↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
越冬編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/79

第61話 蝕月の魔弾

 「聞け、影。月を呑(の)みし者。」


 最初のひと言は、思ったより静かに出た。


 叫ばなくても、通る。赤い月の下で、僕の声は、僕のものよりわずかに深く響いた。


 祠の戸の軋みが、ぴたりと止まった。……こちらを、向いた。


 ヨゾラの唄は、一回目の二行目。僕の詠唱は、その背中に乗って歩く。唄が道で、言葉が旅人だ。


 「汝(なんじ)の腹の内で、月は、まだ死んでいない。」


 戸の隙間から、黒がひと筋、漏れ出した。煙に似て、煙より重い。地を這って、まっすぐこちらへ来る。


 トウヤさんが半歩も引かずに、それを受けた。刃が黒を払う。払った先から、刃が黒く曇っていく。


 黒の通った跡は、雪から白が抜けていた。色ごと呑む。名前どころか、白まで喰う。


 「構わず、続きを!!」


 短い声だけが飛んできた。


 振り向かない。僕の持ち場は、この十節だ。


 「光を喰われ、色を奪われ、夜はひと色の影に沈んだ。」


 言葉のとおりの世界が、頭上にあった。


 中三の僕が書いた三節目は、今夜のための天気予報だったのだ。


 黒は、村のほうへは流れない。……流れられないのだ。遠くに並ぶ灯りの列が、あちら側の岸になっている。言い伝えは、正しく働いていた。


 ヨゾラの唄が、二回目に入る。切れ目は、まばたきより短い。


 「——されど、見よ。呑まれた月は、赤く燃える。」


 影の這う速さが、落ちた。


 赤い月を、あれは見上げたのだと思う。呑んだはずのものが、腹の中でまだ燃えている。


 呑んだ月に、内側から灼(や)かれる。……そういう晩なのだと、中三の僕が決めたのだ。


 「影の中でしか灯らぬ火が、ある。」


 開いた書のページが、下から仄(ほの)かに赤らんだ。最後の一行だけが、白いまま声を待っている。


 ここまで、一度もつっかえていない。……もう、恥じていないからだ。


 ヨゾラの唄が、三回目に入った。


 「それは燠火(おきび)。返される日を待つ、名前たちの色。」


 影の奥で、淡い灯りがいくつも揺れた。ひとつやふたつではない。数えられない数の、小さな火。


 呑まれた名前たちだ。……母さんも、あの中にいる。


 どの灯りがそうなのかは、わからなかった。わからないから——ぜんぶ、照らす。


 「これは、取り立てだ。呑まれしすべての名の、取り立て。」


 取り立て、という言葉に、あれは初めて怒ったのだと思う。……図星だからだ。


 影が、膨れた。


 戸が内側から弾けて、黒が洪水になって溢れた。祠の石を呑み、雪を呑み、こちらへ。


 トウヤさんの刃が横に走る。一枚の壁みたいに、黒の先端がまとめて斬り落とされた。


 「最後まで!! どうぞ、最後まで!!」


 吠えたのは、技名の人だ。今夜は名もない斬撃だけで立っている。


 黒の腕が一本、脇をすり抜けて、ヨゾラへ伸びた。


 間に合わない——そう見えた。目を閉じたまま、一音も揺らさなかった。


 黒の腕は、唄の三歩手前で止まった。……止まって、震えて、引いた。


 聴いている。攻めながら、それでもあれは、唄を聴くのをやめられない。


 唄は四回目に入った。声がかすれはじめて、それでも一音も落ちない。


 「赤き月光よ、一条の矢と成れ。」


 赤が、集まった。


 月から糸を引くように、僕の目の前で、光が矢の形に編まれていく。細い。月鎖より細くて、月鎖より熱い。


 ずっと、ノートの中でだけ飛んでいた矢だ。それが今、僕の目の高さで、静かに燃えている。


 トウヤさんが一瞬だけ、矢を振り返った。あの人が敵から目を離したのは、今夜、それが最初で最後だった。


 「影を裂くな。影を照らせ。——照らして、残らず返せ。」


 矢が、満ちた。切っ先は、祠のいちばん深いところを向いている。


 ヨゾラの唄が、四回目の三行目を終える。


 ……唄が、尽きた。稽古のとおり。四回ぶん、きっかり。


 ヨゾラが目を開けて、僕を見た。唄い終えた人の、仕事を渡す顔だった。


 風が、止んだ。雪の軋みも、遠い鐘の気配も、僕自身の心音さえ。音という音が、順番に店じまいをしていく。


 黒の洪水だけが、まだ目の前にある。それすら、止まって見えた。


 世界に、僕の次のひと言だけが残っていた。


 赤い月あかりの下で、唇が、五年ぶんの空白の形になる。


 怖くは、なかった。この名前は、呼ばれて——取り返して、もらったものだ。


 「その名を灯して、撃ち貫く。我が名は——」


 「——結月」


 白い最後の一行に、声が入った。


 矢が、放たれた。


 音は、なかった。赤いひと筋が黒の真ん中へ入って——裂かずに、照らした。


 黒の中を、光はゆっくり歩いた。急がない。ひとつずつ照らして、ひとつずつ、返していく。


 黒の内側が、透けた。洪水の中に、無数の淡い灯が浮かび上がって、いちどだけ、いっせいに明るくなった。


 ヨゾラが、灯りの群れへ小さく頭を下げた。……この土地の、返してもらえなかった名前たちに。


 その光の中から、人の形が、押し出されるように落ちた。


 奪い返した、という手応えではなかった。……返させた。影が、手を開いたのだ。


 雪の上に。……小さい。あんな大きな黒の中に、こんな小さな人が閉じ込められていたのか。


 駆け寄りたかった。足が、もう言うことを聞かない。


 トウヤさんが刃を雪に置いて、走った。……盾役は、受け止める順番も知っている。


 ヨゾラの足が、雪を半歩だけ踏んで——止まった。まくった袖のほうを、選んだのだ。


 落ちてきたのは、ひとりだけだった。


 ……ほかの灯りは、返る先を失くしている。名前だけが、あの中で燃えつづけていたのだ。


 黒は、悲鳴を上げなかった。


 燃え尽きる薪みたいに縮んで、戸の奥へ、深く深く引いていった。祠の戸が、静かに閉じる。


 結び目が——目の前で、少しだけ太った。


 空を見ると、月の端に白が戻りはじめていた。……世界も、返してもらう順番だった。


 勝った、とは思えなかった。


 ……届いて、いない。あれはまだ、奥にいる。矢は照らしただけで、火種までは消せていない。


 そこまで考えたところで、膝から力が抜けた。


 色から順に、消えていく。赤い月が、灰色の月になる。


 雪が近い。世界が狭い。視界の端で、袖をまくった腕が伸びてくる。


 受け止める側は、決めてある——そう言った人の肩に、僕はぜんぶを預けた。


 肩は、あたたかかった。冬の夜なのに。


 暗くなる耳のいちばん奥で、細い声がひとつ、名前を呼んだ。


 ——よぞら、と。


 ……十年ぶんの、呼び声だった。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。