触れるひとひら
「行ってみる――?」
ティシェはトールを振り返る。小さく首を傾げ、トールを見つめた。
その己を見つめる蒼の瞳が、トールには心なしか、小さな期待できらめいたようにも見えた。
「……行ってみるって言っても、人が多いメイン通りの方は避けて、裏通りの方の市場がいいかなとは思うけど。人が多いところは苦手でしょ、ティシェさん」
「めい、ん……?」
ティシェは聞き慣れない言葉に、蒼の瞳を瞬かせる。
「あ、ごめん。大通りって意味かな……?」
「ああ、なるほど」
乏しい表情下で頷くティシェに、トールは、それにさ、と言葉を続ける。
「裏通りって露店数も大通りと比べると少ないんだけど、意外と『これっ!』て物に出会うことも多いんだよ」
そう言ったトールの鳶色の瞳が楽しげに輝いたのが、ティシェには印象的に映った。
*
細い路を抜け、幾つ階段を下り、上ったのか。
時折大通りへと抜ける小路の先へ視線を投じ、通りを埋め尽くすさんとする賑わう人々の姿に、ティシェは頭巾の奥で小さく息を吐きだして目を逸らした。
当たり前だが、皆、砂色の髪を持った人々だった。頭巾の中で、己の白銀の髪が視界の端に映る。こぼれたその横髪は耳にかけた。
そんなティシェの前を行くトールは、肩越しに彼女をそっと振り返る。ちょうど階段を上がったところで足を止めた。
そのことに気付いたティシェも足を止め、顔を上げる。
「トール……?」
階段を一段上がったところで立ち止まったトールは、その一段をわざわざ下りてティシェを振り返った。
「もし緊張しているなら、やっぱり行くのやめておく?」
頭から被る外套の奥で、トールの鳶色の瞳が気遣う色を湛えてティシェを見下ろす。
一本向こうになる大通りから聴こえる喧騒は大きい。
ティシェは頭巾の中で口を引き結ぶ。確かに、先程よりも人の気配は近くに感ずる。ゆえに緊張はしているのは確かだ。
だが、と。ティシェはトールの後ろへと視線を投じた。
ここの細い路にも、灯竜灯の街灯は設置されている。夜にはこの細い路を灯すのだろう。
勾配からなる街だ。階段も多くあり、夜の暗がりにこの急勾配な階段は危険が伴う。少しでも足を踏み外すことがあれば、転がり落ちるだけでなく、そのまま山底へ真っ逆さまだろう。
その危険性を少しでも解消するために、どんなに細く狭い小路だろうと、灯竜灯を転換させた街灯は数多く設置されている。
――そうティシェは、かつて聞かされたことがある。
「そういえば、この街の街灯って全部灯竜灯だよね」
珍しいな、と呟くトールも、ティシェと同じように街灯を見上げていた。
「灯竜灯って仕組みが仕組みだから、わりと高価なものではあるのに」
「……この街はかつて、灯りの里と交流があったようだからな。灯りと鉱石の物流があったと聞いた。その際に提供されたんだろう」
遠いものを見るように、ティシェは蒼の瞳を細める。
「ティシェさんはこの街に来たことが?」
「私はない。だが、この街の話は、育ての親から昔聞いたことがある」
「……灯りの里が何かは、僕が訊いてみてもいいこと?」
遠慮するような響きを持った声に、ティシェは蒼の瞳を瞬かせて声の主を見やった。
被る外套の奥で、トールの鳶色の瞳が緊張をはらませている。
彼は自覚しているのだ。この質問は、相手へと踏み込むものだと。
ティシェは自然と表情を緩めていた。
「ああ、構わない。知りたいと言ったのはトールで、私も知りたいと言ったのだから」
口の端を持ち上げ、ティシェは笑う。
「灯りの里は、私の生まれ里だ。……燃えてしまって、今はないがな」
浮かべた笑みに違う色がはらみ、空を見上げた。風が通りを吹き抜け、空へと抜ける。
目を閉じれば、あの日の炎がまぶたの裏に見える気がする。けれども、今は雨の気配はない。
目を開けば、雲が流れゆく空が見えた。その空が、今は遠い。それが酷く、心細さを感じさせる。
ティシェは今、独りなのだと。その想いに足が勝手にすくみそうになった。
実際にティシェは独りだから。グローシャはいなく、影の中にカロンもいない。
一人で立つ強さが欲しいと、あの岩のうろで口にしたが、それにはまだまだ道は遠そうだ。気持ち一つで揺れてしまう。
ふっ、と諦めにも似た息を一つ落とし、視線も落とした先――そこへ、手が差し伸べられていた。
蒼の瞳を瞬かせ、その手をたどるように視線を持ち上げる。
階段を一段上がった彼がティシェを見下ろしていた。
「トール……?」
蒼の瞳と合うと、少し伸びた前髪に隠れたトールの鳶色の瞳が柔らかく笑う。
「今も、ティシェさんは独りじゃないよ」
トールの肩では、自分もいるよ、とラッフィルが鳴く。
通りに風が吹き、階段を吹き上がっていく。
風がトールの前髪をさらった。顕になった彼の鳶色の視線が合う。トールがティシェを見ているからだ。
――自分は確かに、この場に居る。彼が見える範囲に、確かに居るのだ。
そのことに、まるで安堵したように緩く息を吐き出した。
ティシェは口の端が僅かに持ち上がる。
「……ああ、そうだったな」
差し出されたトールの手を取り、ティシェも階段へ足を乗せた。




