王子と妖精⑥
妖精の喉が小さく鳴る。
しばらく、王子を見つめる。
逃げ場を探すように。
それでも。
「……明日の晩」
小さく息を吸う。
「王宮へ参ります」
王子が顔を上げる。
「本当か?」
「はい」
だが、その声は静かすぎた。
「待っている」
王子はそう言う。
妖精は微笑む。
けれど。
その指先は、わずかに震えていた。
翌夜。
王子は待った。
灯りを落とさず。
足音を探しながら。
だが。
来ない。
夜は過ぎる。
夜明けが白い。
王子は立ったまま、気づく。
――来なかった。
⸻
数日後。
夜の街。
王子は見た。
白銀の髪。
笑っている。
別の男の腕の中で。
「一人の殿方では、満足できないのです」
あの言葉が蘇る。
妖精は王子に気づく。
ほんの一瞬。
目が合う。
だが、すぐに逸らす。
わざとらしく笑う。
「今夜は、朝まで離してくれませんか?」
男に甘える声。
嘘だ。
王子には分かる。
だが、止められない。
立場も。
誇りも。
何もかもが邪魔をする。
⸻
昼の路地裏。
王子は妖精を壁に押しつける。
「……なぜ来なかった」
声が荒い。
妖精は笑う。
あの、軽い笑み。
「殿下こそ、お忙しいのでは?」
嘘だ。
全部、嘘だ。
「……もう、やめろ」
声が震える。
嘘をやめろ。
演じるのをやめろ。
妖精は視線を逸らさない。
「殿下」
次の瞬間、
王子は唇を奪う。
荒い。
怒りと焦りが混ざる。
妖精の背が壁に当たる。
「やめてください」
言葉は拒む。
だが、手は王子の肩を掴んだまま。
離さない。
王子の理性が切れる。
壁に押しつける。
昼だというのに。
衝動のままに抱く。
妖精は「やめて」と言う。
声は弱い。
逃げない。
目を閉じる。
王子の腕にしがみつく。
それは拒絶ではない。
でも、求めてもいない。
終わったあと。
王子の呼吸が荒い。
妖精は静かに衣を整える。
目は逸らさない。
「……殿下」
王子が顔を上げる。
その目には、まだ熱がある。
妖精は微笑む。
いつもの、仕事用の笑み。
「お代は、きちんと頂きますね」
空気が凍る。
王子の指が止まる。
「……何だと」
「本日は昼間でしたので、少し割増になります」
声は穏やか。
冗談のようで、冗談ではない。
王子の胸が、ゆっくりと冷える。
「……受け取れ」
言葉が続かない。
妖精は袋を受け取る。
「ありがとうございます、殿下」
深く一礼。
完全に“娼婦”。
完全に“仕事”。
王子はそこで初めて分かる。
奪ったはずなのに、
自分だけが、置いていかれた。
王子は立ち尽くしている。
外套の影の中。
さっきまでの熱が消えた顔。
ただ、呆然と。
その姿が、痛い。
妖精の指が、わずかに動く。
伸ばしかける。
王子の頬に触れそうになる。
あと、ほんの少し。
触れれば。
きっと、全部が変わる。
「……」
指先が止まる。
違う。
触れてはいけない。
妖精は、ゆっくり手を下ろす。
「失礼いたします、殿下」
声は穏やか。
完璧な距離。
背を向ける。
歩き出す。
王子は、気づかない。
伸ばされかけた手にも。
引っ込められた指にも。
ただ、静かに立ち尽くしている。
角を曲がったところで、
妖精の呼吸が乱れた。
胸が、苦しい。
「殿下……」
誰にも届かない声。
青空に溶けた。




