触れたひとひら
絞られた灯竜灯の灯りが揺れる室内に、ぽつぽつと枝葉を打ち付ける雨音が浸る。
ふいにティシェの頭に乗るラッフィルと、彼女に身を寄せるカロンが振り向く。
半瞬遅れて、ティシェの肩がぴくりと動いた。ややして、きぃ、と音を立ててドアが開かれる。
「ただいま――って、なに?」
顔を覗かせ、そろと部屋へ身を滑り込ませたトールが、じいと見やってくるラッフィルとカロンに軽く驚く。
が、すぐに膝を抱えるティシェに気付き、慌てて彼女の側へ駆け寄った。
トールがティシェに近寄ると、ラッフィルは飛び立ち、カロンは影に潜り込む。
彼らの行動を怪訝に思いながら、トールはその場に膝立ちになってティシェの様子を窺う。
「ティシェさん、どうしたの? 体調悪いとか……あ、雨だから?」
膝に埋めたまま顔を上げない様子のティシェに、トールはカーテンの閉められた窓へ視線を向けた。
ぽつぽつと枝葉を打ち付ける雨音は、部屋に浸るように聴こえている。夜に包まれてしまえば、それはより濃く。
トールは別段問題がなかったゆえに、今夜もティシェだって同じだろうと勝手に思ってしまった。
もっと彼女に目を向べきだったのに、ヨウという不規則要素で見落としてしまったのがなんだか悔しかった。
けれども、すぐに思考は切り替える。どうすれば、などと考え込むこともなく、トールはすぐにわかる。彼女の寄辺、拠り所――グローシャだ。
「竜舎の方に……あ、でも、その格好のままはいろいろと障るよね」
すぐにでも向かおうと思うも、彼女の今の格好を見て待ったをかける。
何か羽織るものを、と辺りを見回すと、ベッドのブランケットがすぐに目に付いた。手に取ろうと立ち上がった時――くんっ、と服が引っ張られる。
足を止めて振り返れば、トールの着るベストの裾をティシェが掴んでいた。
「えっと、ティシェさん……?」
顔を上げたティシェが、灯竜灯の灯りが踊る蒼の瞳でトールを見上げる。
「トールが、居てくれればいい」
「でも」
「……さみしかった、だけだ」
片手でトールの服裾を掴んだまま、ティシェは少しだけ気恥ずかしそうに身をすくめた。
一瞬だけ息を詰まらせかけたトールだが、しばし逡巡したのち、彼女の手に自分の手を重ねた。
「僕が、居なかったから……?」
「……わからない。だが、さみしく感じた。トールが遠いように思えて」
顔を俯かせるティシェに、トールは目線を合わせるためにまた膝立ちになる。
二人の視線が絡み、下からティシェを覗き込むトールの鳶色の瞳に、灯竜灯の灯りが躍った。
ティシェは絡め取られたように、その瞳に見入ってしまう。
しばし交差する互いの視線。やがて鳶色の瞳が苦笑する。
「そんなに見つめられると、僕がどきつくだけなんだけど」
そうしてトールの方から逸らされてしまい、もう少しだけ見ていたかったとティシェは残念に思った。
膝立ちになっていたトールが立ち上がる。途端、ティシェは不安げな瞳を彼へと向けた。また苦笑された気配がした。
「大丈夫だよ。もう今夜は何処に行かないから」
そう言ってトールは、部屋の隅にあった椅子を引き寄せて側に座ってくれた。
そのことに、ティシェはそっと安堵の息を吐いていると、トールの視線が自分に向けられているのに気付き、小さく首を傾げた。
「……どうした?」
「ううん。ふと思っただけ」
トールはやわらかな光を瞳に宿しながら顔を綻ばせる。
「違うなあってさ」
「何がだ?」
ますますわからなく、ティシェは軽く眉を寄せた。
「ヨウさんが居る時と、僕と二人で居る時の表情が違うなぁって」
「……そうだろうか」
「うん、違う」
「だが、それを言うならばトールこそ――っ」
ティシェは言葉を続けようとして、しかし、咄嗟にその口を開いたまま言葉を飲み込んだ。
この先の言葉を続けてもいいのだろうか。ティシェが訊ねても――踏み込んでもいいのだろうか。
口を閉じ、小さく引き結ぶ。そして、もう一度ゆっくりと口を開いた。
「――トール。訊いてみても、いいだろうか」
慎重に、言葉を紡ぐ。そして、蒼の瞳はひたとトールを見据える。
膝を抱える腕に力が入った。
トールは鳶色の瞳を瞬かせ、そして、淡くくしゃりと笑んだ。
「いいよ。ティシェさんなら、踏み込んできてもらって構わない」
「いい、のか……?」
「だって、知りたいと言ったのはティシェさんで、僕も知りたいって言ったから」
その言葉に、ティシェは蒼の瞳を小さく見開いた。
どこかで聞いた言葉。否、自分で言った言葉。あの竜に護られし街で、ティシェがトールに言った言葉だ。
瞳を伏せ、そうだったな、と呟く。抱えていた膝を離して足を下ろすと、トールと改めて向き合った。
「ヨウが言っていたな。ボロボロだったところを拾った、と」
「そうだね、言ってた。言葉の通りだよ。打ち捨てられてたところをヨウさんに拾われた」
命拾いだね、と何事もないかのようにトールは笑う。
だがティシェは、打ち捨てられた、とのトールの言葉に絶句する。思わず彼へと手を伸ばし、その手に触れた。
トールは驚いて軽く目を見開くも、すぐにやわい光を宿して細める。
「大丈夫だよ。僕は今、ここに居るでしょ」
「だが、打ち捨てられるなど、只事では――」
「……うん。只事、じゃないよね。こっちだって、豊かで平穏な土地だし」
トールは少しだけ苦さをはらませた顔で笑い、言葉を続ける。
「そのままの通りに、着の身着のままこっちに連れてこられたんだ。その時の僕って、お金を持ってなければ、常識もなぁーんにも知らない世間知らずだったわけだから、目の前に現れた親切な人をころっと信じちゃったんだよ。放り出されて『え、どうやって生きてけと?』って、途方に暮れてたとこだったから」
トールの言に不穏な気配を感じ、ティシェは小さく息を詰めた。ティシェが触れたままだった彼の手が、何かを隠すように小さく握り込まれる。
「当時の僕が着ていた服って、こっちでは珍しいものだったらしくてね。先立つものがあった方が良いよねって、質屋に連れて行ってくれて――それでまあ、換金された有り金全部持ってかれたわけで」
「それは……騙された、と……」
「そうだね、僕はあの時騙されたんだと思う。文字通りに無一文じゃん。常識も何も知らない。言葉が通じるのは幸いしたけど、それだけで。職も見つからないし、衣食もない。やばい、詰んだって、それでボロボロになってたところをヨウさんに拾ってもらったんだよ」
そしてトールは、何事もないかのようにまた笑った。
「これが、ボロボロだったところを拾われた僕の話」




