第4話 禁忌の書
ぱち、と暖炉の火が爆ぜた。
夜。ヨゾラの家の居間。借りた毛布にくるまって、僕は暖炉のそばに寝床をもらっていた。ヨゾラはもう自分の部屋に引っ込んでいる。村の夜は早い。
早いのに、僕は眠れずにいた。
当然だと思う。昨日、異世界に来た。今日、岩を半分熔かした。人生の情報量が、二日で限界を超えている。
そして——眠れない理由は、もう一つあった。
毛布の下で、固い感触がする。スカートのポケットから移した、あのノートだ。
『禁忌の書』。
……確認しておくべきだと思う。そう、確認だ。今日わかったことが本当なら、あのノートに書いてある設定は、全部「使える」ことになる。つまりあれは、黒歴史の記録ではなく、魔導書なのだ。戦力の把握は、生き延びるために必要な作業であって、決して、読みたいわけでは、ない。
誰にともなく言い訳をして、僕はノートを開いた。
表紙の裏に、銀のペンで一行。
『この書を開きし者に、等しく滅びあれ』
「〜〜〜〜っ」
声を出さずに悶えるのは、なかなかの技術が要る。開きし者、僕だが。滅び、僕にか。過去の僕、せめて自分だけは例外にしておいてくれ。
めくる。最初のページは、自己設定だった。
『名——ルナ・エクリプス。月蝕の夜に生まれし、漆黒の魔弾の射手』
……そうだった。忘れたかったのに。「ルナ」は、ここから取った名前だ。川辺でとっさに名乗ったとき、僕の口は、五年前に作ったこの設定を、しっかり覚えていたのだった。ヨゾラが「いい名前」と言ってくれるたび、僕の胸に小さな棘が刺さる理由がこれである。いい名前。出典、中二の僕。
めくる。邪眼の設定。右腕の封印の設定。前世で滅ぼした国の数(三つ。少なくない?)。ページの余白は設定画で埋まっている。全身図、武器の意匠、髪型の研究だけで三ページ。我ながら、絵だけは無駄に上手い。読み進めるほど、毛布の中の温度が上がっていく。羞恥で人は発熱できる。新発見だった。
そして、終わりのほうのページで、手が止まった。
『時輪十二式』
太字で、そう書いてある。中学三年の僕が、三ヶ月かけて練り上げた、自作の最強魔法体系。時計の文字盤になぞらえた、十二の魔法——ということだけは、覚えている。覚えているが、細部を読み返す勇気が出ない。ページの端に、当時の僕の書き込みが見えた。
『これを全部使いこなせる者は、世界に一人でいい』
「無理!!」
音を立てて閉じた。読めない。今日の理屈でいけば、この十二個も、本気で唱えれば発動しかねないのだ。発動したらどうする。使いこなせる者、世界に一人でいい、って、その一人に僕がなるのか。
なりたかったんだろうな、当時は。
……ふと、指が、最後のページを探っていた。
そこに何が書いてあるかは、開かなくても知っている。『我が真名』のページ。儀式の準備で、僕が真っ先に、黒く塗りつぶしたページだ。
ルナ・エクリプスは、通り名にすぎない。あの頃の僕には、その奥に、誰にも明かさない「本当の名前」があった。口にすれば世界が変わると、本気で信じていた名前が。
塗りつぶしても、覚えている。忘れられるわけがない。でも、読まない。あれだけは、あれだけは駄目だ。理屈じゃなく、そう思う。
「まだ起きてるの」
「ひゃっ!?」
ノートが宙を舞った。受け止めた。そのまま反射で、毛布の下に押し込んだ。守って、隠した。何をだ。
振り向くと、部屋の戸口にヨゾラが立っていた。寝間着姿で、編んだ髪をほどいている。銀色の髪が、暖炉の火を受けて、流れるように光った。……不意打ちでそういう姿を見せるの、心臓に悪いからやめてほしい。
「な、何、どうしたの」
「水を飲みに。……その本、読んでたんだ」
「読んでない。確認してただけ」
「ふうん」
ヨゾラは深追いせず、台所で水を飲んで、戻りがけに足を止めた。
「明日、村に連れて行く。あなたのこと、傍目には旅の人ってことにするから」
「あ、うん。ありがとう」
「それと」
戸口で、彼女は少しだけ振り返った。
「その本、大事にしてるんだね」
「してない!! これは、その、封印対象で」
「毛布の下に、しまってたのに?」
「…………」
「おやすみ、ルナ」
戸が、静かに閉まった。
僕は、毛布の下からノートを引っ張り出して、見下ろした。暖炉の火が、表紙の上でゆらゆら踊っている。
投げ込めば、終わる。二歩あるいて、手を離すだけ。それで封印は完了して、僕はただの、魔法が少し変な旅の人になれる。
……手は、動かなかった。動かないまま、ノートを毛布の下に、そっと戻した。
封印は、まだ解けない。
——解かない。たぶん、まだ。
「時輪十二式」は前作「十二刻のクロノス」のセルフオマージュです。時間魔法ものです。よければこちらも!




