↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
越冬編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
78/81

第78話 銀装整備《けづくろい》

 「ね、言ったろ」


 朝餉(あさげ)の膳を置きながら、女将(おかみ)さんが勝ち誇った。


 外は雨だ。夜のうちに雲が空を全部使って、川の音は昨日の倍になっている。峠も北の道も、今日は歩く日ではない。……降り込められて損のない宿に、僕たちはいた。


 部屋に戻ると、ツキヨは窓の桟で丸くなっていた。


 昨夜の月は、早々に雲に隠れた。粉の足りない朝は、光をまとう手前で止まる。今日は一日、銀色の毛玉のままだ。


 りん、とひとつ。おはよう、の音。……音は残念そうではなかった。雨の日は、この子なりの休日でもある。


 休日の毛並みは、しかし、ひどかった。


 桟から拾い上げたとき、僕の袖に銀の毛がごっそりついた。見れば、毛玉の体のあちこちが、ぼこぼこと段になっている。抜けかけの毛が浮いて、まだらの模様になっていた。


 「……換毛期?」


 「かんもう?」


 「毛の生え替わり。春に、冬の毛が抜ける」


 ヨゾラが毛玉を覗(のぞ)き込んだ。毛玉は自分の脇腹を一生懸命なめていたが、届く範囲より、抜けたい毛のほうが多い。……本人の毛づくろいが、追いついていない。


 「呑(の)むと、腹に悪い」


 ヨゾラが言った。獣は抜け毛を呑む。呑んだ毛は、外に出しにくい。番人の家の知恵だった。


 つまり、これは装備の不調だ。見張り番の毛皮が、いま、手入れを必要としている。


 「……道具が要るね」


 そこで、ヨゾラが自分の荷から包みを出した。市で買った、あの小さな包みだ。


 開くと、新しい刷毛(はけ)が出てきた。


 「古いの、先が割れてた」


 看板を描く前から、この人は僕の道具を見ていたのだ。新しい刷毛は絵の仕事へ。それなら、先の割れた古いほうは——毛の仕事へ下ろせる。


 「じゃあ、こっちは今日から毛用」


 絵描きの道具がひとつ、見張り番の装備係へ転属した。


 床に外套を敷いて、その上にツキヨを乗せた。


 「いくよ。……嫌だったら、鳴らして」


 りん。


 了解の音か、早くしろの音か。たぶん両方だ。


 最初は、手のひらで撫(な)でた。頭から背中へ、毛並みに沿って、ゆっくり。手にも銀の毛がつく。それから刷毛を出して、撫でた道を、もう一度なぞる。


 しゅ。


 刷毛が毛の浮いたところを通ると、ひと筋ぶんの銀が、ふわりと外套の上に降りた。


 しゅ。しゅ。


 撫でて、梳(す)いて、また撫でる。手と刷毛を交互にすると、毛玉の警戒がほどけていくのがわかる。刷毛だけを続けると、耳がぴくりと動く。……道具より、手のほうが信用されている。当然だと思う。


 雨の音と、刷毛の音だけの部屋だった。


 外は太い雨、窓は細い雨だれ、外套の上は、しゅ、しゅ。……音が三重の輪になって、いちばん内側に、この銀色がいる。


 調子に乗って、腹に手を回そうとした。


 ぱし。


 前足が僕の指を払った。目が開いて、こちらを見る。……そこは、だめ。


 「すみません」


 腹は急所だ。信用と急所は、別の帳面につけてある。見張り番は、気持ちよくても規律を忘れない。


 背中と、腰と、頬の横。触っていい場所を、ひとつずつ教わりながら進んだ。頬の横を梳いたとき、初めて聞く音がした。


 こり。


 ……こり、こり。


 歯の音だ。小さく、規則正しく、鳴っている。りんではない音で機嫌を言うのを、聞いた。


 「ヨゾラ、これ」


 「ん。……いい音」


 こり、こり。しゅ、しゅ。雨。三つの音が、しばらく重なった。


 ヨゾラは僕の横で、外套に降りた銀を集めていた。指でつまんで、手のひらに載せて、綿を丸めるみたいに軽くまとめる。捨てる気配がない。


 「……取っておくの?」


 「銀の毛。もったいない」


 番人の家の帳簿では、抜け毛も財産に入るのだった。手のひらの上で、小さな銀の玉が少しずつ育っていく。


 そして、それは前触れなく起きた。


 腰の横を梳いていたら、毛玉の体が、ことん、と横に倒れた。


 「え」


 刷毛が止まった。倒れたまま、動かない。足が投げ出されて、腹が半分見えている。


 「ツキヨ!?」


 「……大丈夫」


 ヨゾラが毛集めの手を止めずに言った。


 「安心すると、倒れるの。……軒下で、たまに」


 倒れた毛玉の呼吸は、深くて長かった。目は薄く閉じて、耳は寝て、こり、という音がまだ、途切れ途切れに鳴っている。


 ……気を失ったのではない。落ちる前から、寝る気で倒れている。


 すぐ逃げられない格好は、獣がいちばん嫌う格好のはずだ。それを、自分からやる。腹を半分見せて、足を投げ出して、僕の刷毛の届くところで。


 見張り番の、完全な非番だった。


 見張り番になってからずっと、夜も昼も、何かしらを見張ってきた子だ。祠を、軒下を、旅の道を、僕の歩幅を。……その目が、いま、何も見ていない。


 「……番、代わります」


 誰にともなく言って、僕は倒れた体の、届く側だけを、そっと梳き続けた。


 しゅ。


 こり。


 雨。


 午後まで、それが続いた。


 途中で一度起きて、水を飲んで、それから毛玉は自分の顔を洗いはじめた。両の前足をなめて、顔をごしごし、目を閉じてごしごし。人の手の仕事のあとを、自分の作法で仕上げている。


 ……検品だ。あれは、僕の仕事の検品をしている。


 仕上げ検品は、りん、ひとつで終わった。……合格の音だった。


 夕方には、毛玉の体から段が消えていた。まだらが取れて、銀がひと続きに戻っている。ヨゾラの手のひらでは、銀の玉が、卵くらいの大きさになっていた。


 「それ、どうするの」


 「……冬までに、考える」


 窓の外はまだ雨だった。月のない晩の毛玉は、外套の上で、貸し切りの休日を眠っている。


 隣で、帳面の開く音がした。


 『ぬけた けも、ぎん。』


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。