↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
越冬編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
62/79

第62話 おかえりの練習

 揺れている。


 背中だ。誰かの広い背中に、僕は担がれている。頬に当たる外套(がいとう)が、夜の匂いをしていた。


 「……戻ったか」


 低い声。綱の音。村の際を、越えたころだ。


 どの家の戸も、開かなかった。閉じた戸の隙間から、灯りだけが細く漏れている。……言い伝えの晩は、夜明けまで明けない。守り方まで、この村は律儀だった。


 りん、りん、りん。


 遠くで、三回。しらせの数。……帰ってきたよ、の数でもあった。


 冷たい鼻先が、頬にひとつ押しつけられて——そこで、途切れた。


 次に目を開けたとき、天井は見慣れた板の木目だった。


 窓の光が、高い。朝を、だいぶ通り過ぎた明るさだ。


 体は鉛で、指の一本から順番にしか動かない。値段の欄には、これが書いてあったのか。


 枕元で、りん、と一回。


 へんじの数。首だけ回すと、銀色の毛玉が布団のへりに顎(あご)を載せて、こちらを見ていた。


 「……ただいま」


 りん。


 もう一回。会話としては、それで十分だ。


 昨夜の持ち場を、この子は最後まで務め上げた。……これは、胸を張っている顔だ。動くほうの手で、額の紋を撫でた。形は、昨日の丸のまま。光のほうが、戻ってきている。


 戸が開いて、ヨゾラが入ってきた。湯気の立つ椀(わん)を持ったまま、少しのあいだ、立ち止まっていた。


 「……おはよ」


 「おはよう。……どれくらい、寝てた?」


 「一晩と、半日」


 丸一日には、届かなかった。矢の値段は、覚悟していた相場より、いくらか安かった。


 窓の外から、子どもの声がする。桶の音、雪を踏む音。……村の生活音が、ぜんぶ戻っている。


 「夜明けと同時にね、村中の戸が、いっせいに開いたって」


 一晩ぶんの息を、村ごと吐いた朝だったのだと思う。


 粥(かゆ)を挟んで、報告を聞いた。


 母さんは、長老の家で眠っている。帰りの雪道は、ヨゾラが背負ったのだと。……背負えてしまうくらい、軽かった、とも。着いてからは一度も目を覚まさない。でも息は、深くなっていっている、と。


 祠は、静かだと。


 「声は?」


 「……来てない。ゆうべから、一度も」


 長老は朝からずっと、母さんの枕元にいると。イワネさんは、鐘の綱を古いほうに戻したと。


 結び目は、太いまま。朝の祠は、ヨゾラが見てきてくれた。鎖を編めるのは僕だけだから、今日は見るだけ——それで足りるくらいには、太いままだと。破れ目に向かって耳を澄ませても、何も待っていなかったと。


 静けさというものを、この冬はじめて、疑わずに聞いた気がする。


 夜の長さは、昨日までと同じだ。中身だけが、そっくり入れ替わった。


 「トウヤさん、言ってた。……刃は一度も、届いてなかった、って。逸らしてただけだ、って」


 「……それを言える人だから、盾が務まったんだ」


 それから、ヨゾラは少しだけ黙って、椀の縁を指でなぞった。


 「……あのね。雪の上で。母さん、あなたのことも、呼んだ」


 「僕?」


 「ゆづき、って」


 息が、一瞬止まった。


 名乗った覚えはない。あの人が影に呑まれたのは十年前で、僕がこの世界に来るより、ずっと前だ。


 「……なんで」


 「聞こえてた、って。影の中から。……外の声、ぜんぶ」


 ぜんぶ。


 毎晩の唄も。村の暮らしの音も。坂の途中の呼び声も。……声の晩の、あの「——結月」も。


 返せないまま、十年ぶん、聞いていた。


 ……僕が影に向かって吐いた悪態も、ぜんぶか。歌ってろ、とか。独唱会、とか。


 いいところも聞かれていたなら、差し引きで許してほしい。


 耳を塞がれていたんじゃない。口だけを、塞がれていた。


 ……あの言い伝えの、ほんとうの残酷さが、いまごろ喉まで来た。名を呼ぶな。呼ばれた側は、ずっと聞こえているのに。


 昼を過ぎて、体が半分だけ言うことを聞くようになった。


 ヨゾラの肩を借りて、長老の家まで歩いた。晴れていた。雪の照り返しが、目に痛いくらいだった。


 ツキヨは敷居の外で止まって、そこにきちんと座った。耳だけを、部屋の中へ向けている。


 長老が僕たちを見て、それから、わしは茶ァ淹れてくる、と言って腰を上げた。……気の利かせ方まで、この人は年季が入っている。


 母さんは、囲炉裏(いろり)のそばの布団で眠っていた。


 小さい。昨夜もそう思って、明るい場所で見ると、もっとそうだった。十年ぶんの何かが、この人からごっそり持っていかれている。


 ヨゾラが、枕元に座った。


 眠っている顔を、長いあいだ、ただ見ていた。ちいさい子に戻ったみたいな座り方で。


 それから、布団の上の手に、自分の手をそっと重ねた。


 母さんの目が、開いた。


 「……よぞら」


 十年、声を影に貸していた人の、掠(かす)れた声だった。それでも、呼び方は昨夜と同じだった。


 「……ん」


 十年ぶりの返事が、それだった。この人の「ん」を、僕は何十回と聞いてきたけれど、こんなに長い「ん」は初めてだった。


 母さんの手が、ゆっくり持ち上がって、ヨゾラの頬に触れた。


 確かめる指だった。夢の中で何度も触れたものが、本物かどうかを確かめる指。


 「……おおきく、なった」


 「ん」


 二回目は、震えていた。


 ヨゾラは泣かなかった。泣く代わりに、重ねた手に、おでこを付けた。祠の戸にするのと、同じやり方で。


 この人の祈り方は、十年間、ずっとこれだったのだ。


 僕は敷居の内側の、いちばん端にいた。……ツキヨと似たような場所を、自然と選んでいた。


 母さんの目が、その端の僕を見つけた。


 「……ゆづき、さん」


 呼ばれ慣れない形の、僕の名前だ。はじめまして、より先に名前で呼ばれるのは、変な感じがする。……悪くない、変さだけれど。


 「はい」


 「……ずっと、聞いてた。……お礼を、返せないまま」


 声が、そこで一度切れた。


 「……あとで、ゆっくり。ぜんぶ」


 十年ぶんの返事の、順番待ちに入れてもらえたのだと思う。


 そこまで言って、目を閉じた。眠りに戻る速さが、そのまま消耗の深さを語っていた。


 ヨゾラは、手を重ねたままでいた。


 言おうか、言うまいか。口が二回、開きかけて、閉じた。


 三回目に、声になった。


 「……おかえりの練習、しといたの」


 寝ている母さんに向かって。十年ぶんの練習の成果を、一語ずつ置くみたいに。


 「おかえり、なさい」


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。