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少女と竜は今日も旅をする。  作者: 白浜ましろ
Episode 3.触れたひとひらは何を変えゆるか
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近くて、遠くて


 不機嫌さを隠しもせずに炭酸水をあおるトールに、ヨウは困ったように頬を掻く。

 そして、曖昧に笑った顔をティシェへ向けた。


「悪いね。今のは忘れてくれ」


 乏しい表情下に戸惑いを抱きつつ、ティシェは何も言わなかった。言えなかった。

 漂う気まずい空気に、意味もなく視線を伏せる。そこへ店の者がやってくる。


「ご用意ができましたが、どちらにお運びしましょうか?」


 これ幸いにと、ティシェは席を立ち上がった。


「私の分は部屋まで頼めるだろうか?」


「では、すぐにお持ちします。そちらの方は?」


「ああ、俺らはあとで持って行くよ。用意だけしておいてもらっても?」


「問題ありません。お持ちの際には、改めてお声かけください」


 そう言って、店の者は下がっていく。奥に引っ込む姿を確かめてから、ティシェはトールを振り返った。


「先に戻っている」


「わかった、先にくつろいでてもらっていいから。ラッフィルのことお願い」


「ああ、了解した」


 では、とヨウに会釈したティシェは、奥から出てきた店の者を伴って食事処を出て行く。

 その背を見送り、ヨウは小さく息をもらす。


「……悪かったな。勝手にもらして」


 隣へ顔を向ければ、仏頂面な顔をしたトールが椅子に沈んでいた。手にしたままのグラスはとっくに空だ。


「本当だよ。距離測ってるとこなのに」


「だから悪かったって。な?」


 ヨウは顔の前で両手を重ね合わせ、このとーり、と懇願する。

 トールはちらりとヨウを見やり、深い息を吐き出した。


「……じゃあ、木鈴って持ってる?」


「木鈴って、風の商人が連絡の目印に使ってるあれか?」


「それ以外に何があるの?」


 じとりとトールに軽く睨まれ、ヨウは少しだけ身を引いた。


「怖ぇなぁ……。まあ、あるけど。なんだ、なくしたのか」


「僕のはちゃんとあるよ。なくすわけないじゃん」


「お、おう。そうだよな。なら、何に使うん?」


 ヨウは何気なく言葉を続けた。が、その瞬だ。じとりと軽く睨んでいたトールの鳶色の瞳が冷えた。

 温度をなくしたその瞳に、ヨウは慌てて言葉を継ぐ。


「――悪い、踏み込みすぎたわ。木鈴はあとでな。オーリィのとこに置いてきた荷の中だから」


「わかった」


 一言返すと、トールはふいと視線を逸らす。その横では、ヨウがそっと息を吐き出していた。




   ◇   ◆   ◇




 肩にタオルをかけて浴室から出てきたティシェは、普段は結わえて、今は解いている髪から垂れる水滴に気付いて拭った。

 髪の拭きが甘かったらしい。と、床に転がる夜色の竜をみつけて、ティシェは小さく苦笑をもらした。


「――食べ終わったか」


 盛り皿の前で、カロンがぐてーんと落ちている。当然だが皿の中は空だ。

 ティシェの声にカロンは片目を開け、ぴたんぴたんと尾を軽く打ち付けて返事をした。


「おいしかった、満足」

 

「そうか」


 表情をやわくし、ティシェは一人掛けソファに腰を下ろす。

 先にくつろいでてもらっていい、とのトールの言葉に甘えることにしたティシェは、部屋に戻るとすぐに風呂へ入った。

 風呂付きの部屋でよかった。やはり、この痕を他人に見せるわけにはいかないだろうから。

 ティシェはそっと寝衣の上から左胸に手を添えた。この下にある火傷痕は普通のものではない。

 トールはティシェの火傷痕のことは知らないが、大浴場のような施設を利用しないことには気付いている。

 だから、今回の宿も風呂付きの部屋を取ってくれたのだろう。そういった彼の細かな気遣いが、ティシェの心にあたたかさを灯す。

 口元をやわく緩め、ティシェは卓に置いたランタン型の灯竜灯に手を伸ばした。つまみを絞り、少しだけ灯りを落とす。

 部屋の照明ランプとはいえ、火に対する恐怖心が胸に燻り、グローシャの居ない空間での明かりには灯竜灯を使う。

 少しだけ暗さの増した室内で、カロンが力を抜くように緩んだ息をもらし、ゆっくりと浸るように濃くなった影へ沈んだ。けふっ、と腹を満たしたゆえにもれる吐息が小さく響く。

