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『封印したはずの名前を、彼女が呼ぶ——中二病少女の異世界黒歴史』  作者: 鏡花
星辰編

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第40話 三色紋章《くみひも》

 机の上に、糸が三色、並んでいた。


 銀と、藍と、黒。


 銀と藍は、ヨゾラの手芸(かご)から少しだけ拝借した。彼女が僕の組紐(くみひも)を編んだ、あの残り糸だ。黒だけは、この前の行商のとき、こっそり買った。売り台の隅で黒糸を(にら)んで選び込む旅の魔法使いは、さぞ怪しかったと思う。でも、妥協はできなかった。


 黒糸は、いちばん選び慣れた色だ。なにせ、生まれてこのかた頭に載せている。


 (つや)が浅いと安く見えるし、深すぎると重くなる。夜の入口くらいの黒がいい。


 そこまで吟味して、店のおじさんに「玄人(くろうと)か」という顔をされた。黒の玄人。名乗ったことはないが、経歴だけなら十七年ある。


 今日、ヨゾラは長老のところだ。薬草を届けて、お茶に捕まって、帰りは夕方になる。つまり、いまが決行のときである。


 胸の底が詠唱の直前と同じ温度になっていた。おかしい。今日やるのは、編み物である。


 僕は自分の髪から、組紐をそっと外した。


 銀と藍の二色。誕生日に、彼女が編んでくれたものだ。もらってから、外したのは数えるほどしかない。


 今日は先生になってもらう。編み目の向き、締めの強さ、房の始末。手本は最初から、僕の髪にいた。


 ——編むぞ。


 糸を束ね、端を結び、机の角に固定する。……手順を、口の中で唱えている。


 落ち着け。編み物である。


 指はいつもどおりでいい。髪で鍛えた指だ。編むこと自体は、怖くない。


 怖くないのは、手だけだった。


 銀を一本。月の色——じゃなくて、君の髪の色。藍を一本。これは君の目の色で——五年間、僕がずっと選び続けた色。そして黒を、あいだに一本。


 これは、僕だ。


 君の二色に、僕の色を足す。それはたぶん、「僕がここにいる」と、君の髪に書くことだ。編み目がひとつ進むたび、その意味が指先から入ってくる。手が、止まった。


 いいんだろうか。こんな、印みたいなもの。


 ……いい、はずだ。だって彼女は、言った。私は、黒が好き。あの星見の丘で、まっすぐに。


 言われた側が忘れるわけがない。あの一言が、この黒糸の、仕入れ元である。


 手が、動き出した。


 窓の外で、りん、と音がした。


 見ると、ツキヨが庭先からこっちを(のぞ)いていた。昼の見回りの途中らしい。銀の耳が机の上の三色を、じっと見ている。


 「……他言無用で頼む」


 りん。


 了解なのか、面白がっているのか、判定は難しい。まあ、この見張り番は口が堅い。なにしろ、鳴くことしかできない。機密保持の適性は、村でいちばんである。


 昼をまたいで、編んだ。


 一度、目が乱れた。藍の上に黒が乗るはずが、下をくぐっていた。ほどくか、ごまかすか。


 ……ほどく、に決まっている。祝詞と同じだ。


 途中でつっかえたものは、最初からやり直し。ごまかした一目は、あとで必ず、そこから緩む。


 ほどいて、編み直して、夕方前に、それはできた。


 銀と藍と黒の、三つ編みの組紐。長さは彼女の髪のぶん。房の始末は、手本のとおり。


 机に置くと、三色は思ったよりずっと、静かに馴染んでいた。ばらばらの三本が、編まれたら一本の色になる。そういう仕組みらしかった。


 できあがった組紐は、布に包んだ。置き場所を、机の上、棚、また机の上、と三回変えた。渡すときの台詞も、三案考えた。三案とも、たぶん本番で忘れる予感がした。


 夕方、戸が開いた。


 「ただいま」


 「おかえり。……あの、これ」


 われながら、段取りが早すぎた。お茶も出さずに、僕は包みを差し出していた。手のひらほどの布包み。ヨゾラは荷物を置いて、それを受け取って、開けた。


 「……三色」


 「この前の行商で、糸が、その、目についたので。銀と、藍と——黒。ぜんぶの色、というやつを、僕も、一回」


 日本語が下手になった。異世界でも下手になった。五年ぶんの詠唱で鍛えた舌は、この種類の台詞では、まるで役に立たないらしい。ヨゾラは組紐を持ち上げて、夕方の光にかざした。それから、僕を見た。


 「編んだの? あなたが」


 「髪で、鍛えてるので」


 「ん。……知ってる」


 彼女は組紐を見て、もう一度、僕を見て、それから耳を少し赤くして、言った。


 「つけて」


 係の出番である。僕は彼女の後ろに回って、ゆるい一本編みの結び目に、三色を編み込んだ。いつもの髪に、いつもの手順。ただ、指先だけが、いつもより丁寧になった。


 銀の髪に、銀と藍と黒。留めて、房を整えて、手を離す。


 ヨゾラは自分の肩越しに、髪の先を引き寄せて、それを見た。長いこと、見た。


 「ん。——ぜんぶの色」


 それだけ言った。言ってから、房の先を指でひとつ、そっと()でた。それだけで、丘の夜がまるごと、この夕方に接続された。僕は棚の湯呑みを取りに行くふりをして、頬の温度をごまかした。夏のせいにするには、夕方は少し、涼しすぎた。


 「……ねえ」


 振り向くと、ヨゾラは僕の机の上を見ていた。黒糸の残りが小さく巻いて置いてある。


 「余り、ある?」


 「え? うん、少し」


 「貸して。それと——あなたの、それも」


 指がさしたのは、僕の髪だった。銀と藍の、二色の組紐。外して渡すと、彼女は椅子に座って、僕の目の前で、するするとそれをほどき始めた。えっ、と言う間もない手際だった。手芸は、彼女の本領である。


 「ヨゾラ?」


 「あなたのには、黒が、なかった」


 ほどいた銀と藍に、黒を足して、編み直していく。速い。僕が昼をまたいだ工程が、彼女の指の中では夕餉(ゆうげ)前の一仕事だった。


 「私が編んだときは、まだ——言ってなかったから」


 手を止めずに、彼女は言った。


 まだ、言っていなかった。誕生日の組紐は、告白より前の品なのだ。銀と藍の二色は、あのときの彼女が置ける、精一杯の距離だった。二色から三色までの距離を、僕たちはこの夏、少しずつ歩いてきたらしい。そして今は。


 「はい。……できた」


 三色になった組紐が、僕の手に戻ってきた。編み目は前より少しだけきつい。ほどけないように、という編み方だった。


 結び目の高さが、彼女の髪のそれと揃っていた。測ってもいないのに。


 彼女は僕の髪にそれを結わえて、房を整えて、それから自分の髪の先と、僕の髪の先を、順番に見た。


 夕日が窓から入って、六本ぶんの糸を、同じ色で照らした。


 銀の髪に、三色。黒い髪に、三色。


 「これで——どっちにも、ぜんぶ」


ここまで読んでくださりありがとうございます!

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