同僚と妖精(騎士編)③ パンの匂い
腹が減りすぎていた。
頭がぼんやりする。
もう、何日まともに食べていないか分からない。
(……一回だけ)
妖精は思う。
一回だけ戻ればいい。
そうすれば、しばらくは食べられる。
それだけ。
店の灯りが見える。
赤い灯り。
見慣れた扉。
足が止まる。
思い出す。
あの部屋。
重い体。
笑い声。
そして。
あの日。
『俺は妖精だ』
そう言ったとき。
同僚は首を振った。
『違う』
低い声。
『お前は、お前だ』
同僚に抱きしめられた。
胸がぎゅっと締めつけられる。
妖精は目を閉じる。
(……やっぱり)
できない。
踵を返す。
そのとき。
振り向いた瞬間、誰かとぶつかった。
「すみません」
顔を上げる。
「……ああ」
男の声。
その瞬間。
ふわっと匂いがした。
パンの匂い。
(……いい匂い)
腹が鳴る。
ぐう、と音がする。
男がふっと笑う。
「ほら」
差し出されたのは、紙袋。
中にパンが入っている。
妖精は戸惑う。
「でも、お金が……」
男は肩をすくめる。
「やるよ」
軽い声。
「どうせ余りもんだ」
妖精は一瞬だけ迷う。
それから、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
袋を開ける。
パンを取り出す。
そして。
がつがつとかぶりついた。
温かい。
口の中に、やさしい甘さが広がる。
「美味しい……」
妖精は夢中でパンを食べる。
こんなに美味しいパンを食べたのは、初めてだった。
「うまいか?」
男が笑う。
「はい……」
妖精がうなずく。
その瞬間。
ぽろり、と涙が落ちた。
「美味しいです……」
声が震える。
優しくされたのが、久しぶりだった。
涙が、止まらない。
「おいおい……」
男が驚く。
妖精は慌てて袖で顔を拭く。
でも、涙はまだ止まらなかった。
男が妖精を見る。
「……あんた、この店の妖精?」
妖精は首を振る。
「違います」
男が少し首を傾げる。
「じゃあ、どこで働いてんの?」
妖精は言葉に詰まる。
視線を落とす。
「……どこにも」
小さな声。
「雇ってもらえなくて……」
妖精の目に涙が浮かぶ。
男が少し息を吐く。
妖精の顔を見て、言う。
「それであんな顔してたのか」
妖精は黙ってうなずく。
少し間。
男が言う。
「ウチ来るか?」
妖精が顔を上げる。
「え……?」
男は肩をすくめる。
「小さいパン屋だ」
「給料も安い」
少し笑う。
「でも、ないよりマシだろ」
妖精は男を見つめる。
迷いは、もうなかった。
「……行きます」
ーー
パン屋の男について行くと、村の外れの坂の上に工房はあった。
小さくて、簡易的な造り。
でも、パンを焼く機械だけはやけに立派だった。
甘い匂いが、まだ残っている。
「師匠、コイツ誰?」
振り向くと、若い小太りの男が立っていた。
粉まみれのエプロン。
「新しい弟子だ」
「妖精じゃん!」
若い小太りの男が目を丸くする。
「仕事できんの?」
「黙ってろ」
男が妖精を見る。
「コイツは一番弟子。口うるさいが、悪い奴じゃない」
「はい」
妖精が小さくうなずく。
男は工房の奥を指した。
「とりあえず掃除だ」
「はい」
妖精は箒を握る。
パンの甘い匂いが漂う工房。
ここで働ける。
それだけで十分だった。




