EP 10
『仁義の刃、北辰一刀流』
迫り来る破壊の光条は、夜の帳を焼き払うほどに白く、熱かった。
ドンガン製の軍用バズーカから射出された圧縮熱線弾。その中心温度は数千度、直撃すれば重装甲車すら溶解し、生身の人間など影も残さず蒸発する。
だが、一鬼の網膜に映るそれは、ただの「筋の悪い飛来物」でしかなかった。
「……シッ」
短く鋭い呼気とともに、一鬼はわずかに腰を落とした。
魔力は練らない。闘気も纏わない。
三十五年もの間、冷たい独居房の中で寸分狂わず反復し続けた、肉体と精神の完全なる合一。丹田の奥底へ全神経を沈め、世界が引き伸ばされたような静寂の中へ意識を落とし込む。
光条が一鬼の眉間まであと一メートルに迫った――その刹那。
――ヒュン。
抜刀の音すら置き去りにした。
北辰一刀流、極意『切り落とし』。
相手の攻撃の起こりを制し、その軌道上の正中線を完全に制圧する、理合の極致。
下段から抜き放たれたミスリル鋼の無骨な刀身が、閃光の中心――最も魔力が凝縮された「核」の座標を、ミリ単位の狂いもなく正確に両断した。
バヂィッ……!
爆発は起きなかった。
切断された熱線弾は、術式の結合を強制解除され、ただの無害な青白い火の粉となって一鬼の左右へ霧散していった。
風が吹き抜け、火の粉が一鬼の黒いニッカポッカの裾を静かに照らし、消えていく。
「…………は?」
丘の上でバズーカを構えていた山賊の射手が、間の抜けた声を漏らした。
何が起きたのか理解できない。軍用の熱線砲を撃ち込んだはずだった。それが、目の前の土木作業員が腰の刀を一閃させただけで――綺麗に、真水のように消えてなくなったのだ。
「う、嘘だろ……? バズーカの弾を……斬った……!?」
「ば、化け物……ッ!」
包囲していた山賊たちの顔から、血の気が完全に引いた。
背後で地雷に足を縛られていたマンミアもまた、息を呑んだまま硬直していた。騎士団長として数々の猛者を見てきた彼女ですら、こんな光景は神話の中でしか聞いたことがない。闘気も使わずに魔導兵器の砲弾を両断するなど、もはや人知を超えた技術の極致だった。
一鬼は、抜いた刀を中段に構えることすらしなかった。
切っ先を地面へ向け、脱力した自然体のまま、丘の上を静かに見上げる。
「……飛び道具に頼るたぁ、よっぽど腕に自信がねぇと見える。だがな、兄ちゃん方」
ズシッ、と一鬼の地下足袋が土を踏みしめた。
次の瞬間――男の姿が、掻き消えた。
「――ヒッ!?」
音すらなかった。
地面を蹴る爆発音も、風を裂く轟音もない。ただ、影が滑るようにして、一鬼は三十メートルの距離を一瞬で詰めていた。縮地――足裏の摩擦と重心移動のみで間合いを盗む、北辰一刀流の神速歩法。
丘の上の山賊頭目が悲鳴を上げ、手にした幅広の魔導大剣をがむしゃらに振り下ろす。
「死ねぇぇぇッ!!」
だが、刃が届くはずもない。
一鬼は半歩左へ躱すと同時に、手にしたポン刀の鞘を逆手に握り直した。
――ガツンッ!!
「アガッ!?」
頭目の手首の腱へ、鞘の先端が寸分狂わず叩き込まれた。握力を強制的に奪われ、魔導大剣が夜空へと舞い上がる。
体勢を崩し、無防備に晒された頭目の顎先。
一鬼のポン刀が、閃光のように翻った。
しかし――閃いたのは、刃の側ではなかった。
――ドゴォッ!!
