第8話「松本の場合」
第8話「松本の場合」
放課後の教室。
文化祭の準備で賑わう女子たちの喧騒から離れ、窓際の三席だけが孤立した島のように静まり返っていた。
俺が明日の小テストの範囲を眺めていると、不意に視界が遮られた。
顔を上げると、松本が立っていた。
いつもは女子の視線を避けるように縮こまっている松本が、自分から俺に近づいてくるのは珍しい。
隣の席で寝たふりをしていた田辺が、わずかに瞼を動かした。
「……崎山」
松本は自分の腕をさすりながら、居心地悪そうに口を開いた。
「なんだ」
「お前さ。白河さんとか村瀬さんと話してる時……全然、怯えてないよな」
松本の視線が、作業中の女子グループの方へ泳ぎ、すぐに手元へ戻った。
「怯える理由がない」
俺が即答すると、松本は乾いた笑いを漏らした。
(……そんなに、おかしいことか?)
「……そういうとこだよ。お前だけ、別の世界にいるみたいだ」
松本の笑みには、微かな羨望と、深い断絶が混じっていた。
「俺たちは、息をするだけで誰かの『負担』になるんじゃないかって、いつもビクビクしてるのに」
松本はそれ以上言わず、逃げるように自分の席へと戻っていった。
田辺がゆっくりと体を起こした。
彼は松本の背中を遠くから見つめ、何も言わずに窓の外へ視線を投げた。
田辺の手元では、シャーペンが一度だけカチリと鳴った。
三人の間に流れる空気は、昨日までの「沈黙の共有」とは、少しだけ質の違うものに変わっていた。
「……崎山」
校門を出たところで、田辺が呼び止めてきた。
「松本の言ったこと、気にしてるのか」
「いや。ただ、そう見えるんだなと思っただけだ」
田辺は鼻で笑い、リュックを背負い直した。
「あいつはあいつで、お前のことが理解できないだけだ。……俺もだけどな」
田辺の言葉はぶっきらぼうだったが、そこには突き放すような冷たさはなかった。
ただ「普通」にしていることが、誰かにとっては「異常な強さ」に見える。
俺は西日に目を細めながら、田辺と並んで歩き出した。




