旅人と妖精⑨
朝。
薄い光。
妖精が先に目を覚ます。
体が、痛くない。
隣に旅人がいる。
服は乱れていない。
しばらく見つめる。
旅人が目を開ける。
視線が合う。
妖精は、迷わず顔を近づける。
唇が触れる直前。
旅人の手が頬に触れる。
止める。
「……いらない」
低い声。
妖精が固まる。
「対価じゃない」
沈黙。
旅人は手を離す。
「そのままでいい」
それだけ。
妖精は、触れなかった唇を指でなぞる。
何も言わない。
夜。
旅人は、いつも通り横になる。
何も言わない。
触れない。
求めない。
妖精は、暗闇の中で目を開けている。
距離は、少しだけ近い。
でも、触れていない。
胸の奥がざわつく。
触れてほしい。
でも、触れられたくない。
矛盾が、苦しい。
旅人は動かない。
寝息も立てない。
起きているのかもしれない。
それでも、何も言わない。
妖精は、ゆっくり息を吸う。
それから。
少しだけ、体を寄せる。
肩が触れる。
反応はない。
もう少し。
背中に、胸が触れる。
旅人は、やっぱり動かない。
拒まない。
抱き寄せない。
ただ、そこにいる。
妖精は目を閉じる。
逃げない。
押し返さない。
それだけで、十分だった。
体温が、背中越しに伝わる。
温かい。
夜は、静かだ。
触れているのに、
何も起きない。
それが、こんなに安心するなんて。
妖精は、初めて。
“売らなくていい距離”で眠った。
夜だけじゃなく。
昼も、妖精は旅人の隣にいた。
最初は、理由があった。
「この村、迷いやすいから」
「案内するよ」
軽い声。
営業の調子。
でも、客引きはしない。
昼の村は、夜とは違う顔をしている。
干された洗濯物。
子どもたちの声。
古い石畳。
旅人は、特に急がない。
「どこ行きたいの」
妖精が聞く。
「お前の好きな場所」
即答。
妖精が一瞬、言葉を失う。
好きな場所。
そんな問いは、今までなかった。
少し考える。
それから、歩き出す。
丘の上。
村を見下ろせる場所。
昼間は静かだ。
風が抜ける。
「ここ、夜は来ない」
妖精が言う。
「夜は、仕事だから」
旅人は何も言わない。
並んで座る。
触れない。
でも距離は近い。
妖精は、膝を抱える。
「昼って、変な感じ」
「何が」
「売らなくていい時間」
少し笑う。
今度は、目も笑う。
旅人は、風景を見る。
妖精も、同じ方向を見る。
会話がなくても、気まずくない。
それが、不思議だ。
帰り道。
妖精は、客に声をかけない。
夜になれば、また違う顔をする。
でも昼間だけは。
“誰かの横”でいられる。
それが、少しだけ嬉しい。
自分でも気づかないまま。




