第6話「田辺の話②」
第6話「田辺の話②」
昼休みの喧騒が、購買前の廊下に溢れていた。
俺と田辺は、人混みを縫うようにしてパンを買い、中庭へと続く渡り廊下を歩いていた。
田辺の歩くペースが、いつもより遅い。
俺はそれに合わせて、歩幅を少し狭めた。
「……崎山」
前を向いたまま、田辺が口を開いた。
「なんだ」
「お前、この間……雨の日に相沢に傘、貸しただろ」
(よく見てるな)
「ああ。たまたま一本余ってたからな」
俺が答えると、田辺は視線を足元に落とした。
上履きが床を擦る音だけが、等間隔で響く。
「……俺、昔、誰かに傘貸したことがある」
「そうか」
田辺が、わずかに眉間に皺を寄せた。
手に持ったビニール袋が、カサリと鳴る。
「次の日から、その子の周りの空気が変わった」
「どう変わった」
田辺は一度立ち止まり、窓の外の広葉樹を見つめた。
風に揺れる葉が、ザワザワと騒がしい。
「関わったお前が悪い、みたいな感じになった。……男子に特別扱いをさせた、媚びた、って」
「……」
「女子同士の、何て言うか……透明な壁みたいなものが、その子を包んでた。俺は、何もできなかった」
それ以上、田辺は言わなかった。
俺も、聞かなかった。
(普通にしたことが、誰かの居場所を奪うのか)
重い沈黙が流れる。
田辺は少しだけ顔を上げ、眩しそうに空を見た。
「……お前が傘貸したの、知ってたから……言おうか迷った」
「言わなかったな」
「……お前はそうならない気がしたから」
田辺の言葉が、西日の中に溶けていく。
(そうならない、か)
俺は、その言葉の重さを反芻した。
田辺の目は、かつての自分を諦めたような、それでいて俺の中に何かを期待しているような、複雑な色をしていた。
「……崎山なら、貸した後に何があっても、平気な顔でまた『普通』をやるんだろ」
田辺が再び歩き出す。
「そうかもな。それが一番、角が立たないだろ」
俺が言うと、田辺は鼻で短く笑った。
(答えは出ないな)
俺は田辺の隣に並び、校舎へと戻った。
背後に流れる雲は、どこまでも平坦で、どこまでも白かった。




