第10話「帰る場所」
第10話「帰る場所」
雨は上がっていた。
アスファルトの窪みに溜まった水が、街灯の光を鈍く跳ね返している。
一人で歩く帰り道。
(明日には、もっと騒がしくなるんだろうな)
男子に女子が傘を返す。それだけで教室の空気が変わる世界だ。
だが、困っている人間に傘を貸す。その理屈は間違っていないはずだ。
この世界の「正解」はまだ遠いが、俺の「普通」を曲げるつもりもなかった。
◇ ◇ ◇
玄関の鍵を開ける。
以前は、重い沈黙だけが俺を迎えていた。
「ただいま」
靴を脱ごうとした時、廊下の奥で足音がした。
ことみがひょいと顔を出す。
「おかえり、兄さん」
彼女はそう言うと、こちらの手元を見て、少しだけ目を細めた。
返ってくる言葉がある。それだけで、空気の温度が違う気がした。
◇ ◇ ◇
食卓には、湯気の立つ料理が並んでいた。
母さんのたか子も椅子に座っている。
「今日はどうだった?」
ことみが箸を動かしながら、何気ない風を装って聞いてくる。
視線は小皿に向けられたままだ。
「少し、噂になった」
「……また?」
「また」
俺が短く答えると、ことみの口元がわずかに緩んだ。
俺も少しだけ笑う。
たか子は何も言わなかったが、皿の上にはいつもより一品、煮物が多い。
余計な説明も、劇的な和解の言葉もない。
ただ、食器の触れ合う音と、ささやかな会話がそこにある。
「ごちそうさま。美味しかった」
席を立ち、自分の部屋へ向かう。
「ただいま」が返ってくる家になった。
それだけで、今日は十分だった。
◇ ◇ ◇
翌朝、登校して生徒会室の前を通りかかった。
まだ誰もいないはずの時間。
ドアの隙間から、細い光が廊下に漏れていた。




