隠れ見えたひとひら
夕飯時で賑わうこの時間帯は、宿泊部屋のある二階から食事処のある一階へと下りてくる宿泊客達の姿が見え始める。
人の姿はまばらで空席が目立っていた店内がたちまちに人で埋まっていく。
少し早めに夕飯をとろうと移動していたティシェ達の席には、既に幾つかの皿が並んでいた。
やわらかなそうなパンはバスケットに盛られ、ほくほくとあたたかそうなクリームシチューは、ふわりとミルクの香りが立ち、ごろごろとした野菜がシチューに彩りを添える。
席には向かい合って座るティシェとトールの姿だけだが、卓には三人分の食事が並ぶ。
「ヨウ、というのは、トールが待っていた運搬隊の者なのか?」
ティシェは表情の乏しい顔でトールに訊ねながら、しゅわしゅわと泡の弾けるグラスへ手を伸ばす。
ひんやり冷えたグラスに口を付けると、舌の上で炭酸がぱちぱちと弾けた。軽く痛みをはらむ弾けぶりに、もはや爆ぜているなと乏しい表情下で少々驚く。
同じく炭酸水を口にしていたトールがグラスを卓に置き、そうだよ、と頷いた。
「まさか無茶振りして、雨でずれた旅程の帳尻合わせをしてくるとは思わなかったけど」
どこか呆れたように嘆息を落としてから、トールは食事処の出入口の方へ視線を投じる。ティシェも振り返ってその視線を追った。
視線の先、奥から出てきた宿の女将とヨウが談笑する姿があった。女将が諦めたような表情で肩をすくめ、ヨウが苦笑いでそれに返している。
「視界不良で翔ぶヨウさん達のために、灯台の役割を果たしてくれたグローシャには、僕もあとから改めてお礼をしないと」
「何か見繕ってもらえないか、あとで厨房に訊いてみよう。部屋で待つカロンとラッフィルにも何か持っていってやらないと」
「うん、だね」
トールが立ち上がり、ここだよ、と手を上げた。
女将に小突かれて別れたヨウが、手招くトールに気付いて卓に向かってくる。
「お、邪魔するよ」
ヨウはティシェに目礼するとトールの隣に座った。彼はトールと同じ翼をあしらった紋章のつなぎを着ているも、脱いだ上衣は腰に巻いていた。
少し上気した肌と首にかけているタオルから、雨に濡れた身体を湯で流してきたのだろうか。
その観察するようなティシェの視線に気付いたヨウが、にかっと明るく笑った。
「先に一風呂してきた。身体も冷えちゃってたし」
「当たり前でしょ、雨の中翔べば」
ヨウをちらりとも見ずに、トールは両手を合わせて「いただきます」と口する。
卓の端に置かれていたカトラリー入れからスプーンを取ると、一人でさっさと食事を始めてしまった。
「トールは相変わらずあっさりしてんな」
苦笑したヨウも、俺も食べるか、と卓の端へ手を伸ばす。
「上、失礼すんね」
カトラリー入れとヨウとは、座る位置の関係で彼が一番遠い。うんと腕を伸ばし、ヨウもスプーンを手にする。
「んじゃ、あったかそうなこれから。――と、嬢ちゃんは食べないの?」
「……あ、ああ。私もいただこう」
トールを呆然と見ていたティシェは、ヨウに促されて自分もカトラリー入れへ手を伸ばす――前に、スプーンが差し出された。
蒼の瞳を瞬かせ、差し出された先を見る。トールだった。
「スプーンでよかった?」
「……ありがとう」
ティシェがスプーンを受け取ると、トールは一旦置いていた自分のスプーンを手に取り、食事を再開させる。
その横ではヨウが動きを止めていた。シチューを掬ったスプーンを口へ運ぼうとした姿勢のまま、トールを驚いたように見やっている。
「なに、トール。おま、気遣いができるヤツだったのか」
「食べるか話すか、どっちかにしたら?」
「……お前は相変わらず、食事中に話はしないなぁ」
「気が緩むと、何を口走るかわかんないから」
「ま、気を良くすると、余分なことをぺらぺら喋ることもあるわな」
苦笑をもらしたヨウは、とりあえずスプーンを口に運ぶことにしたようだ。
一人で黙々と食べるトールをみつめ、ティシェはその姿に疑問符を浮かべつつも、まずは己も食べることにした。
果たして、トールは食事中の話を嫌う質の人物だったろうか。