刀身を半回転させ、正確に叩き込まれた『峰打ち』。
頭蓋を砕く寸前の絶妙な力加減で側頭部を撃ち抜かれ、百キロを超える巨漢の頭目は、白目を剥いて横倒しに大地へと激突した。
「頭ァッ!?」
「う、撃て! 撃ち殺せぇぇぇッ!!」
パニックに陥った残りの山賊たちが、四方から一斉に槍を突き出し、ボウガンの引き金を引く。
死角からの同時攻撃。
だが、一鬼の体はすでに流れる水のように回転していた。
後の先。
敵が動いた瞬間、すでに一鬼の刀筋は敵の攻撃軌道を制圧している。
――キンッ! カンッ! バシィッ!!
闇夜に響くのは、肉を裂く音ではなく、硬質な打撃音だけだった。
放たれた矢は刀の鎬で全て叩き落とされ、突き出された槍の柄は正確に峰でへし折られる。
刃の平で鳩尾を突かれ、鞘で膝蓋骨を外され、あるいは手刀で頸動脈を断たれ――山賊たちが、まるで枯れ葉のように次々と地面へ崩れ落ちていく。
血飛沫は、ただの一滴も上がらない。
圧倒的な暴力でありながら、そこにあるのは冷徹なまでの規律と、無駄な命を奪わぬという徹底した不殺の意志。
わずか三十秒。
丘の上を取り囲んでいた三十人以上の山賊連合は、誰一人として立つことができず、全員が白目を剥いて沈黙していた。
静寂が、戦場を支配した。
立ち込めていた硝煙が夜風に吹き払われ、空には煌々と丸い月が輝いている。
一鬼は、転がる男たちを見下ろすこともなく、ただ静かに右腕を振るった。
血は付いていないが、三十五年の習慣が染み付いた、無駄のない血振りの所作。
そして、左手の親指で鯉口を捉え、滑るように刃を鞘へと収めた。
――カチッ。
澄み渡る鍔鳴りの音が、夜の空気に凛と木霊した。
残心。完璧な静寂が、そこに完成していた。
「……す、凄い」
地雷原の向こうで、マンミアが呆然と呟いた。
五十人を超える武装山賊と重火器の部隊を、たった一人、素手の体術と一本の刀の峰打ちだけで、誰一人殺すことなく完全無力化してしまったのだ。
「おーい! マンミア様ぁーっ! 無事ですかーっ!?」
遠くから、明かりを持った村人たちの声が響いてきた。
自警団の救援部隊が駆けつけてきたのだ。その先頭には、銀白色のショートボブを揺らし、オーバーサイズのパーカー姿で疾走してくる少女――ポポロ村の新村長、月兎族のキャルル(二十歳)の姿があった。
「マンミアさん! 怪我はない!? ……って、ええぇぇぇっ!?」
現場に飛び込んできたキャルルは、折り重なるように倒れている山賊の山と、吹き飛んだ重火器の残骸を見て、ルビー色の瞳を限界まで見開いた。
「な、何これぇ!? 壊滅してる!? マンミアさんが一人でやったの!?」
「い、いえ、村長……私ではありません。やったのは……あの方です」
マンミアが震える指先で指し示した先。
丘の斜面を、ダボついた黒のニッカポッカの裾を揺らしながら、のっしのっしと降りてくる一鬼の姿があった。
「あ、アンタが……一人で……?」
キャルルが一鬼を見上げる。
ピコピコと動く長い兎耳が、一鬼の胸の奥から聞こえる音を拾い上げた。
これほどの修羅場を潜り抜けた直後だというのに――男の心拍数は、まるで縁側で茶を啜っているかのように、一定で、穏やかで、一切の乱れがなかった。
(嘘……心音が、完全に静まり返ってる……! この人、どれだけの修羅場をくぐってきたの……!?)
