↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
越冬編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/80

第57話 最後の一行《なまえのながさ》

 朝から、雪がやんでいた。


 屋根の雪がゆるんで落ちる音が、ときどき、どこかで鳴る。冬がひとつ寝返りを打ったような、そんな日だった。


 務めは朝いちばんに済ませてある。結び目は今日も細くて、今日も持ちこたえた。


 ページは、最終行を残して埋まっている。昨日の日暮れまでに、そこまで書いた。


 今日は書かずに、確かめることにした。読めない相棒と、読める僕とで。


 「……ここ」


 ヨゾラの指が、白い場所の手前で止まる。昨日と同じ止め方で、昨日と違うことを言った。


 「みじかい」


 「……ん?」


 「白いところ。……一行ぶんも、ない」


 言われて、僕は空白を測り直した。


 行の階段は長短の波を作りながら、下りてくる。この人が昨日、揃え直させた波だ。最後の段だけが——たしかに、短い。


 文を入れる長さじゃない。二文字か、三文字。それくらいの、小さな白だった。


 二文字。……心当たりが、喉の奥で鳴った。まさか、と思う。まさか、のほうが正しい気も、もうしていた。


 「文じゃ、ない」


 白の幅に手のひらをかざして、ヨゾラが言った。読めない人には、読めない人の測り方がある。


 「……名前の、長さ」


 僕は前のページを繰った。魔弾の章の、他の技たち。


 炎の名、氷の名、雷の名。中二の武器庫が、恥ずかしい順にずらりと並ぶ。


 名乗りで締まる詠唱が、いくつもあった。


 ——我が名は、ルナ・エクリプス。


 二つ名で足りる矢は、二つ名で締めてある。恥ずかしさで目が滑るけれど、そこだけは五年間、一度もぶれていない。


 この一枚だけが、そこを白くしている。


 「……なんで、これだけ」


 声に出してから、答えを探して欄外を読んだ。条件書きの続きに、中三の僕は理由まで彫っていた。


 意味だけ訳すと、こうなる。


 名は、灯り。借り物の灯りは、影の中で消える。


 「……きびしい」


 「昔の僕は、自分に厳しかったんだ。……他人には、もっと厳しかったけど」


 「……異名じゃ、だめってこと」


 あのころの僕は、ルナ・エクリプスと書けばよかった。書けたはずだった。……書かなかった。


 この魔弾だけは、本当の名前でしか締められない形に、自分で作ってあったのだ。


 そして、あのころの僕は——その一行に、自分の名前を置けなかった。


 現実の僕は、中二を隠して生きていた。教室では結月で、ノートの中でだけ、ルナ・エクリプスだった。


 あの一行に本名を書くということは、二つの世界を繋ぐということだ。この全部を、本気だと認めるということだ。


 中三の僕は、そこまでは引き受けられなかった。……いちばん嘘のない一行だけが、書けなかった。


 自分で課した掟に、自分だけが落第したのだ。


 この世界に来た日、名前を聞かれて——結月、と言いかけて、飲み込んだ。あの瞬間、僕は名乗る側を入れ替えた。結月をしまって、ルナを表に。封印は、あのとき掛かった。


 それでも一度だけ、緩んだ晩がある。熱で寝込んだ夜、僕は——ゆづ、と。途中まで、口にしていたらしい。


 この人はそれを拾って、次の朝、約束をくれた。呼ばない。あなたがいいって言うまで。……指切りみたいに、固い声で。


 そして祠の前で、いい、と僕が叫んだ日から——この名前は、呼ばれるものに戻った。


 意識のない口が、途中まで名乗っていた。……封印は、名前より浅いところまでしか、届いていなかった。


 「……足りなかったの、それ」


 ヨゾラが、白い場所を見たまま言った。


 「言葉じゃ、なかった」


 「うん。……言葉の在庫の、問題じゃなかった」


 五年間、決め台詞ばかり増やし続けて、いちばん短い一行だけが書けなかった。


 笑い話みたいで、笑えなかった。


 欄外にはもうひとつ、大事なことが書いてあった。


 この魔弾は、月蝕(げっしょく)の晩にのみ、撃てる。


 影が月を呑む夜——月は、影の内側にいる。内側からしか、この矢は放てない。


 「……内側から」


 ヨゾラが小さく、繰り返した。


 内側にいるのは、月だけじゃない。


 口には出さなかった。出さなくても、二人とも同じ人のことを考えているのが、息でわかった。


 「月蝕って、いつ来るの」


 「満ちた月の晩にしか、来ない。……でも、どの満ちた月に来るかは、選べないんだ。僕の世界でも、数年にいちどの夜だった」


 待つしかないものが、また増えた。


 ただ、今度のは怖い待ち時間じゃない。矢を放てる夜を、待つ。待ち方の名前が、変わった。


 「ヨゾラ。……入れる名前なら、もう持ってる」


 白い場所の上に、触れない高さで、指をかざした。


 あのころの僕に足りなかったものを、僕はいま、呼ばれて知っている。


 坂の途中で。声の晩に。仲直りの夜に。


 この人が呼ぶたびに、あの名前は封印から一文字ずつ、帰ってきていた。


 「——結月」


 白い場所を見たまま、ヨゾラがその名を、そっと置くみたいに言った。


 言われてみれば——あの二文字は、あの白にちょうど収まる大きさをしていた。


 「うん。……君が取り返してくれた名前で、締める」


 「……私の呼んだ名前が」


 「矢になる」


 「……じゃあ、書く?」


 「書かない」


 即答になった。自分でも意外なくらい、迷いがなかった。


 「名前は、最後の晩に——声で入れる」


 紙に置くのではなくて、灯す。欄外の言い方を借りるなら、そういうことになる。


 完成品を抱えて月蝕を待つより、そのほうが安全でもある。言い切れば出るものの最後の一言は、撃つ瞬間まで、僕の口の中にしまっておく。


 ヨゾラはしばらく黙って、それから、少しだけ笑った。


 泣くのと笑うのの、ちょうど真ん中の顔だった。


 夜、村の唄はいつもの数だけ灯って、いつもの順で渡っていった。村はまだ、何も知らない。


 その切れ目に、三晩ぶりの声が来た。


 一行目、二行目、三行目。破れ目で、止まる。


 静寂が、部屋の空気を薄くする。……でも、今夜の僕たちは昨日までと違った。


 ヨゾラの手元で、針は止まらなかった。繕い物の縫い目が、声のあいだも同じ速さで進んでいく。


 顔を見合わせて、頷く。それだけだった。答えない。慌てない。


 こっちの矢は、もう半分できている。


 歌ってろ、と僕は口の中だけで言った。おまえの独唱会は、月が赤くなる晩までだ。


 寝る前、ツキヨが東の窓辺で長いこと、外を見上げていた。


 月はまだ、昇らない時間だ。いまの月は細って、夜のいちばん深いところでしか出てこない。


 それでもあの子の鼻先は、月の昇るあたりへ、まっすぐ向いていた。


 「……どうかした?」


 返事はりんと、一回だけ。それきり、また同じ場所を見る。


 耳が、森ではなく空に向いている。この子の耳の向きは、いつも僕たちより先に正しい。


 あの子が何を聞いているのか、僕にはまだわからなかった。


 明日、長老に報せることを決めた。矢の話と、月蝕待ちの話。備えは、待つことの別の名前だ。


 白い場所は、白いままだ。……でもあれはもう、ただの空白じゃない。名前を待っている、席だ。


 道の書に、ヨゾラが一行。


 『なまえは、もう ある。』


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。