↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
越冬編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/79

第53話 つづきのこえ

 「——夕方は、見るだけ」


 朝の務めの帰り道で、ヨゾラがそう切り出した。


 結ばない。結び目の痩せ具合を見て、覚えて、帰る。見るだけなら祝詞(のりと)は要らない——つまり、僕が削れない。


 昨日の「私だけで行く」が、ひと晩かけてこの形になったらしい。


 「……それなら、二人で行っても同じでしょ」


 「ん。……二人で、見るだけ」


 「……夜が、薄くなる」


 「ん。……でも、倒れた番人は、朝も結べない」


 これがこの人なりの、精いっぱいの譲歩なのだった。僕も譲ることにした。削れないなら、並んで歩くだけだ。


 トウヤさんが夕の道に同行を申し出てくれて、三人と一匹の列になった。剣は届かなくても、目と耳は多いほうがいい。


 朝は結び、夕は見る。一日の形が、また少し変わった。冬のあいだ、僕たちの暮らしはこうやって、静かに作り替えられていく。


 日の落ちかけた祠は、朝より影が深い。


 結び目は今朝結んだばかりなのに、もう糸の細さが変わっていた。ヨゾラは指を当てず、目だけで測って、短く息を吐いた。


 ツキヨは自分の持ち場に座った。ただ、耳だけは戸ではなく、森を向いていた。


 「帰ろう」


 声をかけると、あの子は少し遅れて立ち上がった。


 夜、唄が始まった。


 僕は暖炉に薪を足しながら、いつもの節を、数えるともなく数えていた。井戸端の大声と、どこかの低い鼻歌。子どもらの合唱は、もう眠る時間だから聞こえない。


 その、切れ目だった。


 遠くで、細い声が節を継いだ。


 村の、どの家の声でもない。


 声は林の奥のほうから、来ていた。風に千切(ちぎ)られて、言葉は切れ切れにしか届かない。それでも節で、同じ唄だとわかる。


 ——とを、たたく……


 ヨゾラの手から、繕い物が滑り落ちた。


 拾わなかった。拾うという動きを、この人の体が忘れていた。


 その声は不気味なくらい正確だった。音の高さも、間の取り方も、聞き取ったとおりに歌う子どもみたいに正確だった。


 村の唄には家ごとの、癖がある。井戸端のおばさんは跳ねるし、長老は伸ばす。


 あの声には癖が、なかった。誰からも習っていない唄は、こんなふうに真っ白な形をしている。


 一行目を歌い、二行目を歌い、三行目を——


 三行目の終わりで、ぴたりと止んだ。


 紙が破れていた、ちょうどそこで。


 静寂が、続きを待っている。


 歌いさしの節ほど、気持ちの悪いものはない。切れた場所を、耳が勝手に埋めたがる。


 そして——埋められる者が、この家には一人いる。


 ヨゾラの唇が、動きかけた。


 「——結月」


 出てきたのは、唄の続きじゃなかった。僕の名前だった。


 考えるより先に、口がいちばん強い言葉を掴んだのだと思う。魔法でも祝詞でもない、ただの二文字。この人は自分の声で、自分を夜のこちら側へ引き戻した。


 長い息をひとつ吐いて、この人は自分の口を、手のひらで軽く押さえた。


 「……母さんの、声」


 声は、乱れていなかった。乱れていないことが、いちばんこわかった。


 知っている声だった。祠の戸の向こうから聞いた、あの声だ。


 でも、あのときは戸一枚の内側だった。今夜のあれは、外にいる。夜の中を、唄に乗って歩いている。


 結び目が痩せるというのは、こういうことだった。中身が、細く、漏れている。


 りん、りん。


 ツキヨが影から出て、窓の下に立った。鈴が二回、鳴った。


 ……この鳴き方を、僕は前にも聞いた。


 「……二回の鈴って、これのこと?」


 あの子はこちらを見上げた。それが返事だった。


 道の書の三行が、頭の中で並び直る。間は三日、次は二日。……そして今夜で、一日になった。


 あれは近づいてくる足音の記録じゃない。練習だったのだ。森の奥であれはずっと唄をさらっていて、今夜が本番だった。


 ツキヨだけが、それをずっと聞いていた。


 言葉にできない子が、十日ものあいだ、たった一人で聞いていた。


 僕はしゃがんで、あの子の頭に手を置いた。伝わらなかったのは、この子のせいじゃない。受け取れなかった、僕たちの側の話だ。


 ひと晩ぶんを前に謝った。今度は、十日ぶんだ。


 昨日の夜、嫌な考えが一度だけよぎった。歌うな、とは言っていない、と。


 当たってほしくない予感ほど、よく当たる。名前を呼ぶなと言い、戸を叩くなと言った。あれは、どちらも守っている。


 律儀に守ったうえで、これをやっている。


 足せばいい、とはもう思わなかった。昨日ヨゾラが首を横に振った意味が、今夜わかった。塞いでも塞いでも、向こうは形を変える。壁の勝負では、終わらない。


 「……ねえ」


 ヨゾラが押さえていた手を、下ろした。声は静かで、静かすぎた。


 「ちいさいころに聞いた、あの声。……ずっと、誰か、わからなかった」


 「…………」


 「今夜、わかった。……母さんの声で、聞いてたの。唄の、つづき」


 四行目は、山道のどこにも落ちていない。この人の、いちばん古い記憶の底にだけ、沈んでいる。


 「もういちど聞けば——思い出せる」


 思い出せば、唄が揃う。唄が揃えば、この冬を越す言葉が増える。村のための理屈が、ちゃんと立っている。


 釣り針は、いちばん正しい形をして落ちてくる。


 「だめだ」


 考えるより先に、口から出ていた。


 「聞くだけ。……こたえなければ」


 「名乗られたら、聞く。聞けば、答えたくなる。——決まりは、そのためにあるんだ」


 ヨゾラは黙って、壁の紙を見た。


 『おとには、こたえない。』


 自分たちで編んだ決まりが、今夜はじめて、自分たちのほうを向いていた。


 あの唄の続きは、この冬を越すために、いちばん欲しいものだ。


 その鍵だけを、いちばん聞いてはいけない声が握っている。


 欲しいものを餌にするやり方なら、僕も知っている。あれは戸を叩くのをやめたんじゃない。叩く場所を、木の戸から、人の耳に替えただけだ。


 外の声はもう、聞こえない。今夜のぶんは終わったらしい。


 村の唄だけが、いつもどおりに続いている。何も知らないまま、家から家へ、灯りを渡って。


 唄を止めるべきかどうか、少しだけ考えた。……止めない。こちらが何かを変えれば、効いたと教えることになる。


 明日、長老に報せる。決めるのは、それからでいい。


 ヨゾラは繕い物を拾い上げて、膝に置いて、それきり針を動かさなかった。


 僕は薪をもう一本、火に足した。今夜は長く起きていることになる気がした。


  寝る前に、ヨゾラが道の書へ一行。


 『こえが、うたった。三ぎょうめまで。』


 炭を持つ手は、いつもどおりに見えた。いつもどおりに見えることが、今夜はいちばん、心配だった。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。