竜に護られし街
急勾配な階段を右に左にと駆け上がった先、建物群から抜け、視界が開けて風が吹き抜ける。
被っていた頭巾が脱げ、白銀の髪が舞う。じりじりとした夏を感じさせる日差し、汗ばんだ首筋に幾本が張りついた。それを指で払いながら、冷やしてくれる風に表情をほんの少しだけ緩める。
山肌に沿う階段を上がれば、踊り場ような小さな広場に出た。
前を走るトールが、はあはあと肩で息をしながら被る外套を脱ぐ。汗でしめった黒の髪が風で揺れる。
「……いい風」
鳶色の瞳を細めたトールは、ふうと一心地に息を吐き出した。
空が抜け、開けた景色に山肌と点在する木々の緑が見下ろせる。ちょうど日の傾きで影になったその広場は、ひんやりとした空気が場の静けさを際立たせる。先程までの喧騒、騒ぎが嘘のよう。
ばさりと複数の羽ばたきの音と落つる影。二頭の竜が円を描くようにくるりと翔ぶ。
竜達を見上げていたトールが口を開いた。
「アーリィ達には隠れててもらおうか」
「そうだな。騒ぎはできるだけ避けたい」
ティシェが頷くと、二人は普段は服下にさげている竜笛を取出し、それぞれ口にあてがった。吹き込めば、人の耳では聞き取れない笛の音が空を翔ける。
二頭の竜は宙空で留まり、グローシャはティシェを、アーリィはトールを見下ろし、羽ばたき一つ、何処かへと飛び去っていく。
小さくなっていく彼女らの姿を見送りながら、トールがティシェを振り返った。
「宿を街の麓に取っていて正解だったね」
苦笑に染まるトールの顔に、ティシェも辟易する雰囲気を醸し出しながら同意を示す。
「……自然竜がここまで注目を集めるとは知らなかった」
「仕方ないよ。この辺りは自然竜の生息域からは外れてるから、珍しいんだと思う」
「――軍竜が居るからか」
ティシェがそびえる山を見上げる。階段を駆け上がってきたゆえ、気付けば中腹辺りまで登って来ていたようだ。
視線の先にあるのは、領主が暮らすという居城。立派な造りなのは、遠目からでも窺える。あそこに、軍竜を編成に加えた領主の私設竜騎士団がある。
軍竜――人の手でも扱えるようにと、人によって手を加えられた竜のことだ。
「……私は好きではないな。人が竜を扱えるように、なんて」
そう考える事自体がおこがましいのだ。
「でも、軍竜がいるから、この地は今日まで平穏が続いている。竜相手に戦って、勝てるイメージは持てないから」
それはまるで、軍竜の存在を肯定するような言い方。
何を思うかは人それぞれだということは解っていても、堪らずティシェはトールを睨むように見やる――が、トールは険しい目付きで居城を見上げていた。
「――て、そういった面があるのはもちろん知ってる。僕も商人としていろんな地域に行ったからね。でも、僕個人としては、好きにはなれないかな」
そして、グローシャやアーリィが飛び去って行った方へと視線を投じる。
「風の商人は風竜と共に在る。僕はアーリィのおかげで、今ここに居るんだ。アーリィが居なかったら、あの時に野垂れ死んでたかもね」
鳶色の瞳に翳が一瞬差すも、それはすぐに霧散し、眩しいものを見るように細められた。
「――竜は竜で在ることを誇りにしている。だから、軍竜のような竜は嫌悪の対象。自然とその土地からは離れていく。ま、それが自然竜の脅威から遠ざかれているとも言うけど」
「……気性が荒い自然竜は、時に人にも危害を及ぼすこともあるからな」
竜にその意図はなかったとしても、時に竜は人に危害を及ぼす。
それはまた、竜にとって人は、己への脅威にすら成り得ない存在である、ということでもある。
人はいつだって、自然の前には無力な存在だ。
「でも――」
トールが何かを言いかける。だが、突として上がった声に二人は振り返る。
ピィ、と声を上げたのはラッフィルだった。彼の姿は水飲み場にあった。通りの壁面となっている山肌、そこを掘り込んで造られた水飲み場だ。ラッフィルはそこで、ぴしゃぱしゃと水浴びをしていた。
上部の管から流れる水を浴び、気持ち良さげにピィと鳴く。
トールが飲み場の前まで行き、垂れ流しの水に触れる。
「……でも、軍竜が居るから、ここは豊かな水を得られている。水売りから買うことなく、水を汲むこともなく、この街は通りに飲み場を設けて垂れ流していられる――その事は、忘れちゃいけないね」
いくらその存在を心良く思っていないとしても。
トールは手で椀の形をつくって水を貯めると、口元に持っていき口に含んだ。うん、と一つ頷き、口元を手の甲で軽く拭うとティシェを振り返る。
「冷たくておいしいよ。ここで少し、小休憩しよう」
「ああ、そうしよう」
ティシェに飲み場を譲るため、トールは横にずれる。
彼女も水を飲もうと手を伸した時、その下から抗議する声が上がった。
ラッフィルから上がるピィピィという声が、少しだけ怒っている響きを持っていて、ティシェは思わずトールと顔を見合わせる。
ティシェが手を引いたことで、またラッフィルは上から流れる水での水浴びを再開させた。
なるほど。これは。
「水浴びの邪魔をするな、ということか」
ティシェは納得顔で頷き、トールは申し訳無さそうに苦く笑うのだった。




