遊び人と妖精⑨ アイツだけだった
妖精は角を曲がったところで、足が止まった。
もう歩けなかった。
声が出ないのに、涙だけ出た。
壁に手をついて、
そのまま崩れるみたいに、しゃがみこんだ。
しばらく、動けなかった。
ーー
別の日。
気づいたら、妖精の店の前に立っていた。
変わってない店内。
変わっていない沢山の妖精達。
俺は妖精を一人、選んだ。
抱いた。
それだけだった。
何も残らなかった。
前は、あんなに楽しかったのに。
……違う。
何が?
一瞬考えて、やめた。
その日から、妖精の店には行かなくなった。
面倒な妖精だった。
でもまぁ……
アイツだけだったな。
あんなに抱いた妖精も、アイツだけだ。
俺はタバコに火をつけた。
煙が、やけに目にしみた。
ーー
その後。
バーで働いて、
金を貯めた。
小さい工房を借りて、
パンを焼いた。
店が回り始めた頃、
今の嫁に出会った。
十年一緒にいて、
籍を入れた。
今は、
毎日同じ時間に起きて、
パンを焼いて、
店を開ける。
平凡な毎日。
……悪くない。
「師匠、パン焦げます」
ハッとして顔を上げる。
目の前にはオーブン。
「……おう」
トングでパンを取り出す。
少しだけ、焼きすぎた。
「珍しいっすね、師匠がボーッとしてるなんて」
「うるせぇ」
昔は吸っていたタバコも、
パン屋になるときにやめた。
味が分からなくなるからな。
カウンターで、
妖精が笑顔で接客をしている。
昔、知っている妖精によく似ていた。
その背中を見て、
――面倒な妖精だったな。
「師匠、次の生地できてます」
「……おう」
オーブンの火は、今日も同じ温度だった。




