちの奥で、その瞳の底には、母である不死鳥フレア譲りの紅蓮の神炎が静かに揺らめいていた。
半神半人の皇子にして独立鍛冶師、ヒエン・サトウ・フェニックスである。
「アンタが、昨日一階に入居したっていうイチキさんか。……親父の寸胴をピカピカに磨き上げて、朝からスープ奢ってもらったって噂の」
「へぇ、その節はお騒がせいたしやした。高島一鬼と申します。……ヒエンの旦那、仕事中にお邪魔して申し訳ねぇが、この鍬の刃を見ていただけねぇでしょうか」
一鬼は背筋を正し、担いでいた鍬を両手で水平に捧げ持った。
ヒエンは作業用の革手袋を外し、訝しげに眉を寄せながらその鍬を受け取った。
「鍬……? タローマンの安物じゃないか。こんなの、買い直した方が早いんじゃ――」
言葉が、途中で止まった。
ヒエンの鋭い鍛冶師の目が、鍬の鋼の刃先を凝視したまま凍りつく。
「……おい、アンタ。この鍬、何日使った?」
「現場に入って、まだ四、五日といったところですかいね」
「嘘だろ……?」
ヒエンは指先で刃の表面を撫で、光にかざして角度を確かめた。
刃先には確かに小石を噛んだ微細な欠けがある。だが、驚くべきはその摩耗の均一さだった。
普通、人間が鍬を振るえば、利き腕の癖や体重の偏りによって、刃の右か左のどちらかが余計に削れる。素人なら中央が丸くなり、荒くれ者なら衝撃で首が歪む。
だが、一鬼の鍬は違った。
刃の端から端まで、まるで精密機械で研磨したかのように、完全に左右対称の角度で摩耗していたのだ。
中心線に一点の狂いもない、完璧な垂直スイングの軌道。何万回、何十万回と地面を叩いてなお、ミリ単位のブレすら起こしていない証拠だった。
(なんなんだこの人……!? この刃の減り方、うちの母さん(不死鳥)の極大火炎をミリ単位で制御するより正確だぞ……!?)
ヒエンの鍛冶師としての血が、カッと沸き立った。
道具をこれほどまでに正確に、誠実に愛用する使い手を前にして、腕を奮わない職人がいるはずもない。
「……気に入ったよ、イチキさん。ちょっと待ってな」
ヒエンは鍬を金床の上に置くと、右手をかざした。
ボッ!と、彼の掌から立ち上ったのは、薪の炎とは異なる、白銀と紅蓮が混ざり合った神秘的な浄化の火炎――不死鳥の神火だった。
「ふんッ!」
神火が鍬の刃先を包み込む。
不純物が一瞬で蒸発し、安物の炭素鋼が、分子レベルで均一に再結晶化していく。ヒエンが小槌でカン、カン、とリズミカルに二度、三度と叩き据えると、刃先はただの鉄から、極上の鋼へと生まれ変わった。
水につけるジュウッという音すら立てず、常温へと冷却される。
「ほらよ。タローマンの安物だが、これでオリハルコンの岩でも叩き割らない限り、十年は刃こぼれしねぇよ」
差し出された鍬は、刃先が青黒い神秘的な光沢を放っていた。
一鬼は受け取り、その重心の狂いのなさに目を見張る。
「……素晴らしい腕前だ。鋼の芯が、ビシッと通ってやがる。お代は、いかほどで?」
「代金なんざ要らねぇよ。あんたみたいな道具の使い手に出会えただけで、鍛冶屋冥利に尽きる。……それより、アンタ、これから自分の畑をやるんだってな?」
「へぇ。東の荒れ地を少しばかりお借りしましてね」
ヒエンはニッと八重歯を見せて笑うと、部屋の隅に置かれていた、大人の太ももほどもある極太の樫の原木を指差した。
原木には、一定の間隔で黒い菌糸の痕跡が打ち込まれている。
「これ、持っていきなよ。村の特産品、『肉椎茸』の種菌を打ち込んだ極上のホダ木だ。俺の工房の湿度管理用に置いてたんだが、一本余っててさ。畑の隅に日除けを作って寝かせておけば、秋口には極厚のヤツが実るぜ」
「肉椎茸……あの、ステーキの味がするっていうキノコですか」
