第36話 流星急襲《みならいまほうつかい》
「——ねえ、いまの、なに!?」
知らない声が、広場に響き渡った。
その朝も、りんと一声の出勤挨拶から始まった、いつもの日だった。いつもじゃなくなったのは、昼前である。行商人の荷馬車と一緒に、見慣れない旅装の女の子が村に入ってきて——そして子どもたちの「かいがんせよ!!」の挨拶を、真正面から浴びたのだ。
「いまの詠唱!? 長くない!? 何の魔法!? 発動してなくない!?」
「挨拶です」
水汲みの途中で通りかかった僕は訂正した。この村の挨拶は、事情を知らない人には呪文に聞こえる。当然である。出典は僕の魔眼なので、頭が痛い。
女の子はくるっとこっちを向いた。日に焼けた頬、旅慣れた軽装、背中でひとつに括った明るい色の髪。歳は、僕たちと同じくらいに見えた。
「挨拶!? 面白!! ねえキミ、この村の子!?」
「え、あ、はい。いや、住んでる、けど」
「あたしナガレ!! 都の学び舎の見習い!! いまは風回りの修行中で、行商のおじさんに同行させてもらってるの!! あ、ナガレって名前はね、流れ星の夜に生まれたから!! よろしく!!」
情報が、多い。
聞いてもいないことまで、全部まとめて、先払いで渡された。名前、身分、旅の事情、名前の由来。この村の人たちが十日かけて交換する情報量を、この子は十秒で置いていった。
「キミたち、いくつ? あたし十七!!」
「「……同い年」」
僕と、隣に立ったヨゾラの声が、揃った。同い年。この村に来て、初めて聞く言葉だった。
風回りの修行、というのは、学び舎の見習いが仕上げの前にやる旅のことらしい。土地ごとに風には癖があるから、諸国を回って、いろんな風を知る。路銀は行商の手伝いで稼ぐ。「風はね、荷運びに便利なの!!」とのことだった。
「で!! 本題!!」
ナガレは人差し指を、びしっと立てた。
「この春、南の山の向こうが光ったって話、北の街道で聞いたの!! 月色のと、火色の!! ここ、いちばん近い村でしょ!? なにか見た!?」
来た。僕の背中に、冷たいものが走る。月色と火色。出典は、どう考えても僕である。答えに詰まった僕の横で——井戸端のおばさんが洗い物の手を止めずに言った。
「ああ、それかい。森が落ち着いただけだよ!」
「もりがおちついただけー!!」
子どもたちが唱和した。通りがかったイワネさんまで、足を止めずに「……森が、落ち着いただけだ」と低く置いていった。全員、一言一句、同じである。
ナガレの目が、すっと細くなった。
「……みんな、同じこと言う。この村、口裏合わせてる!?」
どきり、とした。合わせている。合わせているのだ。約束の中身を知らないまま、約束を守っている人たちが、この村にはいっぱいいる。ナガレはしばらく僕たちを順番に見て、それから、ぱっと表情を戻した。
「——まあいっか!! 森が落ち着いたなら、良いことだし!!」
いい子だった。追及より、良い報せのほうを取る子だった。
それから彼女はあっという間に、村の人気者になった。
風で子どもの帽子を追いかけて取ってやり、埃っぽい道をひと撫でで清め、井戸端で飛ばされた敷布を——「凪げ」——空中でふわりと止めて、一枚だけ、そっと竿へ返した。
驚いたのは、そのときの顔だ。
あれだけ騒がしい子が、風に触れる一瞬だけ、ふっと静かになる。目を細めて、耳を澄ませて、風の行き先を読む。それから、短くひとこと。敷布の他には、葉っぱ一枚、揺れなかった。
「吹け」で、地面の木の葉を一枚だけ裏返してみせる遊びに、子どもたちは大歓声を上げた。一枚だけ、である。隣の葉は動かない。なんという精度だろう。
魔法使いだ、と思った。
本物の。五年前の僕が、なりたくてなりたくて仕方なかった、そのものが、目の前で子どもに囲まれて笑っている。眩しくて、少しだけ、胸の奥が疼いた。
——そして、事件は起きた。
「あんた、風のは大したもんだけどねえ」
