表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「男子が2割の世界で普通にしてたら、どうやら大問題らしい」   作者: ゆう
5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/47

第6話「ひなたの観察」

第6話「ひなたの観察」


昼休みの教室は、いつも独特の熱気に包まれている。

女子が八割を占めるこの空間。

視線の先にあるのは、希少な男子生徒だ。

私のクラスには、三人の男子がいる。

いつも疲れ果てている田辺くん。

存在感を消している松本くん。

そして、最近妙に目立っている崎山くん。

私は購買のパンを齧りながら、窓際をぼんやりと眺めていた。

「ねえ、ひなた」

隣の席の村瀬が、声を潜めて私の肩を叩く。

指差す先には、中庭を歩く二人の姿があった。

崎山くん。

その少し後ろを歩く、生徒会書記の白河さん。

「最近、あの二人よく一緒にいない?」

「そうだね。生徒会の手伝いをしてるって聞いたけど」

村瀬が面白そうに目を細める。

窓越しに見える二人の距離。

この学校では、男子と女子が並んで歩くこと自体が稀だ。

ましてや、あの白河さんが。

「白河さんって、崎山くんと話すとき少し違う気がする」

村瀬が指先で顎を触りながら、分析するように言った。

ひなた「どう違うの」

「なんか……ちょっとだけ、やわらかい?」

村瀬の言葉に、私はもう一度二人を見た。

白河さんは凛としている。

歩く姿勢も、制服の着こなしも、隙がない。

でも、崎山くんに何かを言われた瞬間。

彼女の肩が、ふわりと揺れた。

向けられた顔が、ほんの一瞬だけ、年相応の少女のように綻ぶ。

(あ、笑った)

それは、校内放送で見るような、完璧に作られた笑顔ではない。

もっと頼りなくて、温かそうな、本当の顔。

「あんな顔、他の人の前では見せないのにね」

村瀬が感心したようにため息をついた。

クラスの他の女子たちも、二人の様子を遠巻きに伺っている。

憧れと、驚きと、それから信じられないものを見るような困惑。

「崎山くんって、何者なんだろうね」

村瀬がポツリと言った。


村瀬が他のグループへ遊びに行った後。

私は、口の中に残ったパンを飲み込んだ。

(崎山くん、か)

私は、少し前の放課後を思い出す。

図書室の前で、彼とばったり会った時のこと。

『あ、お疲れ。ひなたさん』

彼はそう言って、当たり前のように挨拶してきた。

驚いたのは、私の方だった。

(崎山くんって、普通に話せる)

それがどれだけ珍しいことか。

最近、嫌というほど分かってきた。

この世界の男子は、二つのタイプに分かれる。

一つは、女子の視線に怯え、常に「管理」されることを恐れて殻に閉じこもるタイプ。

田辺くんがそうだ。

いつも死んだような目をして、女子と目を合わせないように生きている。

もう一つは、自分の希少価値を理解し、女子を突き放すようなタイプ。

あるいは、極端に奉仕されて傲慢になるタイプ。

でも、崎山くんはそのどちらでもなかった。

彼は、私を「女子」というくくりで見ない。

「クラスメイトのひなた」として、ごく普通に言葉を投げてくる。

(……それが、おかしいんだよね)

私は窓の外、もう見えなくなった二人の影を追った。

私たちの「普通」は、彼にとっては「普通」じゃない。

そして彼にとっての「普通」は、この私たちを激しく揺さぶってしまう。

(白河さんが変わったのも、きっとそのせい)

あの凛としたお嬢様が、誰かに「普通」に扱われる。

「白河家の顔」ではなく、ただの「澪さん」として話しかけられる。

それは、彼女にとってどれほどの衝撃だっただろう。

(私だって、少しドキドキしたし)

彼と話す時、私は自分が「機嫌を伺う側の女」であることを忘れてしまう。

ただの私でいられる。

それは、恐ろしいほどの心地よさだ。

(白河さん、あんなに耳まで赤くして)

村瀬が言っていた「やわらかい」という言葉。

それは、頑丈に守られていた彼女の鎧が、崎山くんの「普通」によって溶かされている証拠だった。

(崎山くんは、自覚がないんだろうな)

あんなに無自覚に、誰よりも厳しい規律の中にいる女の子を解かしている。

それは、どんな熱烈なアプローチよりも残酷で、甘い。


掃除の時間。

男子三人は、男子更衣室の周辺だけを掃除すればいいことになっている。

女子たちは交代でその付近を通り過ぎ、彼らの姿を盗み見ようとする。

「崎山、お前……」

更衣室の前で、田辺くんが震える声で崎山くんに話しかけていた。

私はバケツを持って、わざとゆっくりとその横を通り過ぎる。

「……白河さんと、名前で呼び合ってるって本当か?」

田辺くんの声は、恐怖に近い驚きに満ちていた。

崎山くんは、モップを動かしながら、心底どうでもよさそうに答える。

「ああ。さっき許可もらった」

「き、許可って。お前、分かってるのか? 白河家だぞ?」

(名前で、呼んでるんだ)

私の心臓が、少しだけ跳ねた。

この世界で、下の名前で呼び合うのは特別な関係の証だ。

ましてや、相手は白河さん。

「名前で呼ぶくらい、普通だろ。友達だし」

「……普通じゃない! 絶対におかしい!」

田辺くんが頭を抱えてしゃがみ込んだ。

崎山くんは、相変わらず淡々と床を磨いている。

(友達、か)

その言葉が、私の胸にすとんと落ちた。

崎山くんにとって、それはただの言葉。

でも、白河さんにとっては、きっと一生に一度の、魔法のような響きだったに違いない。

(白河さん、今どんな顔してるのかな)

彼女は今、生徒会室で一人、自分の名前を反芻しているのかもしれない。

「澪」と呼ばれた時の、あの熱を。

「ひなた、何ぼーっとしてんの?」

クラスの子に声をかけられ、私は慌てて雑巾を絞った。

「あ、ごめん。ちょっと考え事」

私は、崎山くんの横顔を盗み見た。

彼は、自分がどんな大事件を起こしたのかも知らず、ただ「普通」に掃除を終えようとしている。

(崎山くん。君は、自分がどれだけ危険か分かってないでしょ)

でも、その無自覚な強さに。

そして、彼が白河さんに与えた「普通」という特別に。

私は、ほんの少しだけ、胸が熱くなるのを感じていた。

(クラスも、これから大変なことになりそう)

村瀬たちが二人の関係をどう噂するか。

白河家がどう動くか。

想像するだけで恐ろしいけれど。

(でも、ちょっとだけ楽しみかも)

私は、白河さんがまた「やわらかく」笑う瞬間を、もう一度見たいと思ってしまった。

それは、この異常な世界で、唯一見つけた「本当のこと」のような気がしたから。

(私も、今度名前で呼んでみようかな)

無理だと分かっていても、そんな考えが頭をよぎる。

私は小さく笑って、冷たい水の中に手を浸した。


放課後。

昇降口で、白河さんが車を待っていた。

いつもなら、周囲の生徒を寄せ付けないオーラがあるのに。

今日の彼女は、どこかソワソワとして、何度も自分の左胸を押さえていた。

崎山くんが、自転車で彼女の横を通り抜ける。

「じゃあな、澪さん」

「……っ、はい。また明日、崎山さん」

彼女の声は、震えていた。

顔を覆うように、彼女は慌てて下を向いた。

でも、その隙間から見える耳は、真っ赤に熟した果実のようだった。

(やっぱり、あんな顔、見たことない)

私は、少し離れた場所からその光景を見守っていた。

崎山くんの自転車が、夕日の中に消えていく。

白河さんは、彼が消えた後もしばらく、その場に立ち尽くしていた。

(世界が変わるって、こういうことなんだ)

ただ、一人の男子が、一人の女子に「普通」を届ける。

それだけで、鉄壁の令嬢の心は、こんなにも鮮やかに壊れて、変わっていく。

(私の価値観などは変えることができるんだ)

私は、少しだけ軽くなった足取りで、駅へと続く坂道を下り始めた。

明日の朝。

崎山くんが白河さんにどんな「普通」をぶつけるのか。

それを見るのが、今の私の、密かな楽しみになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