第4話 生徒会の仕事
生徒会の仕事
放課後の校舎は、西日に照らされてオレンジ色のグラデーションに染まっていた。
廊下を歩く生徒の影が長く伸び、窓からはテニス部の打球音が規則正しく響いてくる。
俺は頼まれた書類の束を抱え、一階の廊下の突き当たりにある生徒会室の前に立っていた。
昼休みに白河澪から、「アンケートの集計を手伝ってほしい」と正式な依頼があったからだ。
この世界で男子に「労働」を頼むのは、相当なイレギュラーだ。
だが、断る理由もなかったので、俺は二つ返事で引き受けた。
ノックをして中に入ると、白河はすでに机に座ってペンを動かしていた。
「あ、崎山さん。……ありがとうございます。こちらへ」
白河は立ち上がり、椅子を引いて俺を促した。
彼女の動きは相変わらず無駄がなく、流れるように滑らかだ。
「このクラスごとの回答を、こちらの集計用紙に書き写していただきたいのです。私はそれをパソコンに入力します」
「わかりました」
それから三十分ほど、室内には紙をめくる音とキーボードを叩く音だけが響いていた。
白河の指示は的確だった。
どの項目を優先し、どこに不備があるかをあらかじめ仕分けしてある。
(……完璧だな。一人でやったほうが早いんじゃないか?)
俺は淡々と、目の前の数字を書き写していく。
時折、白河が俺の手元を確認するように視線を送ってくるが、目が合うとすぐに背筋を正して画面に戻った。
彼女の指先が、キーボードの上で少しだけ躊躇うように止まる。
静寂が、部屋の温度を一段上げたように感じられた。
不意に、白河が作業を止めて、俺の方を向いた。
その瞳には、今までのような「事務的な冷たさ」ではない、言いようのない揺らぎがある。
「……崎山さん」
「はい」
ペンを置いて顔を上げると、白河は少しだけ顎を引き、髪の端を指で弄った。
そして、小さく、喉の奥で言葉を転がすように言った。
「……窓、開けてもいいですか」
俺は一瞬、言葉の意味を咀嚼した。
集計作業には何の関係もない。この状況を維持するためにも必要のない言葉。
「どうぞ」
俺が短く答えると、白河は椅子から立ち上がり、窓際へ歩み寄った。
彼女の指先が窓の鍵に触れ、金属特有の冷たい音が室内に響く。
窓が開かれると、初夏の湿り気を帯びた風が入り込んできた。
白河の結い上げられた黒髪が、ふわりと一筋だけ解けて揺れる。
彼女は外の景色を眺めるわけでもなく、ただ入ってきた風を頬に受けていた。
(……ただの、独り言に近かったのかもな)
白河はそのまま数秒間、風の中に立ち尽くしていたが、やけに丁寧な動作で髪を耳にかけ、再び自分の席に戻った。
「失礼いたしました。……続きを、お願いします」
「はい」
再び、紙の音だけが戻ってきた。
だが、先ほどまでの「拒絶」に近い沈黙とは、何かが決定的に違っていた。
時計の針が六時を指す頃、すべての作業が終了した。
「これで全部ですね」
「はい。おかげさまで、予定よりずっと早く終わりました」
俺が立ち上がり、カバンを肩にかけると、白河も一緒に立ち上がった。
彼女は自分のバインダーを胸元で抱え、一度だけ深々と頭を下げた。
「助かりました。……本当に」
「また何かあれば、声かけてください」
俺が何気なくそう言うと、白河の動きが止まった。
彼女は驚いたように目を見開き、それから視線を彷徨わせた。
一秒。二秒。
廊下から、帰宅を急ぐ生徒たちの足音が遠ざかっていく。
「……はい」
白河は少しの間をおいてから、消え入りそうな声でそう返した。
彼女の頬が、夕日のせいだけではなく、ほんのりと赤みを帯びているように見えた。
俺は「失礼します」と短く告げて、生徒会室を後にした。
閉まった扉の向こうで、白河が小さく息を吐く音が聞こえた気がした。
ただの窓開け。ただの事務作業。
それだけのことが、この夕闇の中では特別な儀式のように感じられた。




