旅人と妖精⑪
夜。
灯りの下。
旅人は、いつも通り金を差し出す。
五千円。
妖精は、それを見つめる。
受け取らない。
首を振る。
「もう、いいんだ」
静かな声。
旅人の手が止まる。
「何が?」
妖精は目を逸らす。
「もう、僕のことは忘れて……」
風が通りを抜ける。
「何があった?」
一歩、近づく。
妖精が後ずさる。
「何もない」
即答。
でも、目が揺れる。
「嘘だろ」
妖精の喉が動く。
言えば、壊れる。
言わなければ、終わる。
どちらも怖い。
「お願いだから」
かすれた声。
「忘れて」
その瞬間。
妖精は踵を返す。
走る。
灯りの間をすり抜ける。
呼び止める声は、出ない。
追えば、捕まえられる。
でも。
旅人は立ち尽くす。
伸ばしかけた手を、下ろす。
夜は、いつも通り騒がしい。
妖精の背中だけが、遠ざかる。
「あんた、いい加減にしなよ」
夜の通り。
酒場の裏。
旅人は呼び止められる。
振り向くと、村の男。
軽い顔。
でも目は笑っていない。
「飼い主じゃないんだから、同じ妖精を独り占めなんてできないよ」
「俺は、そんなつもりじゃ……」
言いかけて、止まる。
確かに。
夜も。
昼も。
一緒にいた。
「あんたと一緒にばっかいるから、飼い主が怒ってる」
胸が、ひりつく。
「妖精のことを思うなら、やめな」
低い声。
「この村はそういう仕組みだ」
沈黙。
遠くで笑い声。
灯りが揺れる。
旅人は拳を握る。
「俺は……」
言葉が続かない。
守っているつもりだった。
選んでいるつもりだった。
でも。
選んだことで、縛っていたのか。
村の男は肩をすくめる。
「助ける気なら、買うな」
男は去る。
夜風が冷たい。
⸻
酒場の奥。
村の男が飼い主に近づく。
「最近さ」
「例の旅人、同じ妖精ばっか買ってるよな」
飼い主は無言。
男は肩をすくめる。
「囲い込むつもりじゃねぇの?」
「長居されると困るだろ」
「他の客も減るし」
笑う。
「商売は平等に回さねぇとな」
飼い主の目が細くなる。
「……なるほどな」
その夜。
旅人は酒場へ向かう。
金を出す。
「あんたには売らない」
飼い主の声が落ちる。
「何してる。行け」
妖精は静かにうなずく。
客の腕が腰に回る。
階段へ向かう。
一段。
二段。
三段。
ほんの一瞬、振り返る。
目が合う。
すぐに消える。
軋む音。
扉が閉まる。
旅人の手の中の金が、冷たい。
握りしめたまま、下ろせない。
酒場の笑い声が、遠い。
旅人は、ゆっくりと金をしまう。
振り返らない。
村の外れへ歩き出す。
夜風が、冷たい。