「そう! 炊き込みご飯にしても美味いし、鉄板で焼いてワサビ醤油で食うと最高なんだ。……アンタなら、きっといいキノコを育てると思ってさ」
「ありがてぇ。……このご恩は、初物の収穫でお返しいたしやす」
一鬼は原木を抱え、深々と一礼してヒエンの部屋を辞した。
半神の皇子ヒエンは、その無骨な背中を見送りながら、「いいオヤジが入居してきたな」と満足げに笑みをこぼすのだった。
*
原木と堆肥をリアカー代わりに借りた手押し車に積み、東の開墾地へ向かう途中。
村外れの廃工房の前を通りかかると、トタン屋根の影からプカリと太い紫煙が立ち上った。
「……おい、日雇い土工」
呼び止めたのは、長ネギの身体を持つインテリ奇樹、ネギオだった。
伊達眼鏡の奥の目を眇め、手にしたポポロ・コーヒーのマグカップから湯気を立ち上らせている。
「村のネットワークから情報を受信したぞ。キャルルから東の荒れ地三十坪を無償同然で借り受け、自給自足の菜園を構築するそうだな」
「へぇ。ネギオの旦那、その節はいい刀を譲っていただき、ありがとうございました」
一鬼が腰のポン刀を叩いて礼を言うと、ネギオは「フン」と鼻を鳴らした。
「礼など無用だ。それより貴様、リアカーに積んでいるそれは肉椎茸の原木だな? 愚かしい。極めて非効率的かつハイリスクな選択だと言わざるを得んな」
ネギオは紫煙を吐き出しながら、説教じみた口調で指を立てた。
「肉椎茸は、大気中のマナ濃度と湿度、そして直射日光の遮断率のバランスが極めてシビアな魔導菌類だ。少しでも通気性の計算を誤れば、内部のアミノ酸サシが酸化し、ただのゴムタイヤ草と化す。素人が手を出せば、初期投資と減価償却の回収すら不可能な赤字資源だ。大人しく太陽芋だけ植えておけばいいものを」
相変わらずの機関銃のような毒舌とマクロ経済理論。
だが、一鬼はその言葉の裏にある「肉椎茸を育てる上での的確な注意点」を正確に聞き取っていた。通気性、マナ濃度、直射日光の遮断。要するに、それらに気をつければ美味いキノコが育つということだ。
「旦那、色々教えていただき、痛み入りやす」
「……は? 私は貴様の経営判断の甘さを論理的に批判しただけだが?」
「手がかかる子ほど可愛い、って言いますからね。気難しいキノコなら、毎日顔を見て、風の通り道を作ってやりゃあ、きっと美味ぇ実をつけてくれまさぁ。……収穫できたら、旦那にも一皿、届けに参りやすよ」
一鬼が穏やかな笑みを浮かべると、ネギオの頭部の青い葉先が、ピクンと固まった。
論破されることもなく、怒られることもなく、毒舌をそのまま「親身なアドバイス」として笑顔で受け止められたのだ。
「……チッ。感情論の極致だな。これだから前近代的な農本主義者は話にならんのだ」
ネギオは悪態をつきながら背を向けたが、引き戸を閉める間際、工房の隅から無造作に黒い遮光シートのロールを一巻き放り投げてきた。
「持っていけ。ドンガンの通信講座で使った資材の余りだ。原木の上に屋根として張り、地上から三十センチの空間を空けて風を通せ。……万が一にもゴムタイヤ草などを私の口に入れようとしたら、貴様のニッカポッカをネギカリバーで八つ裂きにするからそう思え」
バタン!と勢いよく引き戸が閉まる。
一鬼は放り出された遮光シートを受け止め、思わず破顔した。
「……口は悪ぃが、みんないい連中ばかりだな」
初夏の風が、青々とした木々を揺らして吹き抜けていく。
ヒエンが研ぎ直してくれた神火の鍬、ネギオがくれた遮光シート、そして手に入れた肉椎茸の原木。
道具と仲間たちの温もりに背中を押されながら、一鬼は己の小さな青写真――三十坪の開墾地へと向かって、力強く一歩を踏み出すのだった。
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