*
「ごちそうさまでした」
両手を合わせたトールに釣られ、ティシェもヨウもそろって、ごちそうさまでした、と口にする。
賑わっていた食事処も、時間が経てば落ち着いてくるもので、がやがやとしていた賑わいが、今はざわざわとしていた。あちらこちらで談笑に花が咲いているらしい。
やわらかくなった雰囲気に、ヨウが早速と言わんばかりに口を開いた。
「そうだ。もう知ってると思うが、まだ名乗ってなかったよな。俺はヨウだ」
「私はティシェという。よろしく、ヨウ」
「おう。よろしくな、ティシェ」
初対面の挨拶だというのに、常のように表情の乏しいティシェだったが、ヨウは気にすることなく人好きな笑みを向ける。
「改めて礼も言わせて欲しい。灯竜のおかげで、無事に俺と風竜は降りられた」
「礼ならばその灯竜、グローシャに言ってやって欲しい」
「ああ、そうだな。あとでオーリィの様子見もある。その時に改めて礼をさせてもらおう」
そこでヨウが、卓の横を通りかかった店の者を呼び止める。
彼がいくつか竜用の軽食を頼むのと一緒に、ティシェもカロンとラッフィルの分を頼んだ。
追加分を用紙に書き付けると、店の者は「それでは、お待ちくださいませ」と下がり、その際に空になった食器も一緒に下げていった。
「――というか、ヨウさん。今夜はどこの宿に泊まるの?」
炭酸水を飲んでいたトールが、グラスを置いてヨウに訊ねる。
「ん? オーリィがここの竜舎に泊まるんだから、俺もここの宿に泊まるに決まってんじゃん」
「オーリィはアーリィと兄妹だし同じ間で問題なかったけど、部屋の方はどうするの? もう満室だって女将さんから聞いたけど?」
だからティシェとトールは二人部屋――つまり相部屋なのだ。
それはどうやらティシェ達だけでなく、旅仲間や友人、家族など、気心知れた者同士ならば、殆どの宿泊客は相部屋の様子だった。
それだけこの宿は、客に対して部屋数がぎりぎりなのだ。そこに飛び入りに近いヨウが泊まれる余裕があったのだろうか。
「ああ、ここに間借りさせてもらえることになった」
ここ、と。ヨウがこの場を指で示す。トールが呆気にとられて瞳を瞬かせた。
「……ここって、まさか、ここ? このお店?」
「そ、この食事処。ここの女将とはもう顔馴染みだしな」
「あー、なるほど……。ヨウさんがお店に入って来る前の、あの女将さんとのやり取りは、そーいう……」
呆れ切ったようにトールはヨウを見やった。その目はもはや半目だ。
「……無計画」
ぼそりと小さく悪態を吐き、トールはまたグラスを手にして炭酸水を飲む。
その横でヨウは、しょんないだろ、と卓に肘を付いて嘆息を落とした。項垂れるようにトールを見やる。
「竜は竜なんだ。どこをいつ渡るかなんて、竜の気分一つで変わる。自然相手に単なる人が予測つくかよ」
「だからって、煙る視界不良の中を翔んでくる必要はないでしょ。……危ないじゃん」
「……なんだなんだ。俺の心配してくれてたんか?」
最後のトールの言に、ヨウの身体が嬉しそうに徐々に起き上がっていく。
「そうならそうと言えよ。嬉しいじゃんかよ」
気を良くしたヨウがトールの肩へ腕を回した。近くなった距離に、トールは嫌そうに身をよじる。
「放して、離れて、近い」
「照れるんなよ。俺とお前の仲じゃん」
引き寄せるヨウと、押し退けるトール。
傍から見ればじゃれ合いにしか見えないそれを、ティシェは炭酸水を口にしながら眺めていた。口元がほんの僅かに緩む。
「仲がいいんだな」
「おう。ボロボロだったのを拾ったのは俺だしな」
刹那、ティシェの蒼の瞳が瞬く。
それは初めて耳にしたトールに関する話。ティシェの視線がゆっくりとトールへ向けられる。
しんっ、と静まったその場の空気に、ヨウは「あれ、話してなかった?」とトールを見やった。
トールは重く息を吐き出すと、肩に回されたままだったヨウの腕を振り払う。
「……本当、もうぺらぺらと」
「いや、なんかすまん」
軽く睨むトールを、ヨウは少しだけ眉を下げて、ははっ、と笑うのだった。