キャルルの鋭敏な感覚が、一鬼の纏う底知れぬ凄みと、その奥にある透き通るような高潔さを瞬時に嗅ぎ取っていた。
一鬼はキャルルの前で立ち止まると、いつものように背筋を正し、完璧な直角九十度のお辞儀を繰り出した。
「夜分遅くに騒がせちまいやして、申し訳ございません。自警団の旦那方に手を出す不届き者がおりましたので、少々、道端の小石を片付けさせていただきました」
「こ、小石って……重火器持った山賊連合だよ!? アンタ、一体何者なの!?」
キャルルが驚愕の声を上げる中、後ろから駆け寄ってきたマンミアが、恐縮しきった様子で頭を下げた。
「イチキ殿……命を救われました。貴殿がいなければ、私は今頃……。この御恩、言葉もございません」
「滅相もねぇ。怪我がなくて何よりです、お嬢さん」
一鬼は穏やかに笑い、首の手拭いで額の汗を拭った。
「さて……夜更かしはいけねぇな。明日の朝も、東の現場で水路の続きを掘らなきゃならん。……親方、失礼して休ませていただきまさぁ」
そう言って、一鬼は何事もなかったかのように踵を返し、村の宿場街へと歩き出そうとした。
「ま、待ちなさいよ!」
キャルルが慌ててその背中に声をかけた。
「村を救ってくれた大恩人を、安宿なんかに泊まらせておけるわけないでしょ! ……決めた! アンタ、明日からウチが管理してるアパートに入居しなさい!」
「アパート、ですかい?」
「そう! 村の入り口にある『ポポロ・コーポ』! 家賃は月額三万円、光熱費込み! 敷金礼金は村長特権でタダにしてあげる! 一部屋、ちょうど空いてるのよ!」
一鬼は足を止め、振り返った。
月額三万円。日当の銀貨を数日分貯めれば、十分に払える金額だ。
何より、誰の顔色を窺うこともなく、自分の鍵で扉を開け、足を伸ばして眠れる「自分の城」が手に入るのだ。
「……ありがてぇお話だ。喜んで、お世話になりまさぁ」
深々と頭を下げる一鬼。
その横顔を見つめながら、キャルルの胸の奥で、トクン……と小さな高鳴りが生まれた。
無骨で、礼儀正しく、圧倒的に強くて、見返りを求めない男。
(……なんか、すっごく格好いいかも……)
月兎族特有の重すぎる恋愛感情のスイッチが、カチリと音を立てて微かに傾いた瞬間だった。
*
翌朝。
木造モルタル三階建てのアパート『ポポロ・コーポ』。
一鬼は、タローマンの袋に詰めたわずかな私物と一本のポン刀を抱え、男子棟(A棟)の一階、百三号室の扉の前に立っていた。
「ここが、今日からの俺の長屋か」
鍵を差し込み、扉を開ける。
真新しい畳のい草の匂いが、鼻腔を心地よくくすぐった。
六畳一間の素朴な部屋。日当たりは良く、窓の外にはポポロ村の豊かな田園風景が広がっている。
「……上等だ。これ以上望んだら、それこそバチが当たる」
一鬼は満足そうに頷くと、部屋の隅にポン刀を立てかけ、手早く雑巾を取り出して床の拭き掃除を始めた。
三十五年の服役生活が染み付いた、角の立った几帳面な掃除。
ガタッ!
その時、壁の向こう――隣の百二号室から、けたたましい電子音が漏れ聞こえてきた。
『キュイイイーン! キュイキュイイイーン!! 確変突入ぅぅぅッ!!』
「っしゃあオラァッ! 今日もトラック役物が落ちてきたぜぇぇぇッ!!」
さらに、反対側の百一号室のベランダからは、濃厚すぎる豚骨の獣脂の匂いと、ドスの利いた親父の怒鳴り声が漂ってくる。
「おい! 誰だ我がスープの寸胴の火力を弄った奴は! 灰汁取りの邪魔をするな小娘共がァッ!!」
一鬼は手を止め、パチクリと目を瞬かせた。
「……随分と、賑やかな長屋だな」
苦笑いを浮かべながら、一鬼は再び雑巾を動かし始めた。
隣がパチンコ中毒の神狼だろうと、その隣が頑固ラーメン屋台の古竜だろうと、知ったことではない。
朝起きて、土を耕し、日銭を稼いで、畳の上で眠る。
元無期懲役の極道、高島一鬼の「真っ当な異世界スローライフ」は、ここポポロ村で、いよいよ本格的に幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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