王子と妖精⑤ 心まで渡したのに
妖精は、王子の好きなようにさせた。
泣きやむまで、髪を撫でる。
唇を求められれば、応じる。
拒まない。
責めない。
ただ、そこにいる。
王子の呼吸が、ゆっくり整っていく。
「……ここは」
掠れた声。
言葉にならないまま、胸に顔を埋める。
妖精は、何も答えない。
指先だけが、静かに動く。
朝。
妖精は静かに身支度を整える。
王子は寝台に座ったまま、見ている。
昨夜の熱は、もうない。
代わりに、妙な静けさがある。
「……また会ってくれないか」
妖精は振り向かない。
「王宮の外でもいい」
沈黙。
妖精の手が止まる。
「そうですね……」
ゆっくり振り向く。
「殿下の心を、私にくださるのでしたら」
王子の喉が鳴る。
「そんなもの……」
視線が揺れる。
「とっくに……お前のものだ」
掠れた声。
逃げも、虚勢もない。
妖精は、しばらく王子を見つめる。
嘘かどうかを量るように。
そして。
にっこりと笑う。
「そうですか」
一歩、後ろへ。
「では」
衣を整える。
「また、会いましょう」
それだけ。
振り返らない。
扉が閉まる。
王子は動けない。
“もの”だと言った。
だが。
手の中には、何も残っていない。
王子は外套を羽織る。
足音を忍ばせ、回廊を抜ける。
以前のように、夜を逃げ場にするのではない。
会いに行くのだ。
扉に手をかけた、そのとき。
「こんな夜中に、どこへ行かれるのですか?」
静かな声。
振り返る。
妃が立っていた。
灯りも持たず、白い寝衣のまま。
怒ってはいない。
ただ、見ている。
王子は言葉を失う。
「……少し、風に当たりに」
嘘だと分かる。
妃は一歩近づく。
「最近、外泊が多うございますね」
責める響きはない。
それが、逆に痛い。
王子は目を逸らす。
「……仕事だ」
「夜の、ですか?」
静かな一言。
王子の胸がわずかに軋む。
沈黙。
妃は視線を落とす。
「私は」
一拍。
「殿下に、愛されたいとは申しません」
王子が顔を上げる。
「ですが」
ゆっくりと視線を戻す。
「殿下が、どこへ行かれるのかくらいは、知っておきとうございます」
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、置き去りにされたくないだけの声。
王子は初めて、
自分が誰かを同じように置き去りにしていると気づく。
妖精を。
妃を。
そして、自分を。
「……戻る」
王子は外套を脱ぐ。
妃は何も言わない。
ただ、少しだけ息を吐く。
夜。
王子が待つ。
来ない。
街に出る。
いない。
やっと見つける。
妖精は他の男の腕の中。
王子を見る。
でも、何も言わない。
微笑む。
「お客様ですから」
王子、初めて理解する。
「なぜだ」
王子の声が震える。
「俺は……お前に心まで渡したのに……!」
妖精は視線を落とす。
「私は……殿下が思うような者ではありません」
一拍。
「一人の殿方では、満足できないのです」
嘘だ。
王子は分かる。
だが、責められない。
沈黙。
「……それでもいい」