おばさんが、たっぷり自慢の顔で言ったのだ。
「うちのルナ様は、もーっとすごいんだよ!!」
「ルナ様!? 様!?」
やめてほしかった。普段は「ちゃん」のくせに、他所行きだけ格が上がっている。ナガレは目を輝かせて振り向き、村の皆さんは誇らしげに頷き、僕の退路は完全に断たれた。長い詠唱、という単語が出た瞬間、ナガレの食いつきは最高潮に達した。
「長い!? 詠唱が!? 聞いたことない!! ねえ一個だけ!! 一個だけ見せて!! 減るもんじゃないでしょ!?」
減る。羞恥心が、ごりごり減る。
だが、断れる圧ではなかった。僕は観念して、家の前の庭先で、いちばん安全なやつを選んだ。ろうそく一本ぶんの火のための、フルサイズの点火詠唱である。誕生日に灯した、あれだ。
息を吸う。火の緒よ、灯の種よ、から始まる長口上を、僕は言い切った。
指先に、小さな火が、ぽ、と灯る。
沈黙が落ちた。
「…………そんなに言って、それだけ!?」
ごもっともである。ろうそく一本ぶんの火に、僕は口上を丸ごと一本使った。ナガレの素直な驚きが、まっすぐ胸に刺さる。だが彼女は次の瞬間、ふっと真顔になった。風に触れるときの、あの顔だった。
「……待って。なにこの風」
「え?」
「詠唱のあいだ、空気が——動くの、やめてた。キミが喋ってるあいだ、風が、止まって……ううん、違う。聞いてた。キミの言葉を、風が、聞き入ってた」
ざわり、と背中が粟立った。
風の専門家が、風で、それを感じ取った。僕の詠唱のあいだ、世界が聞いている——最初の夜のヨゾラの言葉と、長老の水脈の話に、三つ目の証言が加わった。外から来た、風の専門家の口で。
ナガレはその真顔のまま三秒固まって、それから、爆発した。
「なにそれすごい!! もっかい!! ねえもっかい!!」
「もっかいやりません!!」
大音量の賞賛は、静かな賞賛の三倍効く。僕は顔から火が出そうだった。点火詠唱は要らなかったかもしれない。
騒ぎのあいだ、ヨゾラはずっと、少し後ろで固まっていた。
同い年、に慣れていないのだ。それはたぶん、僕以上に。ナガレは目ざとくヨゾラの胸元を見つけて、ずいっと距離を詰めた。
「その飾り、星!? 銀の!? かわいい!!」
「……ん」
「髪もきれい!! その編み方、都でも見ない!! 誰が編んだの!?」
「……この子」
ヨゾラの指が、僕を指した。ナガレの目がまた輝く。会話の球が速すぎて、ヨゾラは半歩下がり——それから、無言で、僕の袖をつまんだ。いつかの夜と同じ、小さな握力で。
ナガレは、それを見た。
「……あ」
一拍置いて、彼女はにっと笑った。
「ふたりって、そういう……いいなあ!! あたし、邪魔だった!?」
「邪魔じゃない」
ヨゾラが、即答した。
僕もナガレも、少し驚くくらいの速さだった。ヨゾラは袖をつまんだまま、まっすぐナガレを見て、もう一度、小さく言った。
「……邪魔じゃ、ない」
ナガレの笑顔が一段明るくなった。
夕方、行商人の荷馬車が出る時間になった。
「風回り、この道また通るから!!」
荷台に飛び乗って、ナガレは大きく手を振った。
「次来たら、あの長いの、最後まで聞かせて!! 約束!! ヨゾラは、ここの星の名前ぜんぶ教えて!! 約束!!」
約束が、ぽんぽん増えていく。それから彼女はふと森の方角を見て——一瞬だけ、あの真顔になった。
「……ねえ。この村の風、なんか——行儀が、いいね」
「え?」
「ううん!! なんでも!! ま、いっか!!」
荷馬車が街道を遠ざかっていく。
遠ざかる背中の向こうで、道の砂が、くるりと小さな渦を巻いた。
——風の、手の振り方だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)
☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆




