第5話 田辺の話
第5話 田辺の話
昼休みの購買部は、戦場のような熱気に包まれていた。
女子たちの高い声が飛び交い、目当ての調理パンを求めて人垣ができている。
俺と田辺は、その喧騒から少し離れた列の端に並んでいた。
俺たちの周囲には、やはり目に見えない境界線がある。
「……今日は混んでるな」
「いつもだろ」
田辺はポケットに手を突っ込み、気だるげに掲示されたメニューを眺めていた。
彼の視線は、決して女子たちと交差することはない。
ようやく自分の番が回り、俺は焼きそばパンを、田辺はジャムパンを手に取った。
会計を済ませ、中庭へ続く渡り廊下のベンチに腰を下ろす。
五月の風が、湿った草の匂いを運んできた。
田辺はパンの袋を丁寧に、、音を立てないように開いた。
「お前、なんで普通にできるんだ」
不意に、田辺が低い声で言った。
視線は手元のジャムパンに落ちたまま、動かない。
「普通にしてるだけだけど」
俺は焼きそばパンを一口齧り、咀嚼してから答えた。
「……それが、俺には無理だった」
田辺の指先が、パンの生地を少しだけ強く押した。
凹んだパンは、すぐには元に戻らなかった。
「昔、良かれと思ってやったことが、全部裏目に出た。……この世界じゃ、親切は毒になる」
田辺の言葉には、古い傷跡に触れるような苦さが混じっていた。
彼はそれ以上、何も言わなかった。
誰に、何をしたのか。その結果、どうなったのか。
「そうか」
俺はそれ以上、何も聞かなかった。
詮索は、この世界の「負担」になる。
ただ、隣でパンを食べる。
田辺は、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
彼はジャムパンを小さく千切り、口に運ぶ。
「……お前、その焼きそばパン、紅生姜こぼれてるぞ」
「あ」
俺は制服のズボンに落ちそうになった欠片を、慌てて拾い上げた。
田辺の口元が、一瞬だけ、本当に一瞬だけ緩んだ。
「……変な奴だな、お前は」
田辺は吐き捨てるように言うと、残りのパンを口に放り込んだ。
彼が俺に向ける視線には、警戒心ではない、静かな温度が宿っていた。
空を飛ぶ鳥が、鋭い鳴き声を上げて通り過ぎていく。
俺たちはそれ以上言葉を交わさず、ただ流れる時間を共有した。
教室に戻る途中、田辺がぼそりと呟いた。
「……また明日も、ここでいいか」
「ああ」
ただの確認。
けれど、それがこの世界での、彼なりの「信頼」の形なのだと、俺にはわかった。




