目撃した者の務め
関所を通ったティシェとトールは、目的の場所へ向かうため、さらに上を目指す。
急勾配の階段を上り、賑わう市場の表通りを逸れて裏通りから抜け、目的の場所――私設騎士団の詰め所へとやってきた。
詰め所の外壁に背を付け、ティシェは腕を組んだ。
深く被った頭巾が空から注ぐ陽射しを和らげる。
ふう、と息を落として下がった視線を持ち上げれば、腰までの高さがある石造りの柵の向こうに景色が見えた。
覗く山肌に空から落ちる陽が陰影をつくる。そこへ撫でるように吹き抜ける風が、山肌に点在する木々を揺らし、梢の音をティシェのもとへと運び込んでくる。
そよぎ風が頭巾の中へと忍び込んできた。冷やされた風は汗ばむ肌を心地よく冷やす。
「いい風だ」
頭巾に大半は遮られてしまうが、それでも頭巾越しに空を仰ぎ見る。広がる青い空に、金の鱗の竜を連想した。
グローシャもどこかでこの空を翔んでいるのだろうか。
そう思うと、ティシェもどこかうずうずとした気持ちに駆られる。グローシャと翔けたくなる空だ。
けれども、だが、と頭を振る。
「……トールに任せっきりにして、何を呑気なことを」
被る頭巾を引き、深く被り直した。
トールは今、詰め所の中で話を通してくれている。
こういうのは慣れてるから任せてよ。と言い置き、ティシェを外に待たせて、トールは詰め所へ入って行ってしまった。
そのことにほっと安堵してしまったのもまた、ティシェの気持ちを少しばかり沈ませる。
ティシェ達がこの街に訪れた理由が、あの岩のうろの一件にあった。
うろで雨宿りに至った要因――野生竜。
野生竜とは、人の手が加わった竜のことを指す。そして、もとは――。
ティシェの視線が詰め所の直ぐ側へ向けられた。
奥手に舎があり、囲われた敷地がある。敷地内の範囲を示すためだけに設置されたような簡素な柵。
敷地内は下草が地面を覆う。その中で何頭もの竜――軍竜が思い思いにのんびりと過ごしている。
ある軍竜は身を丸め寝そべり、ある軍竜はそよぐ風に目を細めて感じ入る。その仕草はグローシャら自然竜と大差ないもの。
だが、彼らは人の手が加わった竜――人の言葉なしには動けぬ竜だ。囲う柵が簡素な造りなのも、今は『くつろげ』と人から言葉を受けているから。何処かへ飛んでいく、空を駆けていくなどの心配は不要だからだ。
その軍竜達は皆一様に砂色の鱗であり、鋭利な角は野生竜を思い起こさせる。
そう、野生竜と軍竜は同じ祖を持つ竜だから。
かつての時の人々が、人の手でも扱える竜を手に入れようとした。竜から自然の作用を削ぎ落とし、それがのちの軍竜となる。
だが、その過程で人の手に余る竜が出てきてしまった。かつての時の人々がその竜をどうしたかというと、野に放ったのだ。そして、野に根付く竜――野生竜となった。けれども、中途半端にその身に自然を宿したままだったゆえ、その気性は荒く、本能的に自然竜を求めてしまうのだ。
ティシェの蒼の瞳が細められ、揺れ動く。
「――だから、野生竜の件は軍竜を保持する者等が受け持つんだ。野生竜を目撃した者の務めとして、報告しなければな」
被害が出る前に。
時に討伐することもあると聞くが、先日遭遇した野生竜がどうなってしまうのか、それはティシェが関与することではない。
だが、どこかやりきれないような気持ちが燻るのはどうしてだろうか。
伏せた視線、足下に落ちる影が濃さを増す。風に雲が流れる。
その影が突として揺らいだ。それに合わせるように、軍竜達に緊張が走る。
「……カロン、ガンを飛ばすな」
蒼の瞳が、影からにょっきりと顔だけを出すカロンに向けられる。
カロンの紅の瞳が、じとぉりと粘着をはらんで軍竜を見やる。そう、ただ『見ている』だけ。少しばかり粘着気味だが。
けれども、軍竜にとってはそれだけで畏怖の対象になる。自然を前にすれば、人だろうと軍竜だろうと、いつだって無力なのだから。
カロンは不機嫌そうに鼻を鳴らし、影から伸びた尾を一振りした。
そして、影から完全に身体を顕現させると、くるりとティシェを振り返って口を開く。
「カロン、行く」
突然の言葉に軽く驚き、ティシェは蒼の瞳を瞬いた。
「……どこへ行くんだ?」
「ひとっ飛び」
びしっ、と。カロンは尾先を空へ向けて突き示す。
軽く軍竜を見やり、ふんっともう一度鼻を鳴らした。
「気、すんだら、戻る」
それだけ言い置くと、カロンはどったとったと駆けてい行く。ティシェが何かを言葉にする前に、石造りの柵に足をかけて。
「……あ」
ティシェが追いかけた時には身を踊らせていた。
柵に手を付き下を覗き込むと、カロンは前足の被膜を広げて空へと舞い上がる。すぐにその姿は小さくなって、ティシェの目ではとらえきれなくなった。
一人取り残されたティシェは、ただ空を見上げるだけ。
「そんなに軍竜が嫌だったのか……」
「――ティシェさん、どうかした?」
背後から声をかけられ、ティシェは振り返る。
肩にラッフィルを乗せ、外套を頭から被ったトールが、詰め所から出てくるところだった。
「……トール。話は終わったのか?」
「うん、ちゃんと伝えてきた。これで目撃した者として、僕達の務めは終わりだよ」
ここから先は、自分らが関与する範囲ではない、とトールは小さく肩をすくめる。
「そうか。任せてすまなかったな。ありがとう、トール」
「気にしないでよ。こういうのは適材適所ってやつ」
ふっと柔く笑うトールに、ティシェも幾分か表情を和らげた。
「それで、どうかしたの?」
ティシェの横に並び、トールも下の方を覗き込んでから空を見上げる。
だが、別段気になるものはなく、首を傾げてティシェの方を振り向いた。
ティシェは視線を己の影へと落としてから、トールを見やる。
「……軍竜が気に入らなかったみたいだ」
既に緊張が和らいだらしい軍竜は、またのびのびと囲いの中で過ごし始めている。
軍竜へと視線を投じたティシェに倣って、トールも視線を投じた。それから、トールは「ああ、なるほど」と頷く。
「それで、飛びに行っちゃったんだ」
「そういうことだ」
トールを見やったティシェは小さく苦笑した。
それを見たトールも、同じように苦笑して「そっか」と頷く。
穏やかな風が下から吹き抜ける。その風が離れたところからの喧騒を運んできた。
ティシェがその喧騒を探るように顔を上げる。
「道中にあった市場か?」
「そうだろうね」
トールも音の方へ顔を向け、なんとなく言葉を続けた。
「行ってみる――?」