 ティシェは室内に視線を巡らせる。カロンがどこを揺蕩っているのかはわからないが、のんびりするような気配が動いているのは感ずる。

 ふふっと小さく笑い、ティシェは息を落とした。と、卓に伸ばしていたままだった彼女の手を彼が突いた。


「ラッフィル、どうした?」


 蒼の瞳を瞬かせれば、ティシェの手を突いていたラッフィルが、今度は自身の頭を彼女の指に擦り付け始める。


「ああ、掻いて欲しいのか」


 ラッフィルの意図を察したティシェが指先で掻いてやると、彼は気持ちよさげに目を閉じた。

 ティシェも蒼の瞳をやわく細めてラッフィルを見つめる。

 共に旅をするようになり、ラッフィルはトールの居ない場においてもティシェに甘えてくれるようになった。

 トールが言ってくれた、仲間、に彼ともなれている気がする。


「ラッフィルは、トールとはどのくらいの付き合いなんだ?」


 何となく問うてみた。が、当のラッフィルは一度目を開いてティシェを一瞥したあと、指を小突いてもっと掻けと催促する。

 ラッフィルは賢い。ティシェの言葉の意味を解した上で応えないのかもしれないな、と思いながら、そもそもが解っていないのかもしれないなとも思う。

 そのどちらなのか、ティシェではまだ判ぜられない。催促通りに彼の頭を掻きつつ、小さく息を落とした。


「初めて見たな。あんなトールは」


 一緒に旅をするようになり、それなりの時間を共にしてきたと思う。

 その中で、トールが他人に向ける顔というのを何度か目にした。あの、にこり、と笑顔を貼り付けたような顔だ。

 ティシェも初めてトールと出会ったあの雨夜に向けられたことがある。それでも、あの雨夜以降はティシェに向けられたことはない。

 ヨウと接する先程までのトールの姿を思い出す。

 彼と接するトールの姿も、ティシェは初めて目にする姿だった。その姿は、一歩引いたような姿にも感じ見えた。

 トールがにこりと貼り付けたような笑顔を浮かべる時は、相手との間に線引をした時だとティシェは知っている。

 そう思えば、線を引かれなかったヨウはある意味では親しく、ある意味では近しい距離の相手なのだろう。


「――ん、満足したのか? ラッフィル」


 ティシェがつらつらと物思いにふけっている間に、ラッフィルはどうやら満足したらしい。今度は自らの嘴を使って羽繕いに勤しみ始めていた。

 ほんの僅かな笑みを口元に浮かべ、ティシェは窓へと視線を向けた。もちろん、窓にはカーテンが閉まっている。

 けれども、ぽつぽつと打ち付ける音が聴こえ続ける雨音に、そのカーテンの向こうでは、今でも枝葉が雨粒を滴らせているはずだ。

 雨夜だけれども、竜を起因としている雨だからか、不思議とティシェの心は静かだった。いつもの雨音が運ぶ寂寥はない。

 ないのだが、どうしてか心許なさはまとっていた。いつもと違う心地に戸惑う。

 ソファに足を上げ、太ももまで出た膝を抱える。その膝に額を付けて身を丸めた。


「……グローシャが傍に居ないからだろうか」


 心が、少しばかり寒い。

 竜舎に行って、いつものようにグローシャの懐に潜り込んでしまおうか――。ちらりとそんな考えが思い浮かぶも、すぐに駄目だな頭を振った。

 今の自分は寝衣姿だ。普段からティシェは、肌に絡みつく感覚が好かなく、娘が着るようなワンピースやドレスの類は着ない。

 ゆえ、とくに寝衣などはその傾向が顕著に現れる。今の恰好も上下に分かれてはいるが、下衣部は太ももを隠すほどの長さもない短なものであり、上衣部も肩までの長さしかない。

 トール曰く「薄着じゃん、それ」と、露出部分が多いと目を逸らされたほどである。

 薄々気付いてはいたが、この姿で外をうろつくのは好ましくないらしい。

 問題なのは、ティシェ自身に羞恥の意識がないこと。ならば、トールの感覚に従う方が利口だろう。

 竜と共にといえど、今はこれまでのような一人の旅ではない。トールと一緒に旅をしているのだから。

 と、そこではたと気付き、蒼の瞳を瞬かせて顔を上げた。


「……トールのことばかりだな」


 ぽつりとこぼした言葉。思わず口元に小さく苦笑がもれる。

 そして、同時に解ってしまった。心が寒いのは、トールに起因している、と。

 夕食の場のことを思い出す。ヨウと接するトールの姿は、ティシェの知らないトールだった。

 あの場においてティシェが抱いていたのは疎外感だ。今になって、初めて思いいたる。

 そして、改めて知ってしまった。


「私はトールのことをほとんど知らない」


 ティシェは再び額を付け、膝を抱える。

 トールは仲間と言ってくれた。彼との関係が近しくなった気がして嬉しかった。

 けれども、自分の知らないトールの姿を目にして、近付いたそれが遠ざかってしまった気がして。


「……それが、さみしいんだ」


 だから――心が寒いんだ。

 膝を抱える腕に、きゅっと力が入った。

 卓で羽繕いに勤しんでいたラッフィルが顔を上げる。彼はくいっと首を傾げたのち、静かに羽ばたいてティシェの頭に飛び移った。

 室内の影に揺蕩っていたカロンがそっと顔を出す。紅の双眸が瞬き、ゆっくり影から顕現すると、カロンはティシェの座るソファに前足をかけた。そして、そっとティシェへ身を寄せる。

 そんな触れる二つのぬくもりを、ティシェは静かに感じていた。

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